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第146話 尋問
【レヴィン】
キエフ港にあるユリエル滞在の屋敷の地下へと、レヴィンはゆっくりと降りていった。そしてそこにある食料貯蔵用の部屋へと入ると、男が一人睨み上げてきた。
部屋のほぼ中央に置かれた椅子に、両手を後ろ手に縛られたうえに背もたれに括られ、両足も椅子の脚にそれぞれ括られている。年齢は三十代だろうか。短い黒髪に、青い切れ長の瞳をしたプライドの高そうな男だった。
「や、元気?」
軽く声をかけても、男は睨み付けるばかりだ。
「聖教騎士団のクララス将軍。で、いいのかな?」
問えば男は驚いたように青い瞳を見開く。反応はこれで十分、きっと驚いているのだろう。
「あんたはご立派に口を閉じていても、あんたと一緒に捕まった部下はそうはいかない。ということかな」
「あいつら…」
許せないのだろう、奥歯がすり減りそうなほどに噛みしめている。やはりプライドが高い、そう思えた。
「さーて、クララス将軍。少し話して貰いたいことがあるんだ」
「言わん」
「バートラム聖教騎士団長のお話なんだけどな」
道化のように戯けた調子で聞けば、男はピクンと肩を震わせる。そして男の目に、今までとは違う暗い光が宿った。
上々だ、この反応。どうやら関係はよくなさそうだった。
「今回の事は、お偉いバートラム殿の指示か?」
「…」
それでもクララスは抵抗している。レヴィンは肩をすくめて側の椅子を引き寄せ、正面に座った。だらしなく椅子の背に顎を乗せ、観察するようにしている。
「嫌いなんだろ? あんた、そのお偉いバートラム殿とは折り合いが悪い」
「それも部下が言ったのか?」
「さぁ、どうだろう?」
はぐらかして笑い、なおも男を見ている。クララスは俯いたままだんまりになったようだ。
「バートラムって、どんな男よ」
「…なぜ、そんな事を聞く」
「攻め込まれたんだ、大将の事を知る足がかりは欲しいだろ? 敵の情報って、そう簡単に手に入らないし」
言ってみれば自嘲気味に「そうだな」とクララスは笑う。悪くない反応だ。
「でも、それだけの地位に就く人間なら立派なんだろ?」
「は! あの男の何が立派な騎士だ。反吐が出る」
「違うのか?」
「違う。あの男は金で地位を買ったにすぎない。自分は安全な巣に籠もって、危険な事は俺達にやらせる。金と利権が何より好きなクズだ」
「へぇ。じゃあ、あんたはあの男よりもずっと立派で崇高な騎士様なんだ」
「当然だ!」
睨み付け、挑むようなクララスはレヴィンを見据えている。怒り、憎しみ。プライドばかりが見えていた男の目からはその色がなくなり、苛立ちや憤怒ばかりが満ちている。
内心、レヴィンはニヤリと笑う。案外あしらいやすい、そう思ったのだ。
「じゃあ、あんたがそいつを追い落とせば?」
「は?」
「嫌な奴なんだろ? そして、あんたのほうが立派だ」
男の目に理性が戻ってくる。考えるクララスはジッとレヴィンを推し量るように見ている。だがそんなものでレヴィンが本性を見せる事はない。これでも、道化は得意だ。
「…何をしようとしている」
「こっちは和平交渉を申し出たい。けれどそっちの教皇とその取り巻きは攻め滅ぼしたいんだろ? どっちかの力がそげてくれると、こっちも交渉しやすいんだ」
「なるほど…」
クララスは完全に頭が冷えたようだ。そして、深く考えている。自信家でプライドが高い。だが、決してバカではない。今回手をはやりはしたが、海戦に持ち込んだまでは悪い選択ではなかった。
それに、彼の部下というのはどこかまっとうだった。正直バートラムという男の部下ならどんなクズかと思っていたが、彼の部下は隊長であるクララスを案じ、その無事を幾度となく確かめていた。だからこそ、拷問ではない方法で吐かせようと思ったのだ。
「一つ、条件がある」
「この状況で条件をつけるのか?」
「それでも、俺の情報は欲しい。違うか?」
「…違わない。条件ってのは?」
「とある人を、助け出してもらいたい」
クララスの瞳に宿る光は鋭く、そして決して揺らがない忠義の光だった。
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【ユリエル】
ユリエルの寝室をレヴィンが尋ねたのは、既に深夜に近い時間だった。
「しゃべりましたか?」
問えばレヴィンはニヤリと笑う。それだけで十分だった。
テーブルセットに腰を下ろしたレヴィンの前に茶を出す。アルクース特製の解毒茶だ。お互いこれが体にはいい。不味く感じるようになるのが目標だ。
「それで、どうでした?」
「こちらに知っている情報を流す事と、必要なら手を貸す事を取り付けた。そのかわり、交換条件を出されたよ」
「交換条件?」
話は意外といいものだ。あちらの身内を引き寄せておければ何かと役に立つ。しかも下っ端ではない男だ。従って貰えるなら、それがいい。
だが問題は交換条件だ。あまりに法外なものなら受け入れられない。約束というものは例え口約束でも破棄すれば引っかかる。最初から欺すつもりなら割り切れるが、相手の信頼を大きく買うような場合にはやはり良い気持ちはしないのだ。
「ある人を救い出してもらいたい」
「救い出す? タニスの捕虜か何かですか?」
「いんや。どうやらルルエの司教らしいんだ。大が複数つくような恩人なんだってよ」
レヴィンの言いように、ユリエルは疑問と興味があった。
「で、ユリエル様と直接交渉ができないなら情報は出さない。って所で、本日終了。ただ、精神的には安定したし、逃げたり暴れたりする様子もない。部下の様子を気にしてたから、その辺は丁重だって話したらすんなり信じた」
「根の悪い相手ではなかったのですね」
第一印象というものを、ユリエルは外したことはない。初見で嫌な感じのする相手はほぼその通りだ。だからこそ、今回捕らえたあの男は判断ができなかった。
やった事は許しがたい。ヴィトをあのように扱った男を簡単に許す事はできない。だが一概に嫌いな相手かと言えば、そうも思えない。とっかかりになればと思っていたが、どうやらそれ以上に大きな駒になりそうだ。
「分かりました。明日にでも、直接会いましょう」
「了解」
レヴィンはそう言うと大きな欠伸をする。昔はこのくらいの時間までいても平気そうにしていたのに。
「眠いのですか?」
「だね。体の毒が徐々に中和されてんのかさ。まぁ、それでも日中眠くなる事もないし、今だって本来は休息を取るべき時間だろ?」
「一般的にはそうですね」
「じゃあ、やっぱり普通に戻ってきたってことだな」
そういうレヴィンは嬉しそうにする。彼も感じるのだろう、死の恐怖が遠ざかってきたことを。
「このまま治療を続けて、是非ともシリルを幸せにしてあげてください」
「あぁ、勿論。でも最近、俺が守られてるんだなって思えてきてちょっと情けないんだよな」
「ん?」
言いながら幸せな顔をするレヴィンが多少憎らしい。ユリエルはもう一ヶ月以上ルーカスに会えていない。月を見上げて彼を思い、その面影だけを抱いて寝ているのだ。
「いやさ、逞しくなってきて。勿論武力とか、そういうんじゃなくてさ。精神的にかなり強くなってて、俺もうかうか出来ない状態」
「いっそ尻に敷かれてしまいなさい。ヒモにでもなれば一生安泰です」
「それ、情けなくて俺が嫌。一応さ、これでも役に立つ男だと思ってるわけだし」
そんな事は百も承知だ。この男が無能なものか。常人離れした身体能力や回復力などなくても、この男は実に強く優秀だ。
なにもこの男が過去から得たのは薬による超常的な能力ばかりではない。生きるために必死になって学び、つかみ取ったものもあるのだ。
「それでも、シリルが好きでしょ?」
試すように問えば、疑いようのない表情が返ってくる。言わずもがな、ということだ。
「聞きたい?」
「言わなくていい。こちらは一ヶ月以上顔も見ていないのです、正直殺意がわきますよ」
「あら、欲求不満?」
「レヴィン」
低く、睨み付けるように言えば苦笑が返ってくる。そして次には、気遣わしい表情だ。
「まっ、乗り越えようや。絶望しかなかった俺が今、希望を見てるんだ。月並みに言えば、止まない雨はない。陛下もきっと、欲しい未来を掴めるって。俺もシリルも、協力してるんだから」
「…なんだか、癪ですね」
言いながらもユリエルは心の底では感謝をしている。一人で戦っていた時から考えれば、考えられない現状だ。変えてくれたのはきっと、ルーカスなんだ。
「お、いい笑顔じゃん」
「うるさい」
からかうようなレヴィンに言いながら、それでも穏やかである己を、ユリエルは否定できなかった。
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