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第154話 聖オーキン教会攻略

【クレメンス】  馬蹄の音が響いたのは、布陣した翌早朝の事だった。  クレメンスは直ぐに隊に号令をかけ、野営のテントもそのままに交戦準備を行った。そうしてぶつかったのは、本当に準備が整った直後だった。  真正面から十倍の兵力をぶつけられるのは、流石に骨が折れる。クレメンス隊は強者を集めてきたが、それでも数が違う。ジリジリと後退を余儀なくされている。 「タニスが将、クレメンス殿とお見受けする!」  昨日見た青年、リチャードが剣を抜いてクレメンスへと斬りかかる。それを正面に受けたクレメンスは、意外な押しの強さに力がこもった。顔と体だけでのし上がったのかと思ったが、意外とそうではなかった。 「名を聞こうか」 「聖教騎士団が将、リチャード。貴殿の首をもらい受ける!」  血気にはやるリチャードの剣は鋭いラインをついてくる。クレメンスはそれを受けながらも、周囲を探らなければならなかった。  そもそも、数の優を覆すほどの個人的武をクレメンスは持たない。クレメンスの能力が発揮されるのは部隊編成や指揮だ。目的達成に最も無理のない方法を模索し、立案し、速やかに部隊と物品を準備し、適切に動かし、最も高い成果を上げることが彼の本来の仕事だ。  不利を武でねじ伏せる、グリフィスやユリエルのような武は持たない。また、レヴィンのような一発逆転ができる能力もない。いつでも正当に、正面から事に当たるのがクレメンスだ。  だが、今それを言ってどうなる。主の憂いを断ち、国の何百年先の和平の礎となる。その為には、こいつらを引きつけ引き離さなければならない。知らせがくるまではなんとしてでも踏みとどまらなければ。  部隊は押し込まれ、前線をかなり下げた。クレメンスも同様に苦戦を強いられ、後退をしている。既に教会が遠くに見える。おそらく、教会からはもう数キロ引き離した。 「もらった!」  リチャードの剣がクレメンスの剣を弾き飛ばす。既に数十合も剣を交えた手は痺れていた。続いた斬撃を、クレメンスは相手の馬を足で蹴り飛ばす事で退け背を向けて走り出した。こうなれば逃げの一手を打つよりない。既に仕事は十分に果たしている。 「逃げるか!」  声が迫り馬蹄が聞こえる。振り向いたその時、砦に狼煙が上がったのを見た。  安堵した瞬間、馬がいななき前足を上げてドウと倒れた。投げ出されたクレメンスは荒れた大地に強かに体を打ち付け呻いた。  まだ薄い光を放つ太陽を背にしたリチャードが馬上から剣を振り上げる。それを見上げたクレメンスは、自らの終わりを覚悟した。  だが、その間に黒い影が走った。その影はクレメンスを背に庇い、難なくリチャードの剣を受けると一刀のもとに落馬させる。戦場の黒衣、タニスの軍神。 「グリフィス…」 「諦めた顔などお前には似合わないぞ、クレメンス」  振り向き、笑いかけるその顔を見て、これほどに安堵した事はない。今更ながら震えが走り、そんな自らを叱責したクレメンスは、差し伸べられた手を取った。 「動いたのか」 「狼煙を見たからな」  それは、教会側の鎮圧が終わった証し。フェリスが教会の建物内部で眠り薬を焚いて中の人々を眠らせ、屋外にいる兵士に振る舞いの酒を眠り薬入りで飲ませた。そうして全てを無力化してから、外に出た部隊が戻らぬように門扉を閉めたのだ。  クレメンス隊が後ろに下がったのは、容易に部隊が教会に戻れぬように距離を取らせるため。そして、元々合流予定であったグリフィス隊が潜む場所まで誘導し、リチャード隊の後方を取るためだ。  戦況は一変した。追っていたリチャード隊の更に後方を、教会から切り離すようにグリフィスの隊が分断した。また、リチャード隊を挟むように白馬が走り込んでくる。戦場に煌めく白銀が、状況が一変したリチャード隊を更に困惑させた。 「タニス国王、ユリエルである! 今すぐに剣を捨て、地に伏せよ! さすれば命までは取らぬ!」  凛と通る声に、狼狽した人々はオロオロしながらも不利を感じて従っていく。抵抗して剣を振りかざし突撃した者が一刀のもとに斬り伏せられるのを見れば、どちらが賢いか分かるだろう。それでも抗うような気骨と忠誠心を持つ者はここにいないということだ。  手早くグリフィスの隊がリチャード隊を縛り上げていき、ユリエルの隊が引き継いでそれをタニスの野営地へと連れて行く。リチャードだけはユリエルの前に引っ立てられた。 「貴方がリチャードですか」 「貴様が!」  若いが故の語気の荒さでユリエルを見たリチャードが、その顔を見て舌を止めるのは見ていて楽しい。  まぁ、分からないでもない。クレメンスも我が主の美貌は十分に理解している。よほど神はこの人にご執心だ。もしくは、悪魔が作ったのかもしれない。人々を誑かす悪魔の方が美しいという話は聞いたことがある。 「貴方はまだ、役だってもらいます。愛しいバートラムに、会いたいでしょ?」  ニヤリと笑って言うユリエルを見るリチャードは、その問いに曖昧に頷いている。既に飲まれたのだろうと、クレメンスは笑った。 「事は順調ですよ、ユリエル様」 「クレメンス、ご苦労でした。怪我の治療を」 「まずは教会に行きましょう。身ぐるみ剥がしましたので、それも運ばせて。それに、ユリエル様の仕事はこれからですよ」  落ちて打った左の肩を押さえて苦笑したクレメンスに、ユリエルは近づいてマントを取り、それを広げて首から吊るようにする。本来、主がこのような事を家臣にする事はないだろう。だがこの人はそれを何でもなくする。本当に、困った人たらしだ。 「クレメンス、こっちに来い。傷を早めに洗う方がいい」 「行ってきなさい、クレメンス」  グリフィスに腕を引かれ、クレメンスは一礼してユリエルの側を離れた。そして、少し脇の休める場所に腰を下ろした。  打ち付けた肩を外し、服だけを脱いだクレメンスの肩と背中は、青くうっ血して所々黄色くもなっていた。ただ幸い打ち身だけで傷はなく、グリフィスも苦笑をした。 「これは後で痛むな。今日は背を付けて寝られないぞ」 「今日こそ睡眠が欲しいんだがな」  手早く傷の周囲を水で流し、僅かな汚れを落としたグリフィスに笑いかけながら、クレメンスはそんな事を言う。本当に、これからも忙しいのだ。今日くらいはゆっくりと寝たい。 「クレメンス、計画は上手くいくと思うか?」 「ん?」 「バートラムをおびき寄せ、奴が持っていると思われる親書を出させる。それをハウエル司教に託して解放し、ルルエ王の下へ引き渡す」  計画はそのようになっている。だが、二人ともそこまで事が上手くいくのかまだ分からない状態だ。今のところは上手くいっている。だが、必ずどこかで引っかかるものだ。特に今は敵地だ。  何よりもユリエルがハウエル司教を説得できなければ頓挫する。 「…クレメンス、ユリエル陛下にはルルエ側に協力者がいると言っていたな」  いつになく低く小さな声が、ともすれば消えてしまいそうな呟きが、クレメンスにだけ問いかけてくる。それに、クレメンスは衣服を整える振りをして頷いた。 「どんな相手か、聞いたか」 「聞いて答える人だと思うか。どうした?」  問えば黙りだ、珍しい。グリフィスは思案も多いが、自分から話し出した事に歯切れを悪くさせる事は少ない。疑問に思えば、酷く戸惑う声が降った。 「…先日の、陛下とルルエ王の決闘。近くで見ていた俺には、激しく本気の手合わせに見えた」 「…どういうことだ」  クレメンスも表情を引きつらせる。何を言いたいのか、分かるような分かりたくないような、微妙な感情だ。 「ユリエル陛下の剣は、本来もっと鋭く、容赦が無い。相手に隙が無くとも、針の穴を通すように狙う。その鋭さが、無かった」 「たまたまか、相手方がよほどの手練れだという考えはないのか?」 「俺を相手にも容赦する人じゃない。だが…互いにだな。あの二人は互いに、激しく打ち鳴らすように戦いながらも相手に深手を負わせない距離は保っていた。そのように、俺は思う」  グリフィスのこの感覚が正しいとなれば、とんでもない事だ。国の王が、まさか敵国の王と通じていた。それが本当なら…知られれば…。  だが、考えられない話ではない。ルルエ王の思想は最初から、ユリエルに通じるものがある。万が一この二人が何かの切っ掛けに互いの思想を共有できたなら、それぞれ自国の問題を解決し、和平へという運びになるかもしれない。  その可能性があるとすれば、ラインバールの戦いの後、リゴット攻略前。あのタイミングで内通した、そう考えるほうが正しい。  実際、ユリエルは国内を整えた。そしてその間、クララスの事はあってもルルエ王が海軍を出す事はなかった。 「グリフィス、お前の考えが万が一正しいとして、お前はユリエル様を見限るか?」  クレメンスの問いにグリフィスは驚いた顔をする。その顔の、なんと毒のないこと。最初からそんな選択肢は存在していないかのようだ。だからこそ、腹の底から笑った。 「あぁ、愚問だな。安心した、私もない」 「案じているだけだ。彼の王の人柄も、悪いものではないと思っている。和平がなれば良き隣人となれる可能性が高い。だが……今知れれば事が大きくなる。ユリエル様の敵が減ったとはいえ、皆無ではない。だから」 「分かっている。まったく、お前は良き臣だな」  笑って立ち上がったクレメンスは、部隊が移動して行くのを見て動き出した。そうして、一路聖オーキン教会へと向かったのであった。

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