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第66話 初恋(1)
【レヴィン】
王都解放の翌日、聖ローレンス砦から王都へと戻ってきたシリルは父王の棺の前で泣き崩れた。その姿を少し遠くに見ていたレヴィンは、言いようのない痛みを感じて声を失った。
この子は知らないだろう。自分の父親を殺したのが、信頼を寄せているレヴィンだと。
知らないならば今まで通りでいい。何食わぬ顔で接すればいい。そう思うずるい自分とは別に、どんな顔をして接すればいいか分からない自分もいる。
考えてみれば、今までがおかしかったのだろう。王子であるシリルと、あんなに親密に話しをしたり接したりするのは。
ただ今までは非日常だったから。これからは、日常に戻る。
レヴィンは泣き声に背を向けて歩き出した。振り向くことはないと、心に決めて。
ここからは日常だ、触れ合う事もない。ならばもう、関わらない方がいい。あの子にとっても、自分にとってもこの関係にいいことはない。
そう思いながらもレヴィンの胸は痛んだ。傷を負うよりもずっと、潰れてしまって息が詰まる程に痛んだ。この痛みが何なのか、レヴィンには分からないままだった。
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【シリル】
王の葬儀はしめやかに行われた。静かな葬送はユリエルによって執り行われ、滞りなく終わった。
それから一週間ほど、シリルは忙しいユリエルの補佐として仕事をしている。主に内務だ。
大混乱の一週間だった。ユリエルは戴冠の儀もそこそこに仕事を始め、早速数人の役人の首を飛ばした。不正が簡単に見つかり、それに関わった人を処分したのだ。
色んな人が「横暴だ」とか「血の粛清だ」とか言うけれど、確かな証拠があり、それを国民も知った後での処分だったから、シリルには不当とは思えなかった。
「はぁ…」
溜息の多いシリルは、王の執務室の一角で表情を落とす。それに、ユリエルが顔を上げた。
「どうしました、シリル?」
「あぁ、いいえ…」
笑おうとして、シリルは失敗した。それくらい、気がかりは日に日に大きくなっていく。不安が胸を埋めるようになってきた。もう、一人では対処が難しいくらいに。
「…少し、休憩しましょうか」
様子を見たユリエルがそう言って立ち上がり、忙しく歩き回る人々に声をかけて人払いをしてくれる。それが済むと扉に鍵をかけて、シリルの傍に腰を下ろした。
「何か、気がかりがあるのですか?」
「…はい」
すぐに気づいたみたいで、苦笑のままユリエルがそんな事を言う。それに素直に、シリルも頷いた。
「あの…自信はないのですが…。好きな人が出来たのかもしれません」
どう表現していいのか分からず、それでも考えて自分の気持ちを素直に伝えてみた。
「信頼している人」「仲のいい人」「お友達」どれもしっくりこない。「好きな人」というのが一番、感情的に合っている気がした。
「それで?」
とても穏やかな瞳がシリルを見る。それに勇気を貰うように、シリルは話し出した。
「その人はとても強くて、かっこよくて。僕みたいな子供の事も大事にしてくれる人なんです。優しくて…勘違いしてしまいそうです」
城を脱出した日、辛い事も突きつけられた。けれど、考えるきっかけにはなった。大事な事から目を反らさないようにと、言われているような気がした。優しいだけじゃない、見てくれる人。
「その人がいたから、僕は不安な日々も乗り越えられたと思います。甘えではなく、やれることを精一杯やろうと思えたのです。今もそうです。色んな人が僕に何かを言っても、僕は自分の信念を強く持って立っていられます」
王都に戻り、父王の葬儀を終えた翌日くらいから、色んな人が手土産を持ってシリルの所に日参するようになった。それに物凄く違和感があり、同時に拒絶を感じた。
明らかに兄を無視し、シリルを王にという言いようなのだ。
ユリエルの苦労を知った気がした。レヴィンの言葉が分かった。色んな人の思惑や欲望が見えるようになって、それが苦しく思えた。
それでも頑張れるのは、自分をしっかり持つことができたから。そしてそういう自分になりたいと思わせてくれたのは、誰でもないレヴィンなのだ。
「僕にとって、とても大切な人です。でもその人の様子が、ここ数日おかしくて…」
「…避けられていますか?」
その言葉にシリルは頷く。それと同時に、その行動の原因はやはりユリエルなのだと確信した。
「怖いんです、僕。その人に嫌われるのが、とても。怖いから、強く出られません。秘密も多い人です。その秘密を打ち明けて欲しいなんて、言えません。僕は子供で、弱くて、その人の為に何もしてあげられないから」
「そんな事はありませんよ。その人はきっと、貴方に知られたくない事が多いのです。それが、国に関わる事だから」
「分かっています。その人が…人に言えないような事をしているだろうということは。それが、兄上に繋がっている事も」
シリルの目が鋭さを増す。
こんな目で、ユリエルを見るのは初めてだ。それでも譲れない。今シリルは、必死につかみ取ろうとしているのだから。相手がたとえ兄であっても、手を緩めたら本当に届かなくなってしまう気がした。
「単刀直入に聞きます。兄上は、レヴィンさんに何を命じたのですか」
逃げを許さない瞳が、ユリエルを射る。ユリエルもその視線を真っ直ぐに受け止めて、一つ頷いた。
「父の暗殺を、ルルエの仕業に見せかけて行うようにと命じました」
「…」
シリルはどこかでこの言葉を予想していた。けれど実際ユリエルの口から聞くとそれは、苦しかった。
父がユリエルを冷遇していたのは知っていた。その原因が、自分である事も。約束を反故にし、冷たくあしらい続けた父を恨んでも、何ら不思議ではない。
そう思うと、飲みこむ事ができた。
「父は国政を家臣や役人に任せきり、その暴走を止める力を失っていました。そうした政治家を名乗る者が多くの予算を自らの懐に入れ、本来国民の為に使われるはずだった予算が消えていく。飢えて物乞いをする者や、傷ついて倒れていく者、幼くして体を売る者を見てきました。王としての力を失った者が再び玉座に戻れば、同じことが繰り返される。それだけは、できません」
シリルが知らなかった父の姿を、ユリエルは沢山見てきたのだろう。それはシリルも感じていた。周囲の者の姿も、見てきた。
「…僕は、邪魔ではないのですか? 僕がいれば、兄上の地位は危ないのでしょ? 僕さえいなければ、兄上は堂々と国王として即位できるのに」
ユリエルは厳密には、まだ即位していない。暫定的に王として振る舞っている。戴冠の儀式は用意していても、本当の意味でそれを喜ぶ重臣は少ないと聞いている。
ユリエルの表情はとても悲しそうだった。そこに、何か偽りがあるとは思えない。憎しみがあるとは思えない。
「これ以上父を生かしておいては、国が乱れる。けれど、貴方は私にとっても大切なのです。疲れた気持ちを奮い立たせてくれるのが、貴方なのだから」
苦しそうに、悲しそうに、ユリエルは言って笑う。その姿を見て、シリルは胸に決めた。
いつかこの兄の為に力になりたい。その為には、もっと沢山を学ばなければ。もっと強くならなければ。
「僕は、兄上の力になれますか? いつか、レヴィンさんや兄上の隣に、いられるようになりますか?」
「貴方が努力すれば。まずは、レヴィンの心を叩いてごらん。彼はきっと、貴方とのことを悩んでいるのです。少し強引でも、素直に伝えて御覧なさい」
シリルは素直に頷いた。ユリエルとこうして話ができたのだから、レヴィンともきっとできると信じている。
シリルはしっかりと、目的を見つけて歩み出そうとしていた。
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