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第96話 リゴット夜戦(2)
【ユリエル】
森の中、黒馬に乗ったユリエルは機を見計らっていた。もう少し中に、できるだけ明りの届かない所まで。土埃の視界不良を利用して、一気に戦場を駆け抜けなければならない。
その時、砲弾が大地を削り大きな土埃が起こった。
「はっ!」
馬の腹を蹴り戦場へと駆けだす。煙が上手く身を隠してくれる。明かりもそう強くはない。単騎突入を押し切った時点で身の安全など考えてはいない。身を低くし、全速力で駆け抜ける。砦まで残す所、八十メートル。
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【ルーカス】
轟音が響く戦場を見ながら、ルーカスは思案していた。
戦いが始まった事は音で知れる。だが、この状況でユリエルが何をしても、そう簡単に地理的優位は覆らない。何より、どうやってこの砦に入るつもりだ。扉は鋼鉄製だ。
「やはり俺は、恋人を選び間違ったのかな?」
苦笑交じりに、ルーカスは鳥かごの中の鷹に話しかける。鷹はそれに首を傾げ、その後は知らんぷりをした。
ルーカスだって、今更心をどうこうできるとは思っていない。それができれば、そもそも彼の正体を知った時に終わっている。
この心は一つ、無理に割けば身が裂けてしまうだろう。思う気持ちは離れれば離れるほどに狂おしい。近づけば苦しい。それを上回る程に愛しい。
その時、扉がノックされて一人の兵士が入ってくる。彼は近況を報告した。
「敵は砲弾が届くか届かないかのところで、進めずにいます」
「強行突破の気配は?」
「ありません」
「……」
彼の性格なら、強行突破も考えたのだが。それは初戦のラインバールを見れば明らかだ。そのくらいの覚悟が彼にあり、彼の無謀を叶えられるだけの有能な者が揃っている。
それが進軍の気配を見せないというのは、違和感を覚える。砲撃を恐れるとも思えないが。
「…双眼鏡を」
引っかかって、ルーカスは戦場を見た。
辺りは夕刻のような赤に染まっている。松明と砲撃の火が、そう見せている。遠目でも、騎馬が右往左往しているのが分かった。おそらくグリフィス率いる第一部隊だろう。
双眼鏡を覗き、それらの動きを観察する。確かにギリギリのラインを進みかねているように見える。
だが、それが更に変に感じる。グリフィスという男は一騎当千の騎士。このくらいの砲撃に臆病になり、手をこまねいているような男ではない。単騎でもこの戦場を渡るだけの技量はあるはずだ。
妙だ。
それを感じ、タニス本陣に目を向ける。そこには白馬に乗るユリエルの姿がある。白い装いに、銀の髪。だが、その体は知っている物より小さくないか?
双眼鏡を覗き、ユリエルへと視線を向ける。顔までは見えないその像は、確かにユリエルに見える。だが、やはり体が小さい。抱き寄せた体はもっと大人の体をしていた。もっと、長身だったはず。
確信を持って、ルーカスの胸を矢が射たような衝撃と痛みが走った。妙な胸騒ぎがして、双眼鏡を置き近くの戦場に目を向ける。探したのだ、愛しい男の姿を。この胸騒ぎが間違いでなければ、どこかにいるはずだ。
「!」
見つけた瞬間、心臓が強く締めつけられて息ができなかった。単身走り抜ける戦場。戦火の中、彼はまったく臆することなく砲撃の射程圏内を抜けて懐に入り込んでいる。これでは、砲撃は届かない。
「弓兵配備! 懐に入り込まれている!」
急な指令に連絡係の兵が慌てて出て行く。
ルーカスは願った。こうするのが、一国を預かる身として正しい選択だ。だが一人の人間として、彼の無事を祈らずにはいられない。どうか、この砦を手放してもいいから、彼が無事であるように。
矛盾した願いを胸に、彼はこの後の事を思案し始めていた。
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【ユリエル】
ユリエルは砦の門まで到達した。馬を降り、鉤手を投げ込む。砲弾を撃つには必ず方向を調整する用の小さな覗き窓がある。そこに向けてロープのついた鉤手を投げ込み、引いて確認してから登りだした。ロープは切れないように細い鎖でコーティングされている。
ユリエルが登りだしたのを悟ったルルエ兵が顔を出し、矢を射かける。だが、それにたじろぎ歩みを止めるユリエルではない。まったく臆せず短剣を片手に払いのけ、時には身に受けても登り続ける。
だが、さすがに登っているその窓から至近距離で矢を構えられたのには、ユリエルも覚悟した。
「死ね!」
「っ!」
瞳を強く瞑り、心の中で愛しい人の名を呼んだ。だが響いたのは、ユリエルの悲鳴ではなく他の悲鳴だった。
落ちてきたのは矢ではなく、ルルエ兵の死体だった。それを上手く避け、辺りを見回す。するとどの窓からも頭を出した兵士の頭を掠めるように矢が的確に飛んでくる。
射手を探して一瞬視線を巡らせるユリエルの目にも、その射手は見つけられない。だが、予想はできた。
ユリエルは有難くそのまま登り目的の小窓へと手をかける。そして、混乱の中にある室内へと足をかけた。
室内には、ラインバールで相手をしたガレスという青年がいた。見開かれた瞳に一瞬の恐怖が浮かんだように見える。だがさすがは隊を預かる人物、すぐに槍を構えてユリエルへと向かう。それに、ユリエルも応戦した。
「どうしました、ガレス将軍。私を恐れては、その槍は折れますよ」
迫力に圧されている感じがある。おそらく合わないと感じているのだろう。グリフィスと同じ匂いがする。あいつもユリエルとはやりづらいと言っていた。
それでもガレスは槍を振るい、一合二合と鋭い音を響かせる。その間に周囲にも気を巡らせ、鋭く声を発した。
「他は逃げろ! いいか、手筈どおりだ!」
「は!」
突然の侵入者に惚けていた他の兵も、ガレスの声に我に戻ったらしい。バタバタと動き出す。これはむしろ、願ってもない展開だ。後は目の前の彼をどうするかだ。
鋭いガレスの攻めの一手が、ユリエルの脇をすり抜ける。一歩後退したユリエルを更に追い詰めるように、槍が横薙ぎに切り付けてくる。その流れや戦闘センスは決して悪くない。ただ、室内という環境とユリエルとの剣の相性というものがある。
飛び込むように懐に入ったユリエルの目は、飢えているようにギラギラと光る。完全にスイッチが入っている目だ。
その瞳に臆したのか、ガレスの槍が僅かに鈍った。
ユリエルは切り込む。それは槍の柄に受け止められたが、大きく軋ませた。耐えきれずに一歩後退したガレスを追い詰めるように、ユリエルは剣を振るった。
思わず体を強張らせたガレスは、諦めただろう。ユリエルも捕えたと思った。
だがその寸前に、黒い影が差す。早い動きでガレスを背に庇い、ユリエルの鋭い剣を受け止めたその人は、見た事のない鋭い瞳をしていた。
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