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第125話 残酷に求む

【シリル】 「なん…ですって?」  朝起きて、シリルは信じられない事を聞かされた。 「昨夜急使の方がこられて、レヴィン将軍が呼ばれました。何やらトラブルが起こったようです。急ぐが時間がかかるかもしれない、先に行ってくれと言付かりました」 「そんなはずありません!」  シリルは必死に否定した。  だって、あり得ないのだ。まずユリエルがレヴィンを呼びつける事はない。シリルとレヴィンに課せられた本来の目的は二人しか知らない。その状態で、シリルを残して行くことがありえない。  そして、ルーカスがユリエルを危機に落とす事がありえない。二人の絆は本物だ。国を背負って戦場でまみえる事のない今、二人はつかの間の穏やかな時間を過ごしているだろう。秘密の場所で。  だから、これはあり得ない。もしも本当に何かがあって側を離れる事があっても、何の相談も説明もなしに離れる事なんてない。  ブラムはとても静かに笑い、アデルを側に呼んだ。 「僭越ではございますが、私の息子と私兵五十をお側につけましょう。なに、心配はいりません。レヴィン将軍も直ぐに後を追われるでしょう」  アデルが少し前に出て一礼する。それを、シリルは憎しみに焼かれるような瞳で見上げた。 「僕の一存では、決めかねます」  ここでこれ以上取り乱せば敗北だ。シリルは必死に理性を繋いでそれだけを伝え、部屋を離れた。  レヴィンの部屋をノックし、開ける。中はもぬけの空だ。旅装もない。ドアを閉め、部屋の真ん中に座り込み、自身を抱いてシリルは泣いた。  心が冷えていく。悲しみが満ちていく。きっと、何かあったんだ。レヴィンくらいの人がどうにもならない方法で、攫われたんだ。そんな事が出来るのはブラムしかいないのに、問い詰める材料がない。  どうしたら、取り戻す事ができるんだろう。もしや、既になんて事考えたくない。今だって突然、「どうしたの?」って後ろから抱きしめてくれるんじゃないかって期待してしまう。  シリルの瞳が静かになっていく。心が訴えるのだ、「取り戻すのだ」と。その為に手を選ぶ必要なんてない。レヴィンを取り戻す為なら誰を傷つけたって構わない。この手が汚れたって構わない。踏みつける事も、傷つける事も怖くない。例えこの魂を悪魔に差し出したって、取り戻すんだ。  急加速で頭は働く。どうしたらこの手に彼を取り戻せるか。どうしたら、ブラムを揺さぶる事ができるか。何なら、ブラムが本気になるか。 「…必ず取り戻します」  沈み淀み色を失った新緑の瞳が、残酷に一つ笑みを浮かべた。  その夜、シリルは憔悴した表情でブラムとの会食に出た。それでも健気に笑い、一つ静かに話始めた。 「明日、ここを発とうと思います」 「明日、ですか?」  意外そうに見開くブラムを見て、シリルは静かに表情を沈ませて頷いた。 「トイン領で、意外と時間を使ってしまいました。先を急がねばならないのは、本当なのです。レヴィンさんは僕の経路を知っていますし、用事が終われば追ってきてくれると思います」  「それが陛下から賜った職務ですので」と、シリルは付け加えて同席しているアデルを見た。 「レヴィンさんが戻るまで、アデルさんが僕の守りをしてくれるのですね?」 「僭越ながら」 「よろしくお願いします。僕はまだ非力で、戦う力を持ちません。大変だろうとは思いますが」  そう言って一つ頭を下げて、夕食も程々に席を立った。  その翌朝、整えられた五十の私兵とアデルが待っていた。シリルは馬車に乗り込み、ジュゼット領を出ていった。  十分に領から離れたのを確かめたシリルは、側にアデルを呼んだ。馬車を止め、休憩をしてもらったのだ。 「アデルさん」 「どうぞ、呼び捨ててください」 「それではアデル、お願いがあります」 「お願い…ですか?」  アデルは首を傾げる。実直そうな青い瞳が真っ直ぐにシリルを見上げている。 「実は、先のトイン領で僕は仲人をしたのですが、その二人に贈る物を持ち合わせておりませんでした。それをずっと心苦しく思っていましたが、ジュゼット領で丁度良い物を見つけて購入したのです。ほんの少し寄って、届けたいのですが」 「殿下御自らですか?」  怪訝そうな顔をされたが、シリルは真っ直ぐに頷いた。 「領主代理を押しつけてしまった方なのです。それに、事件の時に助けていただきました。その恩もありますし、半ば強引にくっつけてしまったのです。結婚式には是非とも出席したいと申し出たのですが、それもこの状況では叶うかどうか。せめて心を込めて贈り物をし、祝福の言葉を改めてかけたいのです」  言いつのると、アデルは悩むように眉根を寄せる。そこにシリルは畳みかけるように頭を下げた。 「お願いします。そう時間は取らせません。ここからなら、夕刻前には到着します。一日だけでいいのです。それで、僕の憂いはなくなりますから」  しばらく悩んだ末に、アデルはシリルの申し出を受け入れて、馬首はトイン領へと戻っていった。  トイン領の領主館で、ヒューイはとても驚いた顔でシリルを迎えた。その隣にいるアイリーンもまた、驚いていた。 「殿下! まぁ、どうなさいました?」 「ごめんなさい、突然」 「それは構わないが…とにかく中に。後ろの者達は?」 「ジュゼット領の私兵の方達です」 「これだけの人数となると、領主館では…。隣の離れでも構わないだろうか?」 「痛み入ります」  アデルは丁寧に礼をして去ろうとする。その背に、シリルは声をかけた。 「アデルさんは側にいてください。安全だとは思いますが、念のためです」  他の私兵達が案内に従って離れへと移っていくなか、アデルだけはシリルの後ろにきっちりとついた。 「殿下、レヴィンはどうしたんだ?」  気遣わしい表情でヒューイは言う。それに、シリルは落ち込んだ表情で首を横に振った。 「陛下に呼ばれて、側を離れたそうです」 「そうですって…」 「説明がなかったもので。ですが、時間がなかったのかもしれません。大きな事が起こってしまったなら、仕方のない事です」  肩を落として伝えるシリルを見るヒューイの表情は、ひっそりと険しさを増していた。  シリルが二人に贈ったのは揃いのデザインの手袋だった。女性は肘まである真っ白い繊細なデザインの物。ヒューイは手首までの、同じく白いもの。結婚式では必ず使う物で、両親が贈るものだ。だが二人の両親は既にない。だからこそ、シリルが仲人という立場でこれを贈った。 「本当にこんな所まで気を使って頂いて、痛み入ります」 「いいえ。その後、様子はどうですか?」 「ドラール村の復興も進み、飢えに苦しんでいた人々も快方へ向かっている。それでもあまりに被害が大きかった。もう少し落ち着いた所で一度慰霊祭を行う事で他の管理役人とも話が進んでいる」 「それを聞いて安心しました」  シリルも穏やかに笑った。やはりシリルの目に間違いはなかった。ヒューイは立派に領主としての責務を果たしている。他の管理役人とも上手くやれているようだ。 「これも、シリル殿下とレヴィンのおかげだ。本当に、有り難う」 「当然のことをしただけです」  にっこりと笑ったシリルに、ヒューイも笑みを浮かべる。だがやはり、側に立つアデルを気にしているようだった。

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