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第65話 鎮魂(2)

【ユリエル】  その夜、全ての葬送を終えたユリエルは寝付けずに、玉座の間にいた。そこには沢山の蝋燭が燭台に灯され、棺が一つ置かれていた。  棺の中に眠る父王は身を清められ、衣服も整えられて眠っている。不思議と、険しさも何もない穏やかな表情だった。  もう三十分程、棺の隣に腰を下ろしてその姿を見ているが、ユリエルにはこれといった感情が起こらなかった。流石に、涙の一つも流れるかと思ったのだが、そうはならない。随分冷たい息子になっていたようで、苦笑が漏れる。  ふと、暗い廊下から足音がした。とても静かなその音は、相手を確かめるまでもない。やがて蝋燭の明かりに照らされて、赤い髪が揺れた。 「あんま夜更かしすると傷に障るよ、殿下」  腰に手を当て苦笑したレヴィンは、傍の献花台から花を一本抜き取り、棺の中へと放り込んだ。 「寝室に行ってもいなかったから、ここかなって」 「私に用でしたか?」 「まぁ。最後の言葉くらい、話そうかと思って」  そう言ったレヴィンは、複雑な顔をする。今のユリエルよりもずっと、人間らしい表情だ。 「別に構いませんよ。恨み言でしょうから」 「すまないって、言ってたよ」  それは少し意外で、ユリエルは顔を上げる。  レヴィンはどういった顔をしていいのか戸惑った様子で、それでも口元に笑みを浮かべた。 「そんなに意外?」 「私の事など気にもかけていないと思っていたもので」 「気にはしてたんじゃない? 愛情ではなくても、後悔はしてたとか。申し訳ないって、思っていたとかさ」  そうなのだろうか。思っても、もう確かめる方法はない。この方法を取った事に躊躇いなど無いが、別れの前に聞いておけばよかった。自分の事を、どう思っていたのかを。 「殿下は、そんなにこの王様が嫌いだったの?」 「嫌い…というのは少し違います。そうですね…失望というのが、大きいのだと思います」 「失望?」  レヴィンに問い返され、ユリエルは頷いた。  自身の感情を冷静に振り返るという作業を、あまりしてこなかった。だが思い返せば、失望という言葉が一番しっくりとくる。十五年も前に、ユリエルは父を見限ったのかもしれない。 「シリルが生まれるまでは、王は立派でした。ただシリルが生まれ、正妃の父が実権を握って宰相となり、自分と懇意だった貴族を引き入れて古い者を冷遇した事をきっかけに、私は失望したのです。かつての威厳ある父はもういないのだと」  かつてこの国を動かしていたのは、『高貴なる血筋』(オールドブラッド)と呼ばれる古い貴族の名門だった。彼らは自らの血と歴史、そして国を誇りとし、自身の利益よりも国と民を優先する思想の持ち主だった。  その振る舞いは時に過剰で、王ですらも国の礎であるとして必要以上に敬いはしなかったほどだ。  そんな者達が十五年前のシリル誕生から、冷遇を受けてそれぞれの領地へと引っ込んだ。  正妃だったエルザ妃の父は成り上がりの貴族であり、実権を欲していた。そして娘が男児を生んだ時に動き出し、あれよあれよと国の中枢に入り込んだ。  この時に優遇された新しい貴族集団を『新たなる血族』(ニューブラッド)と呼ぶ者もいる。彼らは自身の利益や欲望を叶える事を優先し、結果国内は賄賂に汚職に不正が蔓延している。  ユリエルが今後戦わねばならないのは、こうした者達だ。 「王の子を生んだ母が冷遇され、毒殺され、王の妃として墓にも入れない。その時に私は、誓ったのです。いつかこの父を廃し、薄汚れた者を叩きだし、国を正常な状態に戻すと」 「随分、曲がったんだね」 「でしょうね。元々あまり素直な子供ではありませんでしたから。だからでしょう、シリルの素直さが私を癒したのは」  レヴィンは意外そうな顔をする。それに、ユリエルは緩く笑みを向けた。 「あの子と、あの子の母に私は救われた。父が私を冷遇しても、あの子の母は私を大切に愛情持って接してくれた。そしてあの子も、私を慕ってくれた。これが無ければ私はとっくに、暴君となり果てていましたよ」 「だからシリル様の事を大事にするんだ」  素直に頷いたユリエルは、少しだけ申し訳なく思う。  信頼していた母を亡くしたのは、十二歳の時。一人で生きるには辛すぎる年齢だった。その時に心のよりどころにしたのは、シリルであり、彼の母だった。  ふと、シリルの事を思い出したユリエルはマジマジとレヴィンを見る。そして、少し意地悪な気持ちになって真剣な表情を作った。 「レヴィン、お前はシリルとどこまで進んだのですか?」  その言葉には流石のレヴィンもギョッとして立ち上がり、慌てた様子で顔の前で手を振る。面白いくらいに大慌てだ。 「どこまでも進んでませんよ!」 「本当の事をいいなさい、怒らないから」 「だから!」  焦って顔色を変えるあたり、ユリエルは笑えた。そして素直に、楽しげに笑った。 「ったく、人の悪い。揶揄ったんですか?」 「すみません。ただ、お前がそんなに焦るとは思わなくて。あの子も意外とやりますね」  拗ねた猫みたいにツンとそっぽを向きながらも、どっしり腰を落ち着けたレヴィンに、ユリエルは楽しげに笑った。  シリルの変化はすぐに分かった。本人もあまり自覚はないのだろうが、随分とレヴィンを心に留めている。心配したり、彼の事でユリエルに意見したり。それは驚きもあったけれど、どこか微笑ましく思えた。 「レヴィン、いつかの貸しを返しましょうか?」 「なにさ」 「お前が望むなら、私はシリルとの関係に口を出しません。まぁ、シリルが望むのなら、ですが」  紫色の瞳が丸くなる。そして次には嫌そうな顔だ。 「ご自分の弟を、こんな素性の知れない男に引き渡すので?」 「お前の素性は関係ありません。実際、シリルがこれと決めたのならば止められはしませんしね。後は二人の問題です」 「ですが…」 「それとレヴィン。今回の事を罪と思わなくていいですよ」  冷静な声に、レヴィンの表情は強張る。向けるジェードの瞳はどこまでも静かで、強かった。 「私の命で動いたのです、私の罪です。お前は何も気にしなくていい」 「…無理を言わないで下さいよ。んな都合のいい話、ないでしょ」  項垂れて、呟いた言葉にユリエルは申し訳なく息をつく。  確かに、都合よくはいかないだろう。事実は変わらないのだから。それでもユリエルは庇うつもりだった。少なくともレヴィン一人を差し出すつもりはない。全力で守るし、隠蔽もする。 「すみません、レヴィン。やはりお前に頼むのは、酷でしたね」 「いいよ、それは。俺も納得済みで引き受けた。だからさ、気にしないでよ」  言って、レヴィンは腰を上げる。そしてユリエルにも手を差し伸べた。 「そろそろ休まないと、本当に体に悪いよ。無理にでも布団に入らないと。それとも、ロアール医師呼ぼうか?」 「それは勘弁ですね」  苦笑したユリエルは、素直にレヴィンの手を取って立ち上がる。そして、自室へと戻る事にした。  こうして、長い一日が終わりを迎えたのであった。

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