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第1話 雨の夜

 豪雨が屋根を打ち据える。  夕刻から降り始めた雨は、今や雷を伴うものとなっている。  古く荒れた山寺を見つけた若い僧は、全身を濡らしながらも一夜の宿を得た事に安堵した。  寺の床は所々床がたわみ、隙間風が入り込む。だが仏様は残されたまま、静かに見守っておられる。 「今宵一晩、お世話になります」  深く礼をした僧は、宿の感謝を込めて経をあげ始める。諸国を巡る彼に備えられるものは、心からの感謝と経だけだった。  その時、不意に扉を叩く音がして、僧はそちらに視線を向けた。  そして何の疑いもなく扉を開けてやった。自分と同じように、雨に打たれて困った人でもいるのだろうと思ったのだ。  そこにいたのは旅人だった。  年の頃は僧と同じくらいか、やや上だろう。目を惹くのはその顔立ちだ。端正で、とても凜々しい男だった。 「お坊様、どうか一夜の宿をいただけないか」  旅人は全身ずぶ濡れになっていて、とても可哀想な状態だった。  僧は慌てて旅人を中へと入れる。そして、自分もまたこの山寺に駆け込んだ者で、住職ではない事を素直に伝えた。 「お坊様はその若さで、何故諸国を巡る旅などをしているのか」  旅人が尋ねる事に、僧は恥ずかしく口を開いた。 「私は長く寺にいて、世間の事に疎く、何も知らぬのだと知ったのです。ですから己の目で諸国を巡り、見てみたいと思ったのです」  純粋な目で伝える僧。それを見る旅人の目は、ほんの僅か暗い光があった。  だが僧はそんな事に気付かずに、とても穏やかに微笑んでいる。 「…旅は、どんな塩梅なんだ?」 「辛い事もあります。戦に泣く人々や、飢えに苦しむ人々を見ました。私は無力で、何も持っておりません。せめて心より祈る事くらいしか出来ませんでした」 「そうか」  素っ気ない旅人が、すっくと立ち上がる。そしておもむろに、着ていた衣服を全て脱ぎ始めた。  これに慌てたのは僧だった。旅人の突然の行動に……その引き締まった体に驚いた。 「なにを!」 「なにって、濡れたままでは体が冷えて死んでしまう。ここには暖を取れる物はないしな」 「あ……」  言われてみればその通りだ。  僧は途端に寒さを感じて身を震わせる。濡れて重たい衣服を着たまま、先に経をあげようと思ったところで旅人がきて、忘れてしまったのだ。  旅人はすっかり衣服を脱ぎ去り、ふんどし一枚の姿になって濡れた体を手ぬぐいで拭いている。  腹筋が、腕が、足が、引き締まっている。均整の取れた綺麗な体だ。 「……そんなに見るな」 「! 申し訳ありません」  言われて我に返った僧も遅れて衣服を脱ぎ始める。  ずっしりと雨水を含んだ服は重く、簡単に乾くようには思えない。  それに、すっかり体が冷えてしまっている。体の芯が震えてくる。  それにしても、貧相な体だ。僧は自身を見下ろして思う。細く痩せて色も白い。鍛えたわけではないから、筋肉だってない。 「そんな体で旅なんて、無謀だな」  びくりと体が震えた。  旅人の絡みつくような視線を感じたのだ。背後から、舐めるように見ている。 「あんた、いい所の出だろ。武家か、貴族か」 「確かに生家は貴族ですが、幼き頃に仏門に入ったので、もう関わりは……」 「それでも、待遇は違うはずだ」  苛立ちすら感じる声音に、寒さとは違う意味で震える。  座っていた旅人が腰を上げ、近づいてくる。逃げる場所もないのに、逃げたい気持ちがこみ上げて、僧は身を硬くする。  旅人は、体温を感じる程に近い場所にいる。 「旅なんて止めて、寺に戻ったらどうだ? あんたには耐えられやしない」  耳元に吹き込まれる言葉に、僧はカッとなって睨みあげる。悔しさと腹立たしさが混ざり合って、気付けば声を荒げていた。 「止めません! 私は自分の力で糧を得て、人と接し、救いたいと思ったのです。その為にする苦労は苦痛ではありません。立派な寺の奥に隠れて過ごす日々には戻らないと決めたのです!」  ひ弱な僧の思わぬ抵抗に、旅人は面食らって目を丸くし、次には楽しそうに笑う。  僧は突然笑い声を上げる旅人に驚き、言葉を失ってただただ見つめている。 「立派な志だな。だが、寺でよほど嫌な事があって逃げて来たようにも聞こえるぞ」 「そんな……」 「坊さん、抱き心地良さそうだしな」  僧の体がびくりと震え、旅人がふっと笑う。 「なんだ、図星か」 「違う!」 「綺麗な体をしているし、柔らかそうだ。それに、妙な色気がある。稚児というには年が行き過ぎているが、よほど具合がいいんだろう」  旅人の視線が色を含んだものに変わる。僧は怯えて逃げたが、それより先に旅人の手が僧を掴まえた。 「何をするのです!」 「別に、何もしないさ」 「離してください!」 「そっち、床抜けてるぞ」 「え?」  自分が走り出そうとした先に視線を向けた僧は、薄暗い中更に闇を深める穴を見つけて大人しくなった。そしてそのままへなへなと座り込んだ。 「少しからかいすぎたか。ただ、突いたら面白そうだと思って、ついな。悪かった」  旅人はそう言うと体を引いて仏像の前辺りに座る。そしてそこに、僅かな食べ物を広げた。 「食べるか?」  干し芋を一つ差し出され、僧はそろそろと旅人に近づく。警戒しながらも芋を手にした僧に、旅人は大いに笑った。 

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