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第97話 リゴット夜戦(3)
「陛下!」
漆黒の衣服に大剣を構えたルーカスの視線が、すぐ間近にある。興奮したものが、一気に醒めるような気がしてくる。
だが同時に、楽しくもあった。彼と剣を交えるのは、これが初めてだ。
「ガレス、お前も下がって退却の準備だ。ここは俺が引き受ける」
「ですが陛下!」
「早くしろ! 二人で立ち往生している場合ではないぞ」
鋭い命令の言葉に、ガレスはその場を離れる。それを見届け、ユリエルはルーカスの剣を押して飛びずさった。
「は!」
ユリエルの剣は鋭さを失っていない。容赦なくルーカスを狙って突き込む。だが、ルーカスもそれを華麗に受け流していく。そして、一瞬の隙に距離が縮まり、剣を受けた。
痺れるように重い剣だ。その力だって強い。瞳は鋭く、だがどこか甘く。
こんな場面なのに、なんて魅力的な表情をしているのだろう。今にも甘い声で誘い込まれそうな、そんな予感さえあった。
「もう少し、真剣にやれ!」
余裕過ぎる彼に声を投げ、剣を押し込み距離を取り、ユリエルの剣がその首を狙って突き込む。だが、ルーカスは余裕の表情でそれを交わし、逆に一歩踏み込んで手首を掴み上げる。腕を引かれバランスを崩したユリエルは抵抗できないままに彼の胸に納まり、深く口づけていた。
「んぅ…」
いきなり深く侵入した舌が、熱く絡み悪戯をする。弱い部分を掠めるたびに、体から力が抜けていく。頭の中が甘く溶かされて、体の芯が熱くなって、騎士の顔から恋人へと変えられていく。
「ふぅ…ふぁ…」
息が苦しくなるくらい長く感じる口付けに、クラクラする。腰に回った力強い腕がなければ、情けなくへたり込んだだろう。それくらい巧みで、甘くて、情熱的だ。
唇が離れる。至近距離で見つめる瞳に、もう厳しさはない。あるのは大きく包むような優しさと、誘惑する甘い熱だ。
「無茶をしてくれる。こんなに傷がついて」
額、頬、肩、腕。小石が掠ったり、矢が掠ったりした傷に気遣わしく触れたルーカスの瞳が、悲しげに歪む。彼には悪いが、ユリエルはその顔を見るのが嬉しかった。
「大したことはありませんよ」
「痛まないか?」
「今は興奮状態ですからね。それよりも、貴方も早く逃げてください。ここは落としました。あまり長くタニス軍を足止めできませんし」
少し事務的に言ったユリエルに、ルーカスは困った顔をする。そして、重く溜息をついた。
「正直に言えば、ここを落とされるのは予想外だ。無茶な事をして。どうして、攻めた?」
「物理的に戦いを停止させたかったので。貴方ならこちらが攻めれば背後の町を守る為に、橋を落とすだろうと思いましてね」
悪びれる様子もなく言うユリエルに、ルーカスはますます困った顔をして笑う。そして一つ、肯定のように頷いた。
「攻めあぐねているという状況は長く戦闘を停止させるには弱くて。とにかく、国内の事を整理するにも時間が必要だったのです。橋を落とせば物理的に行軍は不可能。短くても、数か月の猶予が出来ますから」
「爆薬はしかけた。俺が橋を渡れば爆破の予定だから気を付けろ」
その言葉に、やはり彼とは考えが似ているのだと改めてユリエルは思い、安心した。
互いに剣を納め、ユリエルはルーカスに誘われて執務室兼寝室へと招かれた。綺麗に片付けられたその部屋では、季節外れの暖炉に火が入っていた。
「君が単身攻めてくるのを見て、落ちるだろうと思ったからな。重要情報は諦めろ」
「用意のいいことで」
呆れたように溜息をついたユリエルに、ルーカスはおかしそうに笑う。なんだかおかしな関係なのだが、とても自然に思える。
ルーカスはそのまま、窓際にある鳥かごへと近づいていく。そして、その中にいる一羽の鷹を腕に乗せて、ユリエルの前に連れてきた。
「名はフォレ。優秀な奴で、どこにいても俺の居場所を見つける。これを、君に預けたい」
「え?」
ユリエルは戸惑った表情でルーカスを見た。彼の腕に掴まったまま、鷹のフォレも戸惑ったようにしている。
「あまり他人に懐かないんだが、お前なら大丈夫だと信じている。連絡用に」
「私は鷹の世話をしたことがありませんが…」
言いながら、ユリエルは真っ直ぐにフォレを見る。そして、ルーカスの腕に平行になるように腕を差し出した。その腕に、フォレは戸惑いながらも乗ってくれた。
加わった重みが、いっそ心地よい。小さな頭を摺り寄せるように下げるフォレを優しく撫でながら、ユリエルは微笑んでいた。
「よろしく、フォレ」
「問題ないみたいだな。それにしても薄情なものだな。育てた恩はどこにいったんだ?」
恨みがましい声を作って言うルーカスに、ユリエルはクスクスと笑う。そうしてひとしきり笑った後でユリエルはフォレを鳥かごに戻し、名残惜しそうに抱き合って、別れを告げた。
階下が僅かに騒がしい。
「切ないものだな。戦場で顔が見られるのは嬉しいが、同時に戦う事になるのだから」
「私も同じです。貴方と会える僅かな時間にときめき、剣を交えて苦しくなる。もしも貴方を傷つけたらと思うと…ゾッとする」
「そうなる事はないと誓おう。俺は決して、君の剣にはかからない」
軽く笑い、大きな手が背を軽く叩く。その手が肩を叩いて、ユリエルの脇をすり抜けた。
遠ざかる足音を聞いているのは切なくなる。その音さえも、愛しくて離れがたい。瞳を閉じ、その音が聞こえなくなるまで動かないユリエルは、やがて瞳を開けて階下へと向かった。
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