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第61話 王都包囲網(レヴィンの憂い)
【レヴィン】
外が騒がしくなってきた。レヴィンは隠し通路に身を潜めたまま、外の様子を感じていた。
自然と緊張感が増す。流石にいつものような軽さはなかった。今頃外はどうなっているのか、直接は分からない。色々、予定通りに進んでいればいいけれど。
隠し通路の出口から様子を伺うと、丁度一人の兵士が傍を通った。レヴィンは手を伸ばしてその兵を通路内へと引きずり込み、押し倒すと手で強く口を覆った。
「外の様子はどうなっている?」
怯えきった兵が何かをもごもご言う。声を出せないようにしたのだから当然か。レヴィンは質問を変えて、問いかけた。
「外門は開いたか? 素直に言わないと、痛いよ?」
目を見開いた兵が怯えたままで頷いた。首に触れた肌で感じる脈の加速は、おそらく真実を語っているだろう。そうなれば、そろそろ動かなければならない。
「なるほど、それは助かった」
言って、レヴィンは力いっぱいその兵の鳩尾を殴る。くぐもった声の後、兵は気を失った。
その衣服を脱がして着込み、手足を縛りあげて口に猿轡をすると、レヴィンは城内へと堂々潜入した。
「まずは城門開けないとね」
城の中は既に騒がしい。これなら一人ちゃっかり紛れていても分からない。レヴィンも様子を合わせて焦ったふりをしながら、城門を開ける装置の場所まで走っていった。
城門を開ける滑車装置があるのは、城門のすぐ傍の一室。薄暗いそこに入ると、一人の将がそこを守っていた。
「どうした」
「ジョシュ将軍より、伝言です。状況が変わった、集まってもらいたいと」
キビキビと敬礼したレヴィンの言葉に、将兵は動揺しながらも疑ってはいない様子だった。立ち上がる。だが、ふとレヴィンを見て瞳を細めた。
「お前、誰の部隊だ?」
あぁ、ばれた。扉一応閉めておいて正解。
レヴィンは素早く走り寄り、その首を一突きにする。声もなく倒れた将兵が地に伏せて後、苦笑していた。
「こんな姿、シリル殿下には見せられないよね」
返り血を浴びた姿を見て、そう寂しく呟く。
想うのはあの屈託のない笑み。とても綺麗な少年が寄せる信頼の瞳だ。その綺麗なものに、この手では触れない。偽りでも綺麗な手でなければ、触れる事は許されないだろう。
「…やめた。雑念なんて抱いてる場合じゃないし」
頭をかいて一言漏らし、レヴィンは城門を開けるレバーを倒した。滑車と鎖が動く轟音と、周囲の騒々しさが混ざってまさにカオス。
そんな中、レヴィンは次の目的を達成する為に動き出した。
王都攻略の二日前。王都に一番近い砦で一夜を過ごしたレヴィンは、バルコニーから外を見ていた。
綺麗な月の見えるその場所には他に人もなく、なんとなくボーとするのに丁度いい。あまり騒ぐ気分ではなかったのだ。
その時、ふと一つの足音が近づいてくる。誰かは分かる。その足音は重くもなく、またほぼ音がない。こんな歩き方をするのはレヴィン以外だと一人だ。
「殿下も人酔いかい?」
砦の中から顔を見せたユリエルに、レヴィンは苦笑して言った。当然、そんな事ではないと分かっていた。
「隣、いいですか?」
「ここで出来る話ならね」
「変に隠し立てする方が怪しまれますから」
そう言って苦笑したユリエルを見て、レヴィンは気を引き締めた。どうやら予想以上にヤバイ話に思えたのだ。
隣に腰を下ろしたユリエルが、ふと月を見上げて瞳を細める。どこか、幸せそうに。
「綺麗な月ですね」
「だね」
「こういう夜は、好きです」
何かいい思い出でもあるのか、その雰囲気はとても柔らかく、不穏さはない。けれどなかなか話し出さないのは、躊躇っているのだと思えた。この人が躊躇うなんて、よほどだ。
「…ヤバイ話?」
聞いてみて、途端に空気が緊張した。それだけで、この人の用件は何となくわかる。
「誰を、殺せばいいのかな?」
ジェードの瞳が鋭く暗く光る。それは、確信だ。
なんとなく単身での潜入を言い渡された時に、予想はついた。城門を開けるのは大変だけれど、単身である必要はない。数人で攻めた方が本当はいいだろう。
けれど、レヴィン一人に任せた。そこに違和感はずっとあった。
「レヴィン。もしも王が生きていたなら、殺してください」
低い声が呟く。その言葉に多少、心臓は痛かった。ただ、予想はしていた。
ユリエルが王となるのに、現王が生きているんじゃ無理だ。死んでいるのが、しかもルルエ側が殺したというのが一番理想。単身で忍び込むレヴィンがその役をやるのが、一番無理がない。
「王が生きていては、国を取り戻してもまた荒れる。腐敗しきった家臣や役人が我が物顔で戻ってきては、意味がありません」
「だろうね」
まぁ、実際それだけじゃないだろう。
ユリエルの力量はこの戦いで示される。王都を取り戻した若く美しい王太子は、民の支持を得る。それに元々の基盤である軍部もユリエルを支持し続ける。
これに危機感を持たない腐敗役人はいないだろう。排除の方向へと向くのは明らか。
更に王はユリエルの後ろ盾にはならない。その状態でユリエルが上に立てるとは思えなかった。
「…シリル殿下を王にって言われたら、どうするつもり?」
ふと気になって聞いた。勿論、ユリエルがシリルを大事にしている事は分かった。それがポーズではない事も。ただ、状況が悪化すればどうするのか。それを聞いておきたかった。
「シリルでは今の状況を支えられませんから。多分、あの子自身が辞退してくれるでしょう」
「辞退しなかったら?」
「それでも、私があの子を脅かす事はありません。それに、私自身がそう長く王位についているとは限りませんしね」
「え?」
思いがけない言葉に、レヴィンはユリエルを見る。どこか寂しげな瞳が、自嘲気味に笑っていた。
「私は少々苛烈です。乱世においてはその方がいい。けれど、平和な世にはそぐわない。その時にはまた、考えます。よりふさわしくね」
「…ちょっと、意外」
「そうですか?」
「それでいいんだ」
「やる事が山積していますから、簡単に退くことはできないでしょう。ですが、いずれは。正直に言えばこうした事は、苦手なのですよ」
「またまた、御冗談を」
この人ほど、精神力の強い人も珍しい。国を導くその先も、その道も見えていて、それを成し遂げようという強い意志も見えるのに。
けれど、寂しく笑うその表情にはそれほどの力は感じられなかった。
「私は、詩人になりたかった」
「え?」
「何もかも切って、一人で気の向くままに旅をして、それとなく人と触れて、また旅をして。それも悪くないように思っていました」
弱く苦しく微笑む表情がどこか痛々しいと思えるのは、それが本心からの言葉だからだろうか。
レヴィンは色々と、誤解していたことに気づいた。本当はこの人も、それほど強くはないのかもしれない。
「…お前も不思議ですね。案外話ができる」
「あんまり無防備に話さないでよ。聞かされる方がちょっと痛い」
「少し、疲れているのですよ。それにお前は、不用意に他人に漏らさないでしょうから」
「…信じるんだ」
「同じ穴の貉でしょうしね」
自嘲の笑みが深くなる。レヴィンは困って、次にはポツリと呟いた。
「いいよ、お願い聞いてあげる。元気のない殿下なんて、気持ち悪いしね。俺からのプレゼント」
「いいのですか?」
「いいよ。これがさ、自分の手を汚さない奴のお願いなら聞きたくないけれど、殿下はそうじゃないって分かる。それに、一番危険な役回りをするんだから、そのくらいはご褒美貰ってもいいでしょ」
何よりレヴィンは見たかった。この人が作る国の形を。この人の理想を。その為の力となるなら、例え汚れた手でも求めてもらえるなら、構わないと思える。
王族など大嫌いで、堅苦しいのも大嫌いで、他人の為に損な役回りなんて御免被ると思っていたレヴィンの、それは大きな心の変化だった。
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