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第70話 悲愴(1)
【ルーカス】
タニスを離れて一カ月、ルーカスは一人キエフ港へと降り立った。その表情は暗く沈んだままだが、離れた時のような激しさはなかった。
ルルエに戻ると、これ見よがしに教皇はルーカスを責め立てた。遠回しに「無能だ」と言われることは腹立たしかったが、反論する気力もなかった。
それでもジョシュが作戦から実行までの責任者であったこと、そのジョシュが最後まで戦って死んだ事で同情も起こり、ルーカスへの国民的非難は起こらなかった。
もとより国民に寄り添うような王であるルーカスを、民は悪く言わない。また、内政を行う者達もルーカスには協力的だった。
そして今、ようやく頭を冷やす事が出来たルーカスは一人この地に降り立った。国の者にはジョシュの喪に服すと言って、引きこもっている事にして。
目的は二つ。ジョシュのその後を知る事と、リューヌに会えないかという事だった。
沖に出た船から見た炎は、おそらく兵の葬儀だったのだろう。海からも見えたあの炎の大きさは、今でも目に焼き付いている。
悔しく、歯がゆい思いだった。それでも、キエフから王都へと向かう道中に遺体が転がったまま放置されている感じはない。
両国の兵を一緒に合葬したのだろうと、分かる。そうでなければ今もまだ、哀れな姿で転がっているはずだ。
港から王都へと向かう道中、ふと大きな碑が見えてそこへと立ち寄った。そこにはタニス王ユリエルの名と共に、兵を悼む言葉が書かれていた。
「この地に眠りし数多の者よ、どうか願わくは黄泉の世界では、誰も憎まず恨まずに、国の違いなく安らかであれ」
この言葉を読んで、ルーカスの瞳から僅かに涙が一筋流れた。そして膝をつき、手を合わせて全ての者の冥福を祈った。ルーカスもまた、この言葉と同じ事を願ったのであった。
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【ユリエル】
ユリエルは疲れ果てていた。
連日重臣がやってきては「王の遺言は本当になかったのか」「正統の王は正妃の子であるシリルではないか」「横暴が過ぎる」と言い立てる。
本当に頭の痛い話で、いい加減全て切り捨てた方が早いように思えてきた。
疲れた時、ふと登り始めた月を見た。綺麗な丸い月だった。
「エトワール…」
あの温かな腕が恋しい。激しいまでの情愛が欲しい。心身共に疲れている今、一番傍にいてほしい相手を思い、ユリエルはいても立ってもいられなかった。
髪を染め、着替えて飛び出すように出かけた。いるとは限らないが、何か呼ばれているような感じがあった。
そうして王都の噴水の所まできた。最初にエトワールに出会った場所だ。
街はあの時と同じく、とても静かで人の気配はない。今は前王の喪が明けきっていない。酒場などに人はいても、噴水広場には人の姿はなかった。
そんな中、噴水の縁に腰を下ろす影をユリエルは見た。黒い髪に、黒を基調とした衣服を着た彼は、なんだか様子が違って見えた。
「エトワール?」
愛しいはずのその人は、まるで苦しく喘いでいるように思えた。辛そうな金の瞳が見上げ、力なく笑う。もがく辛い姿を見て、ユリエルの胸は締め付けられるように痛んだ。
「リューヌ」
名を呼ぶ声に力がない。ユリエルは心配になって駆けるように傍に行く。エトワールは座ったままユリエルを迎え、その手の甲に口付けをした。
「どうしたのです、エトワール。何かあったのですか?」
不安にかられて問うと、エトワールは苦しそうに微笑み、一つ頷く。そして、とても辛そうにユリエルを見上げた。
「どうしても、君に会いたかったんだ、リューヌ。どうしても最後に、君の顔を見て、君を抱きしめて、ちゃんと別れを言いたかった」
「別れ?」
その言葉に酷く胸が締め付けられる。不安が加速して、頭痛がする。
ユリエルは苦しくて、泣きそうだった。今の辛い状況で頑張れるのは、エトワールの存在があるからだというのに。
けれど、エトワールは頷く。その瞳は同じく辛そうで苦しそうだったが、その奥には何かを秘めた強い力があった。
「リューヌ、これでお別れだ。俺は国に戻って、やらなければならない事ができた。もう簡単に、旅に出る事はできなくなる。遠くに行くんだ」
「遠く?」
エトワールは頷く。そして一度息を吐き、確かな瞳でユリエルを見た。
「俺は、ルルエの出身なんだ。国に戻って、託された事をやらなければならない。旅人を終えなければならない。だから、これが最後。君を探して、どうしても俺の口で話したかった。会えてよかった」
その言葉は今、ユリエルをとても深い悲しみへと落とすようなものだった。
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