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第60話 王都包囲網(開城戦2)
【クレメンス】
深い霧は大型の攻城兵器を隠しながら進軍するにはうってつけだった。
城の西側を任されたクレメンスは、難なく進軍が進んでゆくことに多少の不安すら感じていた。順調すぎると悪い事を考えてしまう。そういう悪癖だ。
「東側は乱戦状態にあるようです」
「そうか」
既に戦の音は聞こえている。随分派手にやっているようだ。
「第一部隊、配備完了しました」
「第二部隊、準備できております」
続々とくる報告に頷き、クレメンスは前に立つ。徐々に薄くなる霧の幕のその先に、目指す城壁が見えた。
「破城槌、雲梯、攻撃開始! 弓兵隊、用意!」
クレメンスの言葉に従い、城壁に雲梯がかけられ兵が登り始める。破城槌は城壁の薄い一角を打ちつけ始める。そして、移動式の塔に上った弓兵が一斉に構え、城壁にいる弓兵へと矢を浴びせた。
これらの準備も一月以上前から始まっていた。提案はクレメンスからだった。
「さて、王都の城壁はなかなかに厄介なものですが、いかがなさいましょう?」
王都攻略において一番厄介なのはこの点だ。内側に戦力がほぼない状態で門を開けさせることは難しい。そうなれば、破る必要がある。
ひたすら囲って輸送路を断ち、相手の開城を待つ方法もあるが、そうなった時に餓死するのは自国民となる。真っ先にこの手は消えた。
「攻城兵器を使います」
ユリエルも輸送路を断つ方法は考えていなかったらしく、その言葉に淀みがない。クレメンスにとっても、これは有難い事だ。我らが主はなかなかに賢くて助かる。
「では、火器を用意いたしましょう」
「いいえ、それでは内部への被害が大きすぎる。もっと古典的なものを使いましょう」
「と、言いますと?」
「雲梯、破城槌、移動式の見張り櫓。これらを使って攻め込みます」
「…本気ですか?」
クレメンスの表情は一気に曇る。
これらは確かに実績のある攻城兵器ではある。だが同時に、脆さもある。城壁に接近しなければならず、相手方の攻撃をもろに受けてしまうのだ。しかも移動に時間もかかり、見つかれば真っ先に破壊されかねない。また、攻略に時間がかかる。
だがユリエルの考えは変わらないらしい。ならば、良策を提案しなければならなかった。
「確かに投石器や大砲は街への影響が大きくなります。ですが、時間を稼ぐ必要がありますよ」
「ルルエ軍が街への被害を出していない以上、自国の兵が危害を加えるわけにはゆきません。大規模な被害を出せばこちらへ非難が向かいます。今後を考えると、国民の支持は失えません」
ユリエルの言葉は確かに一考の余地がある。
ユリエルは特に政治家や貴族と不仲だ。今後彼が国を統治するにあたって、国民の支持は欠かせない。それを失えば玉座を追われかねないだろう。
そうなれば、国民への被害を最低限に抑える方法だ。その点、古典的な攻城兵器は無差別な破壊はしないのでうってつけではあるが、問題解決もまた一捻り必要だ。
「私とグリフィスで敵の目を引きます。お前はその間に兵器を接近させなさい」
「殿下、それは!」
深いジェードの瞳が暗く光る。それは既に、彼の中で決定されている事を意味している。
だが、クレメンスは反対だった。この主は自分を犠牲にし過ぎる。まるで自身に価値を見ていないような振る舞いには、賛成しかねた。
「私とグリフィスは順当に東側から攻めます。キエフ港を背にしますから、おそらく挟撃されるでしょう。より一層派手な戦いになれば、ルルエ側もそちらに意識が集中する。その間にお前は攻城兵器を進め、西城壁の攻略をお願いします」
「危険すぎる作戦には、賛同いたしかねますが」
「危険を承知しているなら、できるだけ早く城壁を攻略してください。門が開けば問題なく攻め入れるのですから」
こう言われては言葉に詰まる。この主はそう簡単に考えを改めない。彼の提案よりも良案を出さなければならないが、今のところ思いつかない。そうなれば、難点を突くのが良いか。
「王都の見張りに見つからず、西側から攻城兵器を進めるとなれば、準備も行軍も難しくはありませんか?」
「行軍は問題ありませんよ。あの辺は今、早朝に濃霧が発生する。風が強くなければ、かなり接近できるはずです。霧が晴れた頃に攻城を開始しても、敵は後手に回りますよ。私達はその間にできるだけ、兵を王都から出します」
「…兵器の準備はいかように?」
「ここで一度組み立てた兵器をバラし、徐々に運び出して近くの森で組み立てます。組み立て要員を森に潜伏させるくらいは分けないでしょう。ルルエ側も、西側は警戒していないようですし」
手詰まりか。何とか考えを改めてもらいたかったが、ここまで考えての事ならば反論できる材料がない。実際、勝率のいい方法であるのは確かだ。ただ、危険だという一点を除いては。
「貴方に危険が及んでは、王都攻めなど意味がなくなりますが」
「私の事は気にしなくていい」
「そのような訳には参りません」
「たとえこの戦で私が死んでも、シリルがいます。あの子はあれでしっかりしていますから、脇を固められれば王となれますよ」
「それは…!」
この言いように、クレメンスは違う可能性を考えてユリエルを睨んだ。そしてその考えを非難した。
「もしや貴方は、シリル殿下を保険になさっておいでなので?」
その言葉に鋭い笑みを浮かべたユリエルを見て、この考えは確信に変わった。
グリフィスはキエフ港の攻略となる。結果、多少ではあるが王都から離れる。あれほどの勇が簡単に討ち取られる事もないだろう。
そしてクレメンスは王都西側。先に東側が騒がしくなれば、安全に攻略も撤退も可能だろう。
一番危険なのは乱戦が予想される東側で戦うユリエルと、単身王城へ忍び込むレヴィン。だがレヴィンも一人の方が身が軽く動きが柔軟になるし、何より無理はしないタイプだ。
結果、一番危険なのはユリエル本人となる。
「グリフィスにも、レヴィンにも言いましたが、お前にも言っておきます。もしも攻略に失敗した時には聖ローレンス砦へと戻り、シリルを主として再戦の準備をしなさい」
「御冗談を。貴方を助けるのが臣たる者の役目。貴方が私達を庇ってどうするのです。主を見捨てて逃げたなどと、後ろ指を指されて生きるのは御免です」
「国の為にお前の力は必要です。特にシリルは悪意に慣れていない。信頼できる者があの子の傍についていなければならない」
射貫く瞳はこういう時に困る。その意思は強固で、とても突き崩す事ができない。ユリエルという人物の強さが憎らしくも感じる。
「勿論、私は死ぬつもりはありません。安心なさい、指一本でも動く間は足掻きますから」
「…笑えない話です」
「ならば速やかに準備をしなさい。勝率は、悪くないでしょ?」
これ以上は一方通行。そう感じ、クレメンスは深く溜息をつく。そして怒ったまま、踵を返した。
あれからも何度か進言したが、結局は聞き入れてもらえなかった。
部下の話では、先発隊として二千、その後千が出た。総数で三千の兵を相手にユリエルは千の兵で戦っているはずだ。無謀というより他にない。
確かにあの方の武勇はグリフィスに負けないものがあるし、いざとなれば本陣からも出兵する。だが、安全策とは言えない。
西側もにわかに騒がしくなった。城門が開き、ルルエの兵が出てくる。予想よりも少ない事からすると、既にそれほど人は残っていないのだろう。
「攻城兵器を死守しろ!」
声を張ったクレメンスは馬の腹を蹴って前へ出る。そして、鋭い剣の一撃で出てきた兵を一人二人と馬上から転がした。
雲梯を登り、数人の兵が城壁の上まで達する。味方弓兵部隊はそれを機に照射を止めて早々に降りた。これも作戦通り。後は後方に下がって援護をする。
そして攻撃を繰り返していた破城槌がとうとう城壁の一角に穴を開けたのを機に、兵は王都内部へと進んだ。
「外門を開けよ! ただし、民へは一切攻撃するな!」
少数のルルエ兵に対し、クレメンスが率いていたのは約三千。こうなればもう、多勢に無勢だった。
攻城が始まって一時間強。王都の堅牢な城壁は攻略され、東側と西側の門扉は重い音を立てて開放されたのだった。
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