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第79話 悲劇の前夜(戦士の夜)
【グリフィス】
戦いの前夜ともなると、戦士の昂ぶりは仕方のない事。それはグリフィスほどの猛将でも同じこと。眠れなくて、剣を片手に修練場へと出る。そして、素振りをしていた。
「そんなに頑張ると、明日に響くぞ」
「ロアール先生」
背後で声がした。そこには酒を片手にしたロアールがいる。汗を軽く拭いて剣を置くと、グリフィスはそちらへ向かう。
「お前はよく、戦場に出る気になるな」
苦笑して迎えたロアールに、グリフィスも同じように苦笑する。
「何を言うのです。貴方だって昔は戦場で剣を握っていた。それは綺麗な、戦場の舞姫と呼ばれるほどの使い手だったのに」
「何年前の話をしてるんだよ、お前は。俺は戦場が怖くなって逃げだした、駄目人間だ」
酒を飲み、遠い過去のような口ぶりで言うロアールに向かって、グリフィスは力なく笑う。彼の心が既に戦場にない事は知っている。だがそれでも、その才は失うのが惜しいものだった。
ロアールはかつて一万の兵を率いる将兵だった。華麗で的確な戦い方は、まるで剣舞を舞うような姿だった。まさに正確無比な剣。
だがそんな彼がある日、突然と剣を置いてしまった。そして、軍医になったのだ。たまたまそちらの才能もあったから今があるが、そうでなければ何をしていたのか。
「どうして、剣を置いたのですか」
グリフィスの問いに、ロアールは口を閉ざして考えた。
遠くを見る目は、決してグリフィスをみようとはしない。だが、逃げる様子もない。とても不思議な存在に思えた。逃げないけれど、近づかせない。掴みどころがなかった。
「グリフィス、お前は家族を殺された子供の顔を、見たことがあるか?」
「それは…」
不意の問いに、グリフィスの表情は曇る。
グリフィスにも覚えがある。仲間を、友を、家族を殺された人の顔は鬼のようだ。本当にこのまま殺されるかもしれないと思えるくらいの、憎しみの顔だ。
「俺は、生きてる人間が好きなんだ。人ってのは、生きて笑ってる姿が一番綺麗でいいんだよ。俺はその為に戦っていると、思っていた。だが…そうじゃないんだよな」
「…言いたい事は、分かります」
戦は人が死ぬ。笑う人間もいる。だが、泣く人間もいる。憎しみが生まれる。この先に、笑って暮らせる世界があるというけれど、時々それが見えなくなる。奪い尽くし、殺しつくすまで終われない。そんな思いを抱いた事が、グリフィスにはあった。
「グリフィス、お前は何の為に戦う? 利権を貪る狸どもと戦って、若い王を立てるその先に、本当に未来は見えるのか?」
ロアールは絶望したのだろう。終わりの見えない戦いの日々に疲弊し、見ていた未来を見失ったのだろう。ならば、剣を置いた理由も頷ける。
だが、グリフィスは違った。まだ大きすぎて見えない未来を捉えるのは容易ではないが、ユリエルという王を通してならば見えるように思えた。
「俺は、笑って剣を置いて暮らせる世界を、見ています」
「くると思うのか?」
「信じなければ何も得られないと思いますが? 俺は、信じる事にしたのです。ユリエル様はそれを叶えるために、力を尽くしている。支えるのが、俺の役目です」
信念は貫かなければ叶わない。叶えなければならないのだ、犠牲になった全ての者の為にも、自分の為にも。これまでを無駄にはできない。
ロアールが深く瞳を閉じる。そして、ぽつりと呟いた。
「俺は今でも覚えている。たった十二の子供が、母親の墓前で涙を流す事もできずに黙っていた。倒れてしまいそうな程幼いのに、倒れないと意地になっていた姿を」
「それは…」
ユリエルの幼い頃の話は、グリフィスも知っている。ロアールはユリエルの剣の師だ。ユリエルの今の剣は、ロアールのそれを引き継いでいる。
「あの姿を見ると、俺は可哀想に見えた。人はあいつを強いと言うが、俺には今でも強がりに見える。グリフィス、あいつの強さは脆さがある。大きすぎる期待を背負い、毒を抱えたまま無茶をする。一人にするなよ」
「勿論、一人になどしません」
誓うように言うと、ロアールは頷いて背を向ける。ひらひらと手を振って、その場を後にしてしまう。
残されたグリフィスは頭をかいて剣を納め、自室へと戻っていった。
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