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第151話 密告

【アルクース】  リゴット砦の石橋が復旧するよりも前、アルクースはユリエルの密命を受けて動いていた。  バルカロールの操船で下り立ったルルエという国は、タニスとそう大きく風景が変わる様子もない。少し川が多そうだ。そのくらいだった。 「事前にバートラムに向けて報告書を送っている。タニス王に近い者がこちらへ寝返りを前提に、内部の情報を渡すと」 「本当にそれでつれるの?」  バルカロールの一件でユリエルの食客となっていた聖教騎士団のクララスは、部下と一緒に解放された。そしてここに送り届けた船は奴らから奪ったものだった。怪しまれずに入るための目くらましと言えた。 「小心なくせに欲が深い人間というのは、目の前に美味しそうな餌があると迂闊になる。それが自身のテリトリーの中では余計にだ」 「僕には信じられないけれどな。第一、あんまり好きじゃないんだよね、こういうやり方」  とは言え、レヴィンだと胡散臭すぎる。それに、役回りとしては少し長身で逞しすぎるのだ。  今回アルクースがやる役は、タニス王の陰間、つまり性的な相手というものだ。その為見た目が華奢で綺麗な顔立ちの彼が選ばれた。  更にこの配役はもう一つ理由がある。どうやら相手のバートラムという男は、アルクースのような華奢で小柄な青年が好みなのだという。そういう相手にはより口が軽くなり、気前がよくなるという。正にうってつけだった。 「直ぐに答えは見える。まずは俺が世話になっている教会に案内する」  そう言って前を歩くクララスに連れられて、アルクースは纏っている外套のフードを目深に被った。  動きがあったのはその翌日。逗留している教会にバートラムの使者だという騎士が来たのだ。アルクースはこの国のシスターが纏う白い外套を纏い、フードを被ったままでその使者と会った。 「聖教騎士団長、バートラム様の命によってタニスからの客人を迎えにきた。速やかにこちらへとお越し頂きたい」  アルクースは側に立つクララスを見上げ、背に隠れて首を横に振った。 「なにゆえ拒む!」 「知らぬ場所で、信頼出来る人がいない状態で会うのは怖いのです。どうか、この方も一緒に連れて行ってください」  使者は明らかに舌打ちをする。おそらく間にクララスが立っていなければ、強引の腕を引いただろう。 「その前に顔と名前を拝見したい」  言われ、アルクースはそっとフードを取った。途端、使者の男が息を呑んだのが分かった。  アルクースの顔立ちはとても端正だ。肩までの黒髪は艶やかで、大きく丸い瞳は少年のようでもある。肌の色は白く、小さな頭にパーツがバランス良く配置されている。額にある太陽を模した刺青もどこか神秘的に見える、そんな人物なのだ。  使者の男は手に持っていた紙束を落とした。それは兵士などからの証言を元に作られた似せ絵だった。ユリエル、クレメンス、グリフィス。そしてレヴィンもあった。これを見て、ここに来たのがレヴィンでなくて良かったと思う。彼だったらここでアウトだ。  いや、これも予想してだったかもしれない。アルクースは主に国内を動いていたから、戦場に出る事がない。だからこそ似せ絵もなかったのだろう。 「名は、アルクースと申します。北の民、シャスタ族の者です」  それだけを告げると、使者の男は慌てて「もう一度来る」と言って出て行った。  その使者がアルクースを尋ねてきたのは、同じ日の夕刻だった。バートラム本人が会うこと、クララスの同席を認める事を伝え、表には立派な馬車が停まっていた。 「あんたの勝ちだな」  聞こえないようボソリとクララスは言ったが、アルクースは正直有り難くなかった。  目隠しのされた馬車に乗り、到着したのは一つの教会だった。クララスが教えてくれたが、ここはバートラムがお気に入りを物色するのに使っている場所の一つだという。ここで目を付けた者を抱く代わりに、見返りを渡す。それで出世できるのだからと、断る者も少ないと言っていた。なんとも反吐の出る話だ。  応接室のような場所に通されたアルクースは、目の前にいた男を見てある意味で納得をした。  おそらく四十代半ばから後半だろう男は、雄々しい大人の色香が確かにあった。エラの張った顔は男らしく、強い金の髪は艶やかに顔を縁取る。瞳は青く、眉は男らしく太く色っぽくは見える。体も大きく鍛えられていて、肉体的に充実しているのも見て取れた。  だが、いかんせんアルクースの側には様々な種類の美形がいる。  グリフィスだって若く精悍な顔立ちの美丈夫だし、クレメンスは少し神経質そうな文系の美形だ。  レヴィンだって怪しげな雰囲気を纏う毒の様な色香を持つ。  何よりユリエルのそれは一瞬言葉を忘れ見入るような至上の芸術品のようなのである。この程度の美形、ファルハードくらい魅力を感じない。  だが男、バートラムの反応は違った。扉を閉めた事でフードを取ったアルクースを見て、喉仏が大きく上下するほどに見入っている。上から下までを舐めるように見る不快な視線に内心「殺す」と思いながらも、一切出さずに微笑んだアルクースは丁寧に頭を下げた。 「北の民、シャスタ族のアルクースと申します。こうしてお目通りが叶いまして、正直安堵しています」 「あっ、あぁ。ルルエ聖教騎士団団長、バートラムだ」  虚を突かれたように反応の遅れたバートラムに、アルクースは弱い表情で笑う。いっそ抱きしめてその憂いを取り払ってやりたいと思えるほどの弱々しい様に、バートラムは腰を浮かせた。 「このような突然の申し出、しかも敵国の者とは会って頂けないと、半ば諦めていました。話を聞いて頂けるのですよね?」 「勿論だ! 聞けば貴殿はタニス国王ユリエルを恨んでいながら、一族の者を人質に取られ体の関係を強要されているとか。なんと惨い」  まるで演技がかったような大仰な言いように、アルクースは苦笑したくなる。勿論そんな事一切顔には出さず、悲壮感溢れる傷ついた顔で頷いた。  勿論これは事前にユリエルと示し合わせた事。そんな事実は一切ない。だが、後で調べられても信憑性のあるものにした。  ユリエルがかつてシャスタ族を先祖伝来の土地から追った事も事実であり、現在その土地に住まわせているのも本当。しかも取り立てる税は破格だ。その裏にこのような取引があっても、おかしくはない。そのようなものだ。 「ルルエの神はそのような非道を許しはしない。さぁ、まずは座ってもらいたい」 「有り難うございます」  招かれるままにソファーに座ったアルクースの対面に、バートラムが座る。クララスはそっと、戸口に控えた。 「詳しく話してもらえるだろうか、アルクース殿」 「はい。我らシャスタの民はタニスの北の森に住んでいました。そこに突然タニスの軍が攻め入り、先祖からの土地を追われました。俺はみなしごでしたが、育てて貰った恩のある人がいました。その人もまた、現タニス国王ユリエルの手によって殺されてしまったのです」  本当は老衰で、それまでユリエルは大事に面倒を見てくれて、死後も手厚く葬ってくれたのだが。ここには本当に、感謝以外の感情はない。 「土地を流れ、残された一族と流浪の旅をしていた俺達は、再びユリエルに捕らえられました。そこで、先祖の土地に一族を住まわせる代わりに、俺を差し出せと言われたのです」  実際は短気なお頭が無謀な決闘を受けて負けたのが切っ掛け。土地は国を取り戻す手伝いをする対価に貰ったんだけど、かなり破格だったと思う。  バートラムは青い瞳に涙を浮かべて頷いている。それが少し気持ち悪い。哀れみの視線がいっそ厭らしくて逆に怖い。 「なんて卑劣な」 「一族は元の土地に戻りはしましたが、俺は常にユリエルの側にいる事を強要されています。もしも俺が逆らえば一族に害が及ぶと脅されては、どうにもなりません。戦場暮らしのあの男は、その熱を俺にぶつけることで憂さを晴らしているのです」  顔を背け、口元を手で隠し俯けて肩を震わせる。演技派を語れるだろうアルクースは、違う意味でのってきた。 「何度、死ねば楽になると思ったか…。恩師を殺した憎い男に身を委ねねばならない夜は心が死んでいくようです。ですが俺が死んでは、一族はどうなるのか。違う誰かが同じような目にあうのか。思えば儚む事もできず、ただ揺さぶられ男の欲望を受け入れるしか…」  どうだ名演技! と言わんばかりに涙声を作り、自らの体を抱きしめる。すると不意に動く様子があり、抱きしめる自分の腕ごとごつい男の腕に抱き込まれた。 「なんて辛い! なんて非情な男なんだ!」  一瞬鳥肌がたったが、この反応は上々だ。いや、少しやりすぎた感じもある。だがここまで来ては突き進むのみ。アルクースは覚悟を決めて男の厚い胸に顔を埋めた。 「やはりタニスの王は悪魔の王だ。大丈夫です、アルクース殿。我ら神の使徒が必ずや地上の悪魔を討ち滅ぼし、貴方を自由にいたしましょう」 「バートラム様…」  涙声で名を呼び、おずおずと背に腕を回す。そうしてしばし縋るようにバートラムに抱かれていたアルクースは、やがておずおずと体を離し弱く笑みを浮かべた。 「貴方の温かな気持ちに感謝します。このような汚れた俺にも優しい言葉をくださって、俺は幸せです」 「アルクース殿」 「俺は今、ユリエルに囚われた状態です。今も一族に会いたいと嘘をつき、ここにいるのです。耐えられず、海に身を投げようとしていたところをクララス隊長が助け、貴方に相談する事を勧めてくれなければ、俺は今頃海に消えていました。この出会いに、感謝いたします」  これでもかと幸せな笑みを浮かべたアルクースは、男の欲望を滾らせる瞳を見ていっそ怖くなったが、ここにはクララスもいる。いざとなれば助けてくれると信じているし、言い逃れる方法はある。キス…くらいは我慢しなければならないかもしれない。 「お願いします、俺を解放してください。俺の一族を解放してください。その暁には、俺は貴方にこの感謝を一生の恩としてお返ししたいと思います」 「あぁ、任せてもらいたい! 聖教騎士団は神の剣。この世界から悪を払い、真に神の国とするためにあるもの。この世の悪を必ずや討ち滅ぼし、貴方の憂いを取り除いてさしあげましょう!」  まんまと引っかかった。それを確信したアルクースは、懐から一枚の紙を取り出した。そしてそれを、バートラムへと手渡した。 「これは…」 「前線で、俺が漏れ聞いた情報です」  そこには、石橋があと一ヶ月程度で完成すること。その後、タニスは砦を背に距離を取って平原に野営を張る事。そこに参加する将の名前と、大まかな兵力が箇条書きになっていた。 「このような物しか手土産にできず、心苦しいばかりですが」 「そんな! これだって、もしもバレればどうなるか…」  弱く頭を振って、アルクースは微笑む。見上げる瞳に儚さを乗せたそれは、すでに命ない事を覚悟した人間のようだった。 「俺はもう、この生活にも疲れています。これがバレて殺されたとしても、それが運命だと思っています。それよりも、どうか一族を救ってあげてください。ユリエルの首を、どうか…」 「勿論だ!」  力強く言ったバートラムに再び抱きしめられながら、アルクースは第一段階が成功したのだと確信した。  その後、バートラムはアルクースにこの国に留まるように言ってきたが、これがバレると一族の命がないと言って断った。  クララスにお願いして、怪しまれないよう商船に乗ってタニスに帰ると告げれば、「安全な商船に乗せるように」とクララスに言って帰してくれた。  馬車で近くの港町まで送ってもらい、朝一でタニスに向かう商船を探す。そして示し合わせたように、一艘の船と交渉ができた。 「ほな、確かにお代は頂きました。その人をマリアンヌ港までやな?」 「あぁ、頼む。出港までの時間、俺も彼についていたいんだが」 「えぇで。部屋案内したるわ」  そう言って船の船底部分へと二人を誘導しているのは、当然全てを知っているツェザーリだ。  やがて一室へと到着した三人は、そのままたまらずに笑い出した。 「アルクースの演技には舌を巻いた。バートラムが本気で落ちていたぞ」 「もぉ、抱きしめられ時なんて鳥肌たっちゃった。気持ち悪いよ」 「そないな事したんかいな」 「ちょっと、金持ちのおじさん誑かす悪い人の気分だったよ」  なんて楽しげに言うアルクースは、それでも上々の反応に手応えを感じていた。 「これでこっちの情報を元にバートラムの配下が動けば、グリフィス将軍やクレメンス将軍が動く切っ掛けになる。俺も第二段階だね」 「それにしても、ようやるわあのお人。自分の布陣を敵に渡すなんて、おっかない事やで」  これにはアルクースも同意見だった。諸刃の剣…と言えばいいのか。  本来布陣や兵数なんてものは伏せて当然。そこを読み解くのが戦術の初歩であり、腕でもある。それを懇切丁寧に教えたのだ。  それでも優位は変わらないだろう。奇襲を掛けられる事を望んで流した情報だ、無防備にみせかけても対処できる。何よりこの作戦を知っているのはユリエルとクレメンス、レヴィンのみ。  レヴィンは前線には出ずにリゴット砦だし、クレメンスは前線にいる。どちらに攻撃を受けても対処出来る人間がいるのだ。 「動いてくれるかが、問題だけれどね」 「おそらく問題ない。欲の深い男だ、タニス王の寝首をかけるかもしれないと思えば人を出す。何よりお前が前線にいるなら、あの男は欲しがるはずだ」 「俺、そろそろ貞操の心配したほうがいい?」  なんて言えば、周囲が笑う。今までそんなこと考えたこともなかったけれど、あの男のあの目はそういう光に満ちていた。そこに飛び込むような事をすれば、当然そこは考えなければ。  少し考えて、やっぱりそれは嫌だと素直に思った。 「おそらく、タニス軍が布陣したのを見計らって、聖オーキン教会に駐留しているリチャード隊が動くだろう。同時にアルクースを保護するように指令が出ているかもしれない。この場合は気を付けてくれ」 「ん?」 「リチャードがあんたを害するかもしれない。嫉妬深い男だ、バートラムの寵愛があんたに向き始めたと知れば邪魔に思って殺そうとするかもしれない。あんたを保護しても、直ぐにバートラムが出てくる事はない。あいつを引き寄せる事が出来なければ、あんた達にとっては失敗だろ」 「そうだね」  全てはあの男を堅牢な自分の屋敷から、部下を連れて出て貰う事。そしてあの男を捕らえる事だ。  翌早朝、船はタニスへ向かって出航した。クララスとはここでお別れだ。  船の甲板に立つアルクースの側にツェザーリが来て、同じように風に吹かれている。 「上手くいくんかいな」 「どうかな。でも、押し込むんじゃないかな」 「怖ないんか?」 「ん?」 「あのお人の手の中や。あのお人がもしもいなくなれば、タニスって国は瓦解するで」  危機感のあるその言葉は、アルクースも感じている。現状、国の事も軍の事もユリエルが行っている。全てを把握しているのはユリエルだ。その状態で彼に何かがあれば、事が滞るかもしれない。  思って、でも大丈夫と言える要素も彼は確かに残していると知る。 「平気だよ。国政についてはシリル様が、軍に関してはグリフィス将軍とクレメンス将軍が把握している。シリル様も育ったからさ、多分平気なんだ」 「なんや、抜け目ない」  抜けがあったらどうするつもりだったのか。どこか不穏に言ったツェザーリに溜息をつきつつ、アルクースはふと思ってしまった。 「あの人を俺達が信じられるのはさ、きっと全てが自分の為じゃないからなのかな」 「はぁ?」 「だってさ、考えると面倒じゃない? 沢山の人に認められないまま王様になって、毎日胃の痛くなるような嫌味言われてさ、それでも留まってる理由ってなに?」 「そら、金とか、贅沢とか、権威とか…」 「そんな人に見えた?」  問えば「うーん」とツェザーリは悩み、やがて困った様に首を横に振る。そう、そうなんだ。王様になったその利をあの人はほとんど受け取っていない。それどころか、富を大いに分けている。 「俺なら逃げたいな。そんな苦しい思いするくらいなさ、さっさとシリル様に譲ってさっさと他国にでも行ってさ。あの人なら他国だって十分やっていけるし」 「美貌だけで国を傾けられるんちゃうか? シンドリア王国の王にでも近づけば、一生寵愛されて生きられるで」 「シンドリア王国?」 「一夫多妻制、つまりはハーレムの文化や。今の王は美しく若い、精力的な王様で、沢山の妻をもっとる。男色の気もあるお人や、ユリエル陛下を見たら速攻で口説くで」 「うわぁ、苦手だなそういうの」  一人を大切に慈しみたいという思考の強いアルクースには理解できない文化と感覚に思えた。 「国を捨てずに、理想だけを見て進んでる。その理想が荒っぽいなら困るけれど、平和な世を見ているならさ、つぶし合いじゃない共存を見ているならさ、俺は従って良いと思うんだ。それに俺達の言葉を聞けないわけじゃない。踏み外しそうならさ、引き戻せばいいんだよ」 「それ、王様と部下の関係とちゃうわ」  なんて言いながらツェザーリも楽しそうに笑う。これが心地よい、そう分かる表情にアルクースも笑っていた。

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