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第76話 悲劇の前夜(ルルエ)
【ルーカス】
ルルエの兵が続々と、ラインバール平原にある砦に集まってくる。
ここは国境の平原であり、長年どちらの国にも属さぬままであった。周囲を森と山が囲うすり鉢のような平原。両国が面している部分だけが平地となっていて、それぞれに砦と壁がある。
ここの覇権を奪った国は、進軍において圧倒的に有利であった。
地形として、攻め込むにはこの平原を制するほかにない。森は霊山の麓にあたり、神域として戦を持ち込む事も切り倒す事もできない区域。この森と霊山が、国を東西に二分している。長年、両国の王はこの禁忌を侵す事をせず、平原の覇権を奪い合っていた。
「本体はラインバール平原の奪取を優先する。船団五百は港を警戒しろ。海上からの侵入を許すな」
「相手の船団にそれほどの注意を払う必要はあるのでしょうか?」
ルーカスの言葉に、まだ若い兵が怪訝な顔で言う。若いが身なりは立派で、それなりの地位にある事が伺えた。
「ガレスの言う事も分かる。だが、奴らの船団は腕が立つ。何より頭がいいからな。こちらに気を回している間に国内に入られることは避けたい」
キエフに兵を送りこめなかったのは、ひとえに海賊崩れの船団が原因だ。奴らは海を良く知っている。これを軽視する事はできなかった。
もしも国内に入られれば、内側から仕掛けられる。それは面白い状況ではない。
「そんな悠長に構えていいのかい、陛下。奴等、戦う気満々でしょ。このまま総力戦になると、正直勝敗が見えないよ」
窓際に腰を下ろしている、小柄な少年が呑気に言う。当初そこに人はいなかった。敵方の偵察に行っていたのだが、いつの間にか戻ってきたらしい。
「ヨハン、様子はどうだった?」
「戦力としてはこちらと同じくらい。大型の兵器も見えたかな。僕もあまり詳しくは探れなかったよ、怖くてさ」
溜息をついた少年は軽い身のこなしで窓際を離れる。
癖のある黒髪が跳ねながら揺れ、大きな猫のような緑の瞳が輝く。小柄で、装備らしいものはつけていない。革の胸当てに、グローブにブーツ姿。腰には武器を引っ掛ける為のベルトがあるばかりだ。
「それにしても、タニスがここまで馬鹿だったとは思わなかった。こちらの親書を一切無視するなんて、礼を欠いている」
ガレスと呼ばれた赤髪の若い騎士が腕を組んで憤慨するのを、ルーカスは苦笑して見る。だが、その心は深く沈んでいた。
ルーカスは親書を二通出した。
最初の物は話し合いの場を持ち、平和的に両国の関係を改善したいという内容だった。キエフと王都の間に立つ戦没者の慰霊碑を見て、ユリエル王とは話ができると思ったのだ。
だが結局、それに対する答えは返ってこなかった。それどころか、親書を託した者も帰ってこなかった。
「あちらも、このままでは済ませられないのだろう。やられたまま、話合いなどできないということだ。あちらがその気なら、こちらも戦わねばならない。俺には、望む未来がある」
両国の憎しみの連鎖を切る。一度は一つとなった国ならば、同じようにできるはずだ。
何よりこのまま両国が憎み合い、争いあうことに何の意味があるというのか。悲劇が憎しみを生み、新たな憎しみを作り出すだけだ。
なんとしても、この憎しみの連鎖を断つ。これが、ルーカスが王となった時に誓った事だった。
同じ心を、タニス新王ユリエルも持っていると感じたが、読み間違ったのかもしれない。
憎しみと悲しみの連鎖を止めるのは、互いの理解だとルーカスは思っている。許す心があれば、違うもので繋がれる。既に両国は多くの血を流した。もう、両成敗でいいはずなんだ。
「二つの国の溝を埋めるのは、理解と許す心。だが、タニスはそれを拒絶した。ならば戦って、弱らせてからだ。こちらが優位に立てれば、あちらも聞く耳を持つだろう」
金の瞳が強く光る。それに、その場にいる三人の人物も深く頷いた。
「ガレス、前線を任せる。だが、無理に追うな。タニスは強い」
「了解、陛下。俺の力を存分に使ってくれ」
「ヨハン、森を抜けてタニス陣営の懐に入れ。大型の攻城兵器を破壊し、陣中を混乱させてもらいたい」
「任せてよ」
「キア、君は砦に残り後方の支援を。もしも砦が被害を受け、侵入された時には退陣の合図を送ってくれ」
「畏まりました」
淡い金髪を揺らした一番年若い少年が、丁寧に頭を下げる。
ルーカスは皆を一度見回し、一つ頷いた。それに、他の三人も強い意志を込めて頷くのであった。
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