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第98話 リゴット夜戦(4)

 扉の脇にあるレバーを下げると、滑車が回り扉が開く。そこには今にも扉を破ろうと衝車がセッティングされていた。 「すみません、遅くなりました」 「無事ですか!」 「えぇ。ですが、ルルエ王と対峙することになり、足止めされてしまって」  急き込んできたグリフィスに頷いて状況を伝えたユリエルの背後で、大きな音がする。それは明らかな爆音だった。  クレメンス、グリフィス、レヴィン、ユリエルは急いで音のした方へと走る。そして城から直接つうじている扉を開け、橋が中程で破壊され、完全に落ちているのを見た。 「しばし勝負は預ける」  夜風にマントをはためかせるルーカスの響く声。対岸から姿を見せた彼はそう一言残して踵を返す。その背を、ユリエルは切なく見つめた。これで、数か月は彼と会えないだろう。 「それにしても、見事に破壊されましたね。これは修復に時間がかかりますよ」  谷底を覗き込むように見るクレメンスが渋面を作って唸る。谷底は見えるがかなり深い。そう簡単には直りそうにないのは、有難かった。 「石工を呼んで修復をさせます。それまでは動けませんね」 「至急呼びます。陛下はまず、治療を受けてください」  体中と言っても過言ではない傷の量に、クレメンスが更に眉根を寄せて気遣い、部下の一人を走らせた。ロアールはまだ本陣にいるのだろう。ユリエルも素直に応じ、立ち上がって砦の中を見て回った。 「武器と食糧はほぼ持ち出されていますね。大砲は部品が抜き取られて、使用できなくなっています。こちらも直しますか?」  部下に倉庫や備品の状態を確かめさせていたクレメンスは、道中の報告を受けてユリエルに伝える。まぁ、予想していた事だった。 「ルルエ王の足止めが長かったので、その間にやられたのでしょう。私としたことが、失態ですね」 「無茶も大概にしてもらいたいものです。陛下、金輪際このような無謀な事は許しませんので、ご理解ください。まったく、これではどうして俺が貴方についているのかが分かりません」  溜息と叱責はグリフィスだ。それに、ユリエルも苦笑が隠せない。だが、もうこれほどの無理をするつもりはない。この砦を落とす理由は大きく、これだけの無理をする価値があるのだから。  一つに、いくら難攻不落の砦とは言え睨みあうばかりではせっつかれる可能性があった。ユリエルを陥れたい者達が騒ぎ出すのは精神的にも面倒だったのだ。更に、前方の戦をしながら後方の国内整理をするのは心身ともに疲れる。  ルーカスの性格を考えると、彼は砦後方の町を守る為に橋を落とすだろうと予想できた。この橋が落ちてしまえば行軍は物理的に不可能。公然と休戦できる。今見た感じでは、復旧には数か月かかるだろう。国から距離がある事を考えれば、半年くらい稼げるかもしれない。  その間に、国内の問題を片付ける。  扉付近で駆けつけたシリルと合流し、最上階の執務室兼寝室へと向かう。二つの部屋が内ドアで繋がっている。片付けられた室内の暖炉はまだ炎が燻っている。それを見て、クレメンスは嫌な顔をした。 「抜け目のない方です、ルルエ王は」  暖炉の中で燃え尽きた紙片を見つけ、クレメンスも重要な情報が灰となった事を悟ったのだろう。その傍についたグリフィスもまた、苦笑した。 「わぁ、鷹だ!」  遅れて室内に入ったシリルが真っ先に、窓際に置かれた鳥かごの中にいるフォレに気付いて近づいて行く。だが鷹のフォレは鋭く鳴いて威嚇し、その声に驚いたシリルはユリエルの傍へと下がった。 「ルルエ王の忘れ物だろうか?」 「そうかもしれませんね。私と戦った後は真っ直ぐ階下へと逃げましたから。この子を取りに戻る時間はなかったのかもしれません」  平然と嘘をついて、ユリエルは鷹へと近づく。当然グリフィスは止めた。だが、ユリエルは恐れはしない。フォレは彼がユリエルに託したものだから、愛しさすら感じられる。  扉を開け、腕を前に出す。首を傾げながら、鷹のフォレはその腕に乗った。 「兄上凄い」 「よく訓練された鷹だね。多分、連絡用なんじゃない?」  ヒョッコリと顔を出したレヴィンが言う。それに、ユリエルは苦笑を浮かべた。  その手に弓は持っていないが、多分壁面を登っている時に助けたのは彼だ。彼がいなければ、今頃眉間に矢を突き立てられて地面に転がっていただろう。 「俺にも懐くかな?」 「胡散臭い人間には懐かないだろうな。それよりも陛下、その鷹は手紙などを持ったままではありませんか?」  足についている連絡用の筒を外してクレメンスに渡すが、中は勿論空っぽだ。彼がそんな愚は犯さないだろうと思っていたから、安心して渡したのだ。 「まったく、抜け目のない人だ。これではあちらの事はほぼ分からないままです。弱点なりを突ければと思っていたのですが」  クレメンスは溜息をついて頭をクシャリとかく。グリフィスは同情的な表情をしたが、あえて何かを言いはしなかった。 「さて、悩んでも仕方のない事ですから、とりあえずお開きにしましょうか。今後の事は明日にでもしましょう」 「そしてお前は治療だ。この馬鹿者が」  戸口に、いたくご立腹な様子のロアールが立っていた。それに、ユリエルはバツの悪い顔をする。このボロボロの状態を見たロアールのご立腹加減はきっと、湯気が出るほどだろう。 「さ、全員出て行きな。さもないと…」  目をギラギラ光らせたロアールの姿に、誰が逆らえるものか。特に軍人は医者嫌いが多い。かく言うユリエルもだが。  全員が出て行った後、ロアールは手持ち鞄から薬と包帯を取り出し、丁寧に傷を洗って塗り込んでいく。これがまた痛いのだ。 「縫うような傷はないな。だが、これだけ作れば立派だ」 「すいません」 「謝るくらいならやめろよ、ユリエル坊ちゃん。お前に何かあれば、国の大事だ。シリルに背負わせられるほど、軽い国じゃないだろ。あいつじゃまだ、国の毒には勝てない」  忠告はよく分かる。今のシリルでは心もとないだろう。だが、自信の問題だろうと思う。後は自衛の問題か。あの子は十分に能力を持っている。それは今、開花し始めているだろう。  それでもユリエルがいなければ倒れてしまう。それは十分に理解している。 「分かってるなら、今日は大人しくしていろよ」 「えぇ、分かりました」 「あ、それともう一つ。アルクースからのお使いがきて、明日こっちに来るそうだ」 「わかりました」  軽く受け流し、ユリエルは体をベッドに沈める。すぐにロアールも出て行くから、ユリエルは一人になれた。  ベッドには、まだ香りが残っている。温かな彼の香りだ。そこに包み込む腕はないけれど、そんな錯覚を描くことはできる。 「ルーカス…」  うつ伏せで枕に顔を埋めると、ふと紙のような物を枕の下から見つけた。それを引き出すと、綺麗な便箋に書かれたメッセージが置いてあった。 『ゆっくり休んでくれ。夢の世界で、また会おう』 「あ…ははははっ」  もう本当に、彼はどこまで溺れさせるのか。こんなメッセージを、こんな所に置いて行くなんて。  ひとしきり笑って、その後は気持ちが落ち着く。ゆるゆると眠気がきて、ゆっくりと瞳を閉じた。彼ではないけれど、夢で構わないから会いたい。肌に触れ、唇を重ね、気持ちを確かめたいと願って。

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