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第112話 不誠実な領主

【シリル】  翌日、シリルはヒューイの元を離れてトイン領の中心にある領主の館へと向かった。  ここはラインバール平原から最も近い領地であるため、いざという時の指令本部という役割も持っている。そのため館は堅牢で、要塞と同じ造りになっていた。  正装をしたシリルを乗せた馬車は鉄の重たい門をくぐり、館の中へと入る。そして、出迎えた男を一瞥した。 「遠路遙々、ようこそおいでくださいました、王弟殿下殿」 「ブノワ郷、お初にお目にかかります」  深々と頭を下げ、背後に多くの人を従えた男は見るからに不摂生をしている感じの中年男だった。黒い髪を撫でつけた小太りの男は、垂れた頬と中年太りした体を重そうにしながら愛想笑いを浮かべている。 「さぁ、長旅でお疲れでしょう。部屋を用意しておりますので、どうぞ」 「有り難う。従者達は僕以上に疲れています。彼らにも部屋を用意してください」 「はぁ、畏まりました」  従者を一瞥し、ブノワは作り笑いを続けている。その腹の内はシリルにだって分かった。身分の低い従者になど、払う礼は持っていないというのだろう。 「特に僕の身辺警護をしているレヴィン将軍は疲れています。側に一室、用意してください」 「はぁ」  邪魔者が現れたと言わんばかりに、ブノワは傍らのレヴィンを忌々しそうに見ている。あまりにあからさまな態度に、レヴィンが苦笑したくらいだ。  程なくシリルは一息つけた。だが、緊張が解けたわけじゃない。ここに来て緊張は強くなっていくばかりだ。常に監視されていると思わなければいけない。周りは敵ばかりだと。そう思う事になれていないから、気疲れを感じてしまう。  ユリエルは常にこのような重荷を背負ってきたのだろうか。周りを警戒し、心を許さない。ほんの一部の人間だけが頼りで、そんな相手にも弱音は吐かない。  だから、そのままのユリエルを大切にしてくれるルーカスが、大切な存在になったのだろうか。  一人重たい溜息をつくと、不意に扉がノックされた。シリルは平静を繕って声をかける。そうして入ってきたのが、唯一気を許して弱音を吐ける相手だった。 「疲れてるね、殿下。大丈夫?」  扉を閉めて二人きりなのに、レヴィンは名前で呼ばない。それに、胸が潰れるような苦しさを感じる。とても辛くなって見上げると、すぐ側に顔が近づいた。 「どうしたの?」 「…二人の時に、殿下って呼ばないでください」  懇願するような弱々しい声で呟き、側にあるレヴィンの肩口に額を押しつける。疲れた心が悲しみに変わってしまいそうで、シリルはレヴィンに甘えた。 「…ごめんね、シリル。でも、いつどこでって思うとさ。盗聴穴は塞いだから、多分聞かれる事はないよ。それと、ちゃんと休まないとダメだよ」  背中を優しく撫でる手が、とても温かい。シリルはそれに甘えて瞳を閉じた。すぐに安らぎが降りてきて、やっと息ができる気分になる。そして、ゆるゆると瞳を閉じた。 「寝ていいよ、しばらく側にいるから。ゆっくりと、体だけじゃない、心も休めて。これからが戦いだよ」  レヴィンの言葉がストンと落ちてくる。ゆるゆると眠りに落ちたシリルは、深く眠る事ができた。 ============================== 【レヴィン】  眠りに落ちたシリルの側に椅子を置いて、レヴィンは書棚の側にある本に手を伸ばし、おもむろにページを開いた。 「フェリスは仕事が早いね。もう調べておいてくれたのか」  そこには欲しい情報が既に書き込まれた紙が挟まっている。この屋敷の見取り図が事細かに書かれている。ご丁寧に盗聴できる部屋の情報まで。 「これによると、地下に貯蔵庫があるのか。でも、屋敷の規模に対して少し不自然かな。隠し部屋でもありそうな感じ」  差し込まれていた紙を抜き取り、それを胸のポケットにしまい込む。そして今度こそ、安堵して眠るシリルの側に付き添うのだった。 ============================== 【シリル】  翌日から、シリルは領主の近辺を探り始めた。とはいっても隠れてやるわけではない。堂々とその権力を使っての監査である。  シリルが今回、各領地を回るのは内政の監査が目的の一つ。それは書面で示され、王の印が押された正式な任務であった。  これに逆らうのは勅命に背く行為。罰するに値する罪である。 「それにしても、凄い量だね」  提示された書類の全てを前にして、レヴィンはうんざりした顔をしている。だが、シリルの方はそうは思わない。むしろやる気に満ちている。 「兄上が僕に任せた仕事はこれ以上ありました。それに、兄上はもっと大変ですから。内政、外交、法整備、それに軍事。信頼できる人が少ない分、兄上は一人で頑張っていました。勿論、軍事に関してはグリフィスさんが、法整備にはクレメンスさんが手伝っていましたけれど」 「ふーん」  多分レヴィンはこうした仕事が苦手なのだろう。興味のない顔をして部屋のソファーに座っている。暇でも側にいるのが彼の仕事だから、同じ室内にいてくれる。けれど人間手持ち無沙汰で疲れていると、眠くなってくるものだ。  程なくして紫色の瞳が閉じたのを、シリルは見た。腕を組んだまま座って眠る彼を見ると、なんだか申し訳なくなる。でも、この顔が好きだった。瞳の鋭さがなくなって、優しい表情に見えるから。  彼の退屈を長引かせない為にも、効率よくやらなければ。シリルは必要な部分だけを抜粋し、書き留めていく。側にはヒューイが提示しれくれた納税証明がある。どう付き合わせても、合うはずがない。  多分他の村や町の納税証明を取り寄せれば、より明確になる。一緒に誰の命で納税が行われたのか証言が取れれば、より追求しやすい。  領民から取った八割のうち、四割は国に納められている事が領主の帳簿に書かれている。国の帳簿でもそのようになっている。残る四割がどこに行ったか、追求しなければ。  数時間そうして書面と睨めっこをしていた。だが流石に体が痛くなる。大きく伸びをして、窓を開けようと立ち上がると、レヴィンの紫色の瞳がゆっくり開いた。 「どうしたの?」  まだ少し眠そうにしながらも、レヴィンが近づいてくる。シリルは笑みを浮かべて、視線を机の上に向けた。 「やっぱり、ヒューイさんが提示してくれた納税証明と領主が管理する納税帳簿が合いません。当然ですけれど」 「表の帳簿にはやましいことは書けないからね。んで、どのくらい違うの?」 「領主側の取れ高は、実際の額面の半分以下です」 「ってことは、半分以上をどっかに隠してるか」  ここの納税は米で行われている。タニスの米は味がいいと、他の大陸でも評判がいい。国が行う貿易では、米の値段は決められてそれ以上に上げる事は許されていない。しかも輸出量も制限されている。戦争や天災に備えて国が国庫に納めるからだ。 「おおかた、隠した米はこっそり裏で捌いてるんだろうな」 「違法です。これが公になれば地位と爵位を剥奪されます。どんな家の生まれでも、平民にまで下ろすのがタニスの法です」  シリルは厳しい顔をした。こんなことが堂々とまかり通るなんて、信じられない。それにあのブノワという男を見ていると不愉快になる。ドラール村の人々があれほどに痩せて餓死者まで出しているのに、あの男はずいぶんと裕福そうだ。 「それにしても半分以上ってのは、随分ぼったくったね」 「戦争の混乱で、兄上の目が届かないと思ったのでしょう。それほど、兄上の味方は少ないんです」 「ニューブラッドが大きな顔をしていれば、穏健派は動きようがないからな。オールドブラッドも復権してきているが、まだまだ弱い。それに、穏健派だってユリエル様の思想にはついていけてない」  ニューブラッドにも、オールドブラッドにも属していない穏健派。彼らはいわば日和見だ。ただ、過激な思想には傾かないし、大きな不正もやらない。彼らを味方につけられれば、政権は動くかもしれない。  でもきっと、そういう控え目な人達にユリエルの行おうとしている改革は理解されない。理想論だと言われても言い返せない。  シリルだって、未だに半信半疑だ。それでも味方をしたいのは、その理想を現実にしたいと願うからだ。  不意に頭を撫でられて、シリルは見上げる。レヴィンがやんわりと笑っている。きっと、不安そうな顔でもしていたのだろう。 「ユリエル様の理想は、夢物語みたいなものだ。それでもあの人は動き出している。やろうとしているんだから、俺たちも手を貸さないとな。一人じゃどうにもならないし、本当は誰だって見たい夢なんだから」  戦争がない世界。国民が幸せな世界。笑顔が溢れる世界。そんな優しい世界を夢見ている。 「僕も、その夢が見たいです」 「俺も、見てみたいよ。そことは無縁な世界にいたからな。正直、最初はユリエル様が本気でそこに向かってるなんて、思ってもみなかった。でも、ゆっくりと見えるようになってきたよ」  静かな声が呟く言葉の重みを感じる。どこか悲しげなレヴィンの顔を見ていると、胸の奥がほんの少し苦しかった。 「まぁ、俺はシリルが笑ってる世界があればそれでいいんだけどさ」  レヴィンが微笑んで、手が伸びる。引き寄せられて彼の額が合わさった。とても近くにある瞳を覗き込んで、シリルも嬉しく微笑んで頷いた。

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