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第68話 毒虫(1)
【ユリエル】
王都解放から一カ月が経った。相変わらず、ユリエルの周囲では悪意が渦を巻いていた。
「陛下、いささか臣を軽んじてはおりませぬか?」
ユリエルに拝謁を願った重臣が、睨み付けるようにユリエルを見る。それに、ユリエルは鋭い瞳を向けた。
「と、言うのは?」
「陛下が玉座に着いて一月、多くの役人が失職、処刑となりました。臣がそれをどのように思っているか、陛下もお分かりでしょう?」
挑むような言葉には、自分たちに負けはないという思いがあるのだろう。
だがユリエルも負けるつもりはない。冷気を帯びる様な瞳が、膝をつく重臣へと向けられた。
「相応の罪を犯したと、認識しています。国の法において、税の着服や横領は重罪。処刑された者はその額も多く、悪質でした。罪を国民に張り出し、公開での裁判の結果です」
「国を背負ってきた者を大切になさっていただかなくてはと、言っているのです」
「都合よく法を曲げ、お前たちにうま味のある話をしろと、言いたいのですか?」
その言葉には流石に、重臣は片眉を上げた。
「国は民のものであり、民があって国がある。王も臣も民なしには存在しない。私はその信念の元、民に背き国の法に背く者を処罰しただけです。この言葉は役人も、政を司る者も等しく誓う言葉だと思いますが、違いますか?」
「…陛下の仰る通りでございます」
重臣は重く口を開き、肯定した。だがその表情や立ち上る気配は、納得などしていなかった。
「では、己の職務を真っ当しなさい。私はそれのみで、判断をします」
話しはこれだけだと言わんばかりに、ユリエルは視線を外した。
やらねばならない事は多い。日々の報告に目を通し、少しでも多くこの国の膿を出してしまわなければ。
そう思うユリエルの耳に、重臣の言葉が底意地悪く聞こえてきた。
「そう言えば、陛下。シリル様は今どのようにお過ごしですかな?」
それに、ユリエルは顔を上げる。その顔には、冴え冴えとした笑みがあった。
「変わりなく息災です」
「それは何より。あの方は唯一、この国の正当な王子。いずれは、この国を背負う方ですからな」
「…何が言いたい?」
飛ぶような殺気が、部屋の中を一瞬走った。それに、重臣の顔は明らかに青くなった。
だがユリエルは気配を抑える事はしなかった。立ち上がり、一歩前に出る。剣など抜いていなくても、剣を抜いたような感覚があった。
「シリルは王位の継承を、私に任せました。皆の前で宣言され、書類として起こしたはずです。何か、言いたい事でもありますか?」
「血の正当性は何よりも正しいものだと言う事を、一般論として申し上げたまででございます」
「今はルルエとの関係も緊張状態が続いている。非常事態だ」
「さようでございますな」
言って、重臣は頭を下げて去っていく。それを見送ったユリエルは、どっしりとソファーに腰を落とした。
何とも陰険なやり取りが続いている。この一カ月ずっとだ。戴冠の儀式を終えて正式に王となってもこれだ。
頭痛がする中しばし目を閉じていると、穏やかなノックが響く。面倒そうに顔を上げたユリエルの前で平然と扉は開いた。
「おや、お疲れのようですね陛下」
「クレメンスですか」
上辺だけの笑みを浮かべたクレメンスが、手に沢山の紙束を持ってくる。それを見ると余計に頭痛が酷くなるようだった。
「お疲れですね」
「見ての通りです。やはり私に国王は似合わないのでしょうね」
「またまた、御冗談を。貴方ほど王として立派にやっている者はおりませんよ」
そう言うと、クレメンスは容赦なくユリエルの前に紙束を置いた。
「ざっと諜報を使って集めた、役人や貴族、家臣の不正。裏付けは必要だし、証拠探しは大変かもしれないけれど」
「まったく、どこまで腐っているのでしょうかね。どれだけ切ってもきりが無い。いっそ何かで全員死んでくれれば憂いがありません」
「怖い事言いますね、陛下」
思わず本音が零れるユリエルに首を竦め、クレメンスは同情的な視線を向けた。
その時、またノックの音がして一人の男が入ってきた。グレーの髪に、同じ色の瞳をした初老の男はユリエルに一つ丁寧に礼をして、傍へときた。
「陛下、ロアール医師がみえていますが」
「あぁ、傷の健診でしたね」
面倒だが仕方がない、ここでごねれば余計に面倒になる。ユリエルは立ち上がった。
「傷って、ジョシュ将軍から受けた傷がまだ癒えていないので?」
驚いた顔のクレメンスに、ユリエルはきまり悪く笑って頷いた。
実際、傷は未だに癒えていない。既に痛みはないのだが、治りが遅い。相当深かったが、それでも剣を握れなくなるようなものではなかったのに。
「疲れているんだよ、陛下。休んでいますか?」
「まぁ…」
「嘘でございます。遅くまで執務室の明かりがついているのを何度も見ております。陛下、健康も職務の内だと何度も申しておりますが」
「ダレン…」
二人から非難めいた目を向けられ、ユリエルは苦笑した。勿論これが気遣いなのだと分かっているが、どうしても自分を労わるよりもやるべきことを優先してしまっている。
「まぁ、ロアール医師にこってりと怒られて下さい」
言うと逃げるように、クレメンスは執務室から出て行ってしまった。
程なくして、ロアールが入ってきて傷の診察をした。物凄く怖い顔で。
「休息が足りない。体が疲れたままじゃ、傷の治りが遅い。言っただろ、ユリエル坊ちゃん! お前が倒れて喜ぶような奴が多いんだから、そうならないようにしろって!」
「大丈夫ですよ、このくらい」
「このくらいって…」
「問題は食事と水ですかね。相も変わらずです。そろそろ諦めればいいのに」
「それって!」
ロアールとダレンの表情が途端に険しくなる。言いたい事が分かったのだろう。
「探りますか?」
「どうせトカゲの尻尾切りです。気を付けていますから、放っておきなさい」
真新しい包帯を巻いた腕をしまい、ユリエルは溜息をつく。どれもこれも、気が重くなった。
「…少し、気分転換に出られてはいかがでしょう。視察という名目で」
「視察?」
ユリエルは顔を上げてキョトンとする。仕事に煩いダレンからの申し出に、多少の驚きがあった。
「北の地をお分けになったのでしょ? 一度、ご覧になっては」
ダレンが誰の事を指しているのかは分かった。そしてユリエルも少し考えて、その言葉に従う事にした。正直城の中にいすぎて、そろそろ息ができなくなってきたところだった。
立ち上がったユリエルは久しぶりに、少し遠乗りに出る事にした。
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