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第148話 囚われの司教(2)

 ユリエルは城へと戻り、クレメンスを交えて今後の話を始めた。  クララスがしゃべった事でルーカスとの間でしか交わされていなかった情報を堂々と出す事もできる。バートラムが親書をかすめ取った事、奴の屋敷の事。  話を聞いたクレメンスは実に苦々しい顔をしていた。 「時をかければ和平交渉は不可能になるというのに、何よりも繊細に事を運ばなければならないとは」 「リゴットの橋が修復されれば、いつそのような強行が行われるかも分からない。どうにか司教だけでも守らなければなりません」  せめて司教だけでも守らなければ。そう思って頭を悩ませていると、不意に柔らかな声がした。 「陛下、このような時こそ私をお使いくださいませ」 「フェリス」  ふんわりと笑った彼女は一つ丁寧に頭を下げる。そして、ユリエルへと自信のある顔をした。 「毒抜きされたとしても、私の力はいささかも衰えていませんわ。変装や潜伏は能力強化など必要のない技術分野。私はそこに特化しておりますもの。教会に潜伏して、時を待ちます」 「ですが、危険ですよ?」 「あら、危険なんて今まで散々犯してきましたわ。人の流れのない場所にゆくのは不可能でも、不特定多数の入る教会なら平気。それに私なら、いざとなれば司教をお守りできますわよ」  人を殺す事をこれ以上したくない。フェリスのそうした気持ちを尊重していきたいと思っていただけに、ユリエルは素直にそれを受け入れる事が難しい。考え込んでいると、レヴィンのほうがポンと肩を叩いた。 「あんたの人柄に惚れたからの申し出だ、受ければいいのさ」 「…そうですね」  フェリスがやってくれるなら、色々と助かる事が多いのは事実。フェリスを見ればニッコリと微笑んで一礼して、部屋を出ていった。 「これで内情が知れることはよしとしますが、危機が去るわけではありません。フェリスがいかに優秀な密偵でも、数百という兵に囲まれては何があるかわかりません。事は面倒ですよ」 「えぇ」  ルーカスに会いたい。会って、これらの相談をしたい。何よりも顔を見たい。少しだけ、気持ちが弱くなっているのだろうか。だからこんなにも不安は大きく心を埋めるのだろうか。 「ですが、チャンスでもあります。バートラムを誘き出して捕らえ、親書をかすめ取った事を認めさせ、更に物が出てくれば和平交渉の足がかりになります。更に司教を保護し、民との橋渡しを頼めばよりスムーズになってゆきます。ここを物に出来れば、一気に事が進みましょう」 「…やりますよ」  弱気になっている暇はない。事は刻一刻と動いている。こちらの和平交渉ばかりが焦点ではないのだ。ルルエ国内の情勢が不安定化し、聖教会内部がこれ以上暗躍を繰り返せばルーカスの身も安全ではなくなってくる。  不安を奥底に押し込めるようにして、ユリエルは早急に前線へと戻る事を決めたのだった。  その夜、王都に浮かぶ月は綺麗だった。今はこんな月を見たくはない、胸が切なく痛む。  珍しく奥院に部屋にいたユリエルは、ふと誰かがノックをするのに顔を向けた。 「はい」 「兄上、少しよろしいですか?」  シリルの声に扉を開ければ、シリルとレヴィンがそこに立っていた。 「どうしました?」 「兄上、少し息抜きをしてきてはいかがですか?」 「え?」  シリルに言われ、ユリエルは目を丸くする。少し前に出たレヴィンの手には、竪琴があった。 「不安を紛らわせるには弱いとは思います。ですが、籠もっても心は晴れません。少しだけ、息を抜いてこられても良いと思います」  受け取る事を少し躊躇う。けれど、確かに心が重く不安が大きくなっていくのは確かだった。 「奥院の警備、抜けられるだろ? ちょこっと町で遊んで来てもバチは当たらないって」 「…そうですね」  二人の気遣いを受け取ろう。ユリエルは竪琴を受け取って、扉を閉じた。  王都は落ち着いている。かつて人の通りがなくなり、明かりが落ちていた時があったなんて思えないほどだ。  ユリエルは詩人の格好をして噴水の縁に腰を下ろす。すると直ぐに人々が集まってきて、詩人の歌を待ち望んだ。 「詩人さん、恋のお話が聞きたいわ」  若い女性が男性と連れ添って、そんな事を言う。それにニッコリと笑い、ユリエルは竪琴をつま弾いた。 『愛しの姫は月よりの使者 遙か遠く望むばかりで手に触れぬ あぁ、なんと愛しく、なんと切ない この身と心を切り離し、今すぐ愛しい貴方の元へと飛んでゆきたい』  愛した姫と、その姫を守る騎士の物語。騎士は姫を愛しながらもその身に触れる事はできず、姫は騎士を愛しながらも己の立場を投げ捨てる事ができない。 『愛しい方、どうかこの手をお取り下さい 貴方の逞しい腕に抱かれる事こそが私の幸せ どうして月になど行けましょう? そのような事をすれば、私の心は裂けてしまう』  ギャラリーの女性達がうっとりと返す。これが詩人の歌なのだ。一人で完結してしまうこともある。だがギャラリーがいて、こうした有名な話を語るならば知っている者が対になる歌を詠み上げて語る。まるで当事者のように。 『なりませぬ、なりませぬ 私のこの手は相応しくない この手は守る為に血を知る手なのです 貴方の綺麗な手を取ることなど出来ぬ手なのです』 『例え貴方の手が人の命を絶とうとも 例え貴方が私の隣に並べぬ位置にいようとも 私の心は貴方の隣を望むのです ですからどうか私の前に傅くことはおやめになって』 『愛しい姫、私の宝、どうかそのように惑わせないで 私の夢を絶ちきる事は数千の敵を斬るよりも苦しいのです それでも今、その決意をしたばかりなのです 貴方の幸せをどうか、私に祈らせてください』  愛した姫は遠くの国へと輿入れが決まっている。それは騎士との別れ。姫は騎士と別れたくはないと涙を流して縋り付く。けれどこの騎士はそれを押しとどめ、己の心を消して姫の未来を優先する。  けれど数年後、姫が輿入れした国との戦となった。姫を案じた騎士は戦場をかけ、姫を取り戻そうと手を伸ばす。姫は囚われた城から抜け出して、愛しい騎士の手を取るのだ。 『運命などに私は負けぬ 愛しい姫よどうかこの手を離す事なく共にいてください 私は二度と貴方を泣かせる事はしません 月より落ちてもただこの愛のみで、貴方を生涯幸せにしましょう』  騎士の言葉で話は終わる。竪琴の音の最後が消えて、拍手がそこかしこで響き渡る。女性達はうっとりと頬を染めていた。 「良い声してるな、詩人さん!」 「本当に素敵だわ」  立ち上がり、白く染めた髪を流したまま優雅に一礼したユリエルは、顔を上げて固まった。  群衆の中、その一番後ろに彼を見つけたのだ。長身に黒い髪、星のように輝く金の瞳を。  「もう一曲」と言う群衆に愛想笑いで抜け出したユリエルは、そのまま人目のない離れた場所まで足早に向かった。人の目も、気配もない場所。そして、明かりの届かない細い路地へと滑り込んだ。 「!」  掴まれた腕を引かれ、熱い胸に抱かれて見上げるように唇を重ねた。愛しい夜が月を捕まえ、自分の物だと言わんばかりに奪う。この瞬間を望んでいた。今この時の為に全てがあるとすら思えた。 「ルーカス」  囁くように呼んだ名に、愛しい人はふわりと微笑んだ。

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