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第124話 囚われの身

【シリル】  レヴィンの部屋を隣にと言った事には、応じてもらえなかった。レヴィンの「ここでは滅多な事はないから心配は無用です」と臣下のような丁寧な言葉に従うよりなく、側の部屋にはしてもらった。  不安がこみ上げてくる。ここの者の言葉は確かに正しいだろう。王族たる者の振る舞いや心得を重視し、交わることをよしとしない。それは正しいのかもしれない。  けれど違うのだ。今までとても側にいたのに突然離されるのは不安しか残らない。寂しくて、悲しくなる。けれどもう、それを口にして甘える立場にない。シリルはひたすらに耐えるしかなかった。  夜、シリルは晩餐に呼ばれた。ブラムとアデルとシリルだけと言われたが、流石にシリルはレヴィンを側につけた。同じ席に着くことは許されなかったが、側に控える事は飲ませた。 「国王陛下は息災ですか?」  大きくはないテーブルに腰を下ろし、品の良い料理を頂きながらの会話は緊張こそすれ楽しくはない。それでも精一杯に愛想良く、シリルは笑った。 「はい。日々の職務と先の戦場を睨みながらではありますが、息災に過ごされていました」 「それは何よりです。ルルエとの戦が起こり、案じておりましたもので」 「陛下は騎士としてもとても強い方です。それに、側には一騎当千の騎士グリフィスや、知将クレメンスもおります。心配には…」 「それこそが懸念なのです」  ブラムの言葉に、シリルはまた嫌な感じがした。視線がレヴィンを見ている気がする。シリルの後ろに姿勢良く控えているレヴィンは知らぬ顔だ。 「戦場と言うことで側に臣もつけず、いるのは軍人ばかり。陛下も軍寄りの方だ。そちらにばかり目が行かねばよいのですが」 「陛下は民を考え、国を考えている。だからこそ僕を遣わしている。敵地のような国家の中で戦う主を、信じられぬというのか」  スッと瞳を細め、シリルは冷たい声で言う。胸の中でムカムカとした気持ちが沸き起こる。腹の中が熱くなる。声を荒げたり、力に訴える事はできない。否、それをしたら負けのような気がする。  ブラムが伺うようにシリルを見て、柔らかく笑った。 「年を取ると余計な心配が先に立つのかもしれません。現王陛下はとても優秀な方だということはよく存じております。これほどの戦が起こっていても国内は静かなもの。それどころか戦にも勝ち、長年攻略できなかったラインバールを平定した。あのように強き王があることは、誇らしい思いです」  これは本心か、見せかけか。この男の事が少しだけ理解できた。表情、言葉、どれも信じてはいけない。腹の中では何を思っているか知れない。  唯一本音があるとするならば、シリルやユリエルへの不満だ。試しているのか、苛立ちを煽っているのかは分からない。けれど、多少なりとも思うところがあるのだろう。 「ですが、陛下はまだお若い。見落とす事も多いだろうと案じているのですよ」 「では、領を出て陛下の前に進み出て臣下の礼を示すが先ではないか」  刺すようにシリルは見据えて口にする。背後でレヴィンが驚いたのが分かった。振り向いたりはしないが、僅かに空気が揺れたように感じたのだ。 「陛下が即位して、多くの腐敗役人や臣がその罪を問われ去った。それに際し、国政に携わるよう要請はなかったか」 「あったように思いますが」 「それを断り、臣として側近くに行かぬ者がいらぬ心配ばかりをするのか」  シリルのそれは追求だ。心が尖るのを感じる。尖った心は多くを傷つけるように刃を持つのかもしれない。それをこんな形で自覚した。  ブラムはほんのわずか驚いたように目を見開いた。だが直ぐに、穏やかな笑みを取り戻した。 「殿下の責めは最もなこと。ですが私は国政に関わるにはいささか年を取り過ぎました。陛下にはその旨を伝え、臣としての務めを辞退いたしたのです」 「ならば陛下の行いやその心を疑うな。あの方は民と国を思い、憂いながらも進んでおられる。傷を負いながらも戦い、兵を鼓舞し民に安心を与えようとしている。その心に、やましいものなどない」  ユリエルの苦しさを知らない奴に、痛みを知らない奴に酷く言ってもらいたくはない。あの人はとても辛いんだ。想う人と共にある事も叶わないんだ。  シリルはそれ以上何かを言うことを止めた。これ以上は本当に気持ちが沈み込む。心が苦しくなってしまう。思うのだ、ブラムにはシリルの言葉は届かないだろうと。  その夜、シリルはレヴィンを部屋に呼んだ。ブラムはいい顔をしなかったが、「今後の日程や経路を確認したい」と言えば煩く言わなかった。  食事を終えたレヴィンが部屋に入ってすぐに、シリルは彼に抱きつきその胸に顔を埋めた。心が安らぎ、緊張が解ける。尖った心が丸みを帯びて優しく緩むのが分かった。  レヴィンもそっと、背中に手を回して抱き寄せ、よしよしと背を撫でてくれた。 「苦しかったね、シリル」 「レヴィンさん…」 「優しいからこそ、辛いね。怒ったんだよね」  頷いて泣いてしまいたかった。受け止めてくれる人がいる安らぎが涙を誘う。緊張が解けてしまった。  レヴィンは分かってくれたんだ、沢山の悔しさや怒りを。 「早くここを出たいです」 「分かってる。明日一日は仕方がないけれど、明後日には発とう」 「はい」  明日は領の視察がある。これは公務だからやらなければいけない。国王代理なのだから、これをおろそかにするのはユリエルの顔にも泥を塗る。 「明日はずっと側にいてください。ブラムに何を言われても、僕はレヴィンさんを離しません」 「あら、嬉しいな。そんなに熱烈に求めてくれるの?」  なんて、軽い調子で言ってくれる。分かっている、これはこの人の優しさ。硬く苦しい気持ちを和らげてくれようとしている。今甘やかしてくれるのもそうだ。  シリルは顔を上げて、ほんの少し伸び上がる。最近背がまた伸びた。昔は遠かった距離がまた少し縮まった。手を頬に添え、そっと寄せる。レヴィンも拒まなかった。自ら少し体をかがめてくれて、唇を触れあわせた。  優しくて、温かいものが溢れてくる。安心してしまう。じわりと痺れるように、震えてしまう。至近距離から覗いた紫の瞳は、優しく笑っていた。 「さぁ、お休み。ぐっすり眠るんだよ。疲れた顔をしていたら、心配になるから」 「…はい」  出来れば触れるほど側にいてほしい。その腕に抱いて眠ってもらいたい。戦場のテントの中が一番安らいだなんて言ったら、困らせてしまうだろうか。狭い簡易のベッドの中で身を寄せ合って眠ったあの時が、今までで一番幸せだったかもしれない。  翌日、シリルは領地の視察を行った。本当に領地は豊かで民は笑っている。実りの良かった今年は特に潤い、店先には色とりどりの野菜や果物、肉や魚が並んでいた。  レヴィンは昨日の言葉を守ってくれた。シリルの側にずっと付き添ってくれた。横を歩いてはくれないものの、背に感じる暖かさは心強かった。  その夜、シリルはブラムに明日ここを発つ事を伝え、もう一度国政に携わってくれるよう伝えた。だが答えは予想通り「既に年ですので、お力には」というものだった。  要請しておいて言うのもなんだが、安心した。この人を側に置く事は、気が休まらなくて嫌だったから。 ============================== 【レヴィン】  シリルの精神的負担が大きい。ブノワなんて本当に小物だった。ブラムのかける負担はシリルを追い込んでいる。  レヴィンは許されるなら斬り伏せたい思いだった。晩餐の日に見せたシリルの様子はあまりに痛々しくて冷たくて辛かった。彼はあんな目をする子ではないし、とても優しいはずだ。それを、あんな言葉で傷つけるなんて。  思い出すだけで心が荒む。それでも奴の対応は正論だ。臣と主の間には明確で深い溝がある。今まではそれを当然のように超えてきたが、本来は踏み越えてはならない。それを言われるとレヴィンもどうしようもなかった。  その時、扉を叩く者がいた。開けると、そこにはアデルが立っていた。 「レヴィン将軍、父が貴方と話したいと言っております。どうか、ご同行願います」 「断る」 「よろしいのですか?」  アデルは父と同じ青い瞳をレヴィンに向ける。そこにこれと言った感情は浮かんでいない。だが、逃す様子もない。 「応じておくほうが無難です。シリル殿下に危害を加える事はありませんが、必要な協力を断られれば困るのは国のほう。お味方の少ないユリエル陛下の味方が更に減れば、窮地に立たされるのでは?」  アデルの言葉に奥歯が痛くなるほどに食いしばる。許されるなら切り捨てたい気持ちが更に増した。 「オールドブラッドの繋がりの強さは、知っているでしょう。父を殺せば今後一切、我らの協力は得られない。貴方がその引き金を引くので?」 「…分かった」  こいつらに勝てる見込みはない。ついていかなければユリエルが困窮する。それはレヴィンも望まない。  苦々しく部屋を出て、アデルの後についていった。  招かれた部屋に入ると、ブラムがワインを片手に待っていた。対面に座り、同じようにワインを注がれる。 「どうぞ」 「どうも」  少し酒でも入れないと舌が鈍りそうだ。レヴィンはワインを飲み干して置き、睨むようにブラムを見た。 「そのような目をされると恐ろしくなります、レヴィン将軍」 「喧嘩を売っているのはどちらだ」 「喧嘩など。国を思い憂えるからです」  食えない笑みを浮かべたブラムが更にワインを一口飲み込む。そして、ここからは笑みを消した。 「レヴィン将軍は、シリル殿下とはどのくらいの付き合いになる」 「半年ほどだ。王都陥落の際に随行してからだ」 「それにしては随分、仲が良いように思いますな」  レヴィンの心は強く鳴った。不安が胸を締めるのだ。この男が何を言いたいか、分かりかねる。 「窮地を共に乗り越えた故の信頼でしょう」 「よもや、あるまじき仲ではないだろうな?」  スッとブラムの瞳が細く鋭くなる。それに、レヴィンも堂々と見据えた。 「何のことだかわからないが」 「シリル殿下は随分と、お前を頼りにしている。片時も離さないと言わんばかりだ」 「トイン領での一件もあり、安心できないのでしょう」 「私の目を欺けると思うのか?」  ドキリとしてしまう。そして、やっぱりこういう相手は苦手だと思える。  人の視線、表情の一瞬を捕らえてその心中を察する事ができる。そういう陰湿な駆け引きを長年してきたのだから。 「お前がシリル殿下を見る目は、実に切なげだ。案じていると言うには過ぎたものがある。熱のある瞳で主を見るなど、あってはならない」 「可愛い弟のように思える殿下の身を案じて何が悪い」 「弟! そのような感情を持つこと自体が不敬だ。あの方は王になる方。いずれ民を導く尊い方だ」  自分の感情を無遠慮に暴かれ踏みつけられるというのはこんなに不快なのか。レヴィンは睨み付けるようにブラムを見る。堂々とした男は、それにも怯むことはなかった。 「ユリエル陛下をさしおいて、貴殿も不敬だが」 「あの王は乱世の王。今はそれでも良いが、国が落ち着けば不要なものだ。あのような革新的な王が上に立ち続ければ、いずれ良くない結果を招きかねない」 「勝手な言い分だ。まるで自分たちこそが国を動かす王のようではないか」 「その通りだ」  隠す事もなく言いのけた男の顔を、レヴィンはマジマジと見る。王よりも偉いと、堂々宣言したようなものだ。怒りがこみ上げてくる。こんな勝手が許される謂われはない。 「民を平穏に治められぬ王は王にあらず。治世は短いだろう。乱世を治められれば、それで十分だ」 「使い捨ての道具のような言いようをする事は許さない。俺の主はユリエル陛下だ。主に弓を引く者を臣が許す事はないぞ」 「臣? 自らを臣と思っているのか」  片腹痛いと笑うブラムを睨み付ける。  レヴィンはずっと自らも臣であると思っている。政治に関わらなくても、戦う事しか出来なくてもあの人の側近のような存在であると自負しているのだ。  だが、ブラムは嘲るような瞳でレヴィンを見る。ともすれば憐れみまで含まれている。それが余計に腹が立った。 「哀れな天使よ、自らの足元を見てみよ。お前に何がある。腕が立つだけで国の中枢に立てるものではないのだぞ」 「!」  レヴィンの瞳が大きく見開かれる。それを見て、ブラムはニヤリと口元を歪めた。 「知らないと思ったのか? ダレンが天使を養子としたのは、古い者なら知っている。ダレンの養い子なら、天使だろう」  首を取ったかのような言いようだ。その中で、レヴィンの心は冷えていく。殺気が増し、父の側に控えていたアデルが恐怖するのが伝わった。 「身の程を知れ、あるはずのない者よ。お前に何が残っている。僅かな命と罪ばかりではないか。その手に染みた罪の数を忘れたのか?」 「…分かっていないのは、お前だ」  睨み付けるレヴィンは既に殺気を隠さない。殺すかどうかはまだ決めていない。この男が死ぬのは都合が悪いが、死んだことも分からないようにする方法は知っている。賊に襲われたように装う事も、失踪に見せかける事もできる。何度となくやってきたのだから。 「俺が天使なら、知っているだろ。素手の一つで人を殺せる者がいる。血など流さず声もなく殺し、字を真似て遺書をしたためる事も可能だ。声を真似、姿を真似る事すらも容易だぞ。お前の目の前にいるのは、そんな化け物だ。お前達が作り出した化け物だ」  こみ上げる怒りをぶつけると、側でアデルは一歩下がった。腰を抜かさないだけ強いだろう。そして目の前の男はそれでも笑みを浮かべている。 「知っている。命を食われ哀れにもがき、翼をむしる哀れな存在。幼くして死ぬ方が苦しまなかっただろうに、生き延びて絶望しているだろうな」 「なに!」  怒りに立ち上がる、その視界が急速に歪み崩れた。頭が痛む。体を保つ事ができない。 「長く闇を忘れた天使は牙を抜かれたのか。お前が天使であるのは知っていた。最初に手を打っていなければ、恐ろしくて相手もできない」 「くっ……そぉ…」  頭が痛む。最初のワイン…グラスに薬でも塗ってあったのか。 「殿下には理由をつけて言っておく。なに、少し側を離れて後を追うからと言えば納得してくださるだろう。お前の代わりには私の息子をつけておく。お前ほどには腕が立たずとも、これも並みの兵以上には手練れだ」  ガンガンと痛む頭をどうにかしようと振っている。意識が保てない事に苛立ち、腕に爪を立てて握りしめた。肌が裂ける痛みでも頭の痛みは消えない。打ち付けられるような痛みを引きずって、レヴィンは意識を手放した。

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