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第147話 囚われの司教(1)
【ユリエル】
翌日、ユリエルはレヴィンと共に地下の部屋に行った。そしてそこにいるクララスと改めて向き合った。
なるほど、冷静さが戻っている。真っ直ぐに見つめる青い瞳を見ると、昨夜のレヴィンの言葉は本当のようだった。
「タニス王」
「ユリエルと呼んでください。さて、クララス。貴方の話を少し聞きました。まずは条件を詳しく聞きましょう」
椅子に腰を下ろし、レヴィンがその側につく。クララスは現在拘束を解いている。当然武器はない。
何よりこれから交渉しようというのだ、抵抗などしない。部下を気遣っている事からも、コイツはまっとうな人間だ。
「人を、救い出してもらいたい」
「ルルエ国内にいるのでしたら、私は下手に手を出せません。それでも私に頼む理由はなんですか?」
「…その人を捕らえているのが、他でもない聖教騎士団バートラムと、教皇アンブローズだからだ」
悔しげな瞳は射るように光り、憎しみと怒りを見せている。その表情を見るに彼の言う事が決して冗談や罠、嘘ではないと分かる。ユリエルは更に話の先を促した。
「救い出してもらいたい人の名は、ハウエル司教。現在の聖教会で唯一の人徳者であり、神の教えを正しく伝える人だ」
知らない名だ、ルーカスからも聞いた事がない。だがそれほどの人徳者なら、彼も知っているはずだ。ならば、あえてユリエルに言わなかったのだろう。何か考えているのかもしれない。
「俺は十代の最初の頃は荒れていた。平気で人を傷つけてきた。だがハウエル司教と出会い、俺はかわった。あの方は他者を傷つけてきた俺を否定しなかった。己のバカな行いを後悔した俺に、気づけたのならここから変わっていけばいいのだと、優しく諭して下さった」
「なるほど、人徳者ですね」
そして他者の心を掴む力がある。弱い者の側に寄り添い、その者の心の闇を見つめ、否定ではなく穏やかに正しい道へ導いていく。これこそが神に仕える者の成すべき事だ。だからこそ、人は神に縋るのだ。
「俺はそこから必死に鍛え、学を積み、聖教騎士団へと入った。だがそここそが、醜く淀んだ魔窟だった」
恩師の事を語っていた時とは違い、ギラリとクララスの瞳が光る。心底憎いのだろう。
ユリエルはその激情も好ましく思えた。こういう人間は、交渉を上手くすれば引き込める。忠義によって裏切りはしない。
「ハウエル司教に諭されて聖教騎士団に入った奴は俺の他にもいる。俺の部隊はそういう奴らばかりだ。そしてハウエル司教は民に絶大な人気がある。
教皇アンブローズは、それが怖いんだ。欲のないハウエル司教を懐柔する事もできず、民の人気はうなぎ登り。いつか自らの地位を奪われるのではと危機感はあるが、殺せば民が黙ってはいない。
だから、最も危険な教会の司教とし、中央から遠ざけつつバートラムに監視をさせている」
「それは頷けることだが、そういうことなら殺されずにいられるだろ? 変に動いたらそれこそ、何かの理由や事故に見せかけて殺されるかもしれないぞ」
「今までは静観していられた。バートラムはハウエル司教を慕う俺達を危険な役回りにつかせ、前線につかせこき使い、連絡が取れない様にした。それだけで良かった。だが、戦況が変わった。お前達タニスが、リゴット砦を突破した」
ギラギラと光る瞳がユリエルを見る。多少恨みがありそうなその視線に、ユリエルは苦笑するしかない。
前線を止める為には仕方のない事だった。そしてその狙いは見事に功を成した。だがルルエ国内では何やら大きな事が起こっていたのだろう。そんなこと、ルーカスは何一つ言わなかった。
心配させまいとしたのか。もしかしたらユリエルが気づかないだけで、ルルエ国内でルーカスの立場に悪影響のある状態になっているのではないか。優しい人に隠されてしまえば、ユリエルは状況を知ることができない。
「ハウエル司教がいるのはリゴット砦と、その次のバーナルド砦の中間。と言っても、戦場からは二キロは離れた場所にあるが、それでもこの三点で三角形を描くような配置にある。今までは危険な場所とはいえ、その前にリゴットがあった。だから教会に聖教騎士団を派遣する理由がなく、司教は拒んでいた。戦が嫌いなお人だからな。だが、戦況が変わった事でバートラムは、よりにもよって司教を守る事を理由に教会に部隊を配置した」
「身内だというのに、司教は周囲を敵に囲まれ、いつ命を危ぶまれても可笑しくはない状況にあるというわけですね」
「あぁ。しかも今回は理由をつけられる。タニスが教会を襲い、司教の命を奪った。近くに敵がいて、戦の只中ならあり得る話だ。これで、アンブローズは堂々と司教をいつでも殺せる」
これにはユリウスも瞳を吊り上げた。それほど民の支持を集めている司教がタニスによって殺されたとなれば、民の怒りがタニスへと向く。そうなれば和平交渉などできるわけがない。
ユリエルの強張りは、レヴィンにも伝わったんだろう。何も言わずに一つ咳払いをされて、ユリエルもようやく戻ってきた。
「それでも、今はそうならない。だが、放置してはハウエル司教は殺されてしまうかもしれない。頼む、俺は何でもする。だから司教を…俺の恩師を助け出してもらいたい」
「…いくつか、確認をさせて貰ってもいいでしょうか」
冷静を集めるようにして、ユリエルは問う。それにクララスも頷いた。
「貴方がここに攻め入った理由は、もしかして元から私に司教の救出を願う為だったのではありませんか?」
ふと思ったのだ。交換条件としながらもクララスはスラスラと内情を話してくれる。
それにヴィトの事だ。殺さずにいた。傷つけた事を許すわけではないが、殺されてはいなかったことが多少引っかかってもいたのだ。
クララスは僅かに項垂れて、やがて小さく頷いた。
「俺にはバートラムの監視がついている。あの青年を犯した奴らは全員そうだ。部下として置いてはいるが、実際は俺が下手な動きをしないか監視をしている。戦わずに降伏する事もできなかった理由は、これだ」
「グリオンは?」
「あいつは権力者なら誰にでも尻尾を振る。タニスの事に詳しいから金でつった。タニス国王をおびき寄せ、その首を取る。無謀だが俺達など死ねば良いと思っているバートラム派の奴は止めもしなかった」
そこまで内情が酷いとは思わなかった。だが、ここに突き崩すだけの突破口もできる。現にユリエルの元にクララスがきた事が一つだ。おかげでルルエ聖教会の内情と現状が分かった。
「…私は折りをみて、ルルエとの和平交渉をしたいと思っています」
「現状無理だ。教皇アンブローズは現王ルーカス様よりも強く出ている。支配欲の権化のようなあの男は、それ故に発信力がある。聞く者の心を駆り立て、人として正しい判断を鈍らせるような演説をする。対してルーカス様は実に誠実で慎重だ。先のタニス遠征もそのような事だったのだ。結果ジョシュ様を失い、随分と失意にくれていたと聞く」
ユリエルの胸にも痛みが響く。ルーカスから大切な人を奪ったという痛みは、まだあるのだ。彼が許したとしても、忘れる事はできないのだ。
「だが、教会内部はアンブローズのやり方をよしと思わない者も多い。あの男の強欲と狂気を知っている枢機卿は多いし、実際ついていけないと考える者もいる。追い落とす種がないだけだ」
「それを、バートラムが持っているとしたら、どうしますか?」
「え?」
クララスが驚きに目を丸くする。それを見ながら、ユリエルは鋭い視線で彼を見据えた。
「私がルルエ国王ルーカスに送った親書は、届いていませんね?」
「いつの話だ」
「ラインバール平原の戦いが起こる、一ヶ月も前の話です」
「そのような話は聞いた事がないが。……まさか」
思い至ったのだろう。クララスは愚かでもバカでもない。そして、憎い上司の人間性を良く分かっている。
「…奴らなら、他国の親書くらいかすめ取る可能性は高い。そういうことは大抵、バートラムが行っている。何か残っているとすれば、奴の屋敷だ」
「屋敷に入り込む事はできますか?」
「不可能だ。あいつは子飼いの百人程度しか屋敷に入れない。食材などですら、門を開かず受け取って、部下に運ばせているくらいだ。顔の知れない奴はまずバレる」
「では、その男を屋敷から出す事はできますか?」
問えばしばし考え、不意にニヤリと笑った。冴え冴えと瞳を残酷に輝かせるクララスは、実に楽しい事を思いついたに違いない。
「バートラムには奥方と小さな子供がいるが、それとは別に愛人の男がいる。リチャードという若い見目のいい男で、体を売ってバートラムに近づいた。腕前はそこそこだが、それ以上に虚栄心のある男だ。あいつを使えば、バートラムをおびき出せるかもしれない。そのくらいには溺愛だ」
「どこにいます?」
ニヤリと笑ったクララスは、一つ確かに頷いた。
「ハウエル司教のいる最前の教会、聖オーキン教会だ」
その言葉に、ユリエルもニヤリと笑みを深くした。
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