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抱きしめてほしい(和泉視点)
完結作品ですが(毎度のことですが)ちょっとしたSSを書きました。
このクッションの感触、きらいな人はなかなかいないと思うんですよね〜。
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珍しく二人そろってのんびりとすごしている金曜日の夜。二人分のコーヒーを淹れてリビングに行くと、朔耶がこれまた珍しくスマホとにらめっこをしていた。
ローテーブルにマグカップを置き、朔耶の隣のソファに腰掛ける。
「何を見ているの?」
仕事の話であれば席を外すつもりで問うと、朔耶からは「抱き枕」という意外な答えが返ってきた。
「抱き枕?」
思わず和泉も聞き返してしまう。
「なんか見始めたら止まらなくて……」
朔耶は顔を上げて苦笑したが、その目は真剣で、何やら本格的に検討を始めている。
抱き枕か、と和泉は一緒に朔耶のスマホを覗き込む。
朔耶がムニュムニュとしたクッションの感触が好きだということはなんとなく察していた。
というのも、この部屋に引っ越してくる前に住んでいた三軒茶屋のマンションには、「人をダメにするクッション」が二つあったと聞いているためだ。
「人をダメにするクッション」とは通称で、正確にはビーズクッションというらしい。伸縮性のある生地にみっちりマイクロビーズが充填された、大きめのクッションで、ぎゅっと握ると指の間から伸縮性のある生地がムニュっと出てきて、その感触がまたなんとも言えずクセになる。
人の背中がすっぽり収まる大きなサイズの三角錐だったり四角形だったりものが、各インテリアブランドから様々な形のものが販売されている。その身体を包み込むような触感がクセになり、なかなか立ち上がることもできないため、巷では「人をダメにするクッション」などと言われているらしい。
朔耶はそれが大層お気に入りだった様子で、大きい方に身体を預け、小さい方に足を乗せるのが最高のリラックスだと話していた。
しかし、そのクッションは、引っ越しとともに処分してきたらしい。彼の引っ越し荷物の中にはなく、聞いてみると「だらしなくして暁さんに嫌われたくないから」と言っていた。しかし、買い物をしていると時折、ディスプレイされているビーズクッションを眺めていることもあり、あの感触が恋しいのだろうと思ったこともあった。あのクッションを買って部屋に置こうかと、和泉も喉元まででかかったことが何度かある。
しかし止めた。
人とダメにするクッションを朔耶に与えることで、朔耶が自分を構ってくれなくなり、和泉自身が「人をダメにするクッション」に嫉妬する「ダメな人」に成り下がりそうが気がしたのだ。
そのような経緯があっての、今度は抱き枕だ。
やはり朔耶はムニュムニュの触感が好きなのだろう。ビーズクッションくらい部屋にあっても、彼のリラックスになるのであれば問題はないだろうと、和泉も気軽な気持ちで、朔耶のスマホを覗いた。
「どんなものが売ってるんだ?」
こんなの、と朔耶がスマホをかざして見せてきたのは、やはりビーズクッションの細長いフォルムの抱き枕だった。
言ってしまえばさや付きの空豆のような細長い形で、数種類のカラー展開があるらしい。パステルカラーが可愛らしい印象。
ページをタップして次の画像を拡大し、ふと和泉の手が止まった。
「暁さん?」
「いや、ダメだ」
思わず口をついて出た。
「え」
朔耶が不思議そうに問い返す。
和泉の視線の先には、その抱き枕に抱きついて眠るモデルの写真があった。単品の写真ではよく分からなかったが、モデルが写真に入ると明解で、かなりの大きさだとわかる。そのモデルは空豆型の抱き枕をぎゅっと抱き締め、脚まで絡めて安堵の表情を浮かべて眠っている。それがとっさに朔耶の姿と被り、和泉の胸に拒絶感が湧き上がる。
朔耶を抱きしめて眠ることができるのは自分だけだ。
たかがクッションにその役割を譲ることはできない。
「……だめ?」
残念そうに問う朔耶に、思わず和泉は本音を漏らす。
「お前を抱いて眠れるのは俺だけだからな」
思ったことをそのまま口にしてしまい、しまったと思った。まさに偽らざる本音ではあるが、あまりに狭量な反応だと思ったのだ。
「あは」
すると、朔耶が嬉しそうな顔を浮かべた。
スマホをテーブルに置き、温かい身体を寄せてくる。胸にもたれるようにして、見上げてきた。
「もちろん、僕が抱きついて寝たいのは暁さんだけだよ」
朔耶の言葉に訳もなく安堵がこみあげる。
「でもね」
と朔耶が言葉を続けた。
「……暁さんが仕事でいない夜、なかなか寝付けなくて」
だから、暁さんの代わりになる抱き枕があれば、寂しくないかなって思ったんだ、と朔耶が視線を伏せる。
自分の狭量な嫉妬と朔耶の安眠。
天秤にかけるなら、答えは明快だ。
なのに、どうしてもその一言が出てこない。
「うーん」
和泉は朔耶の身体をぎゅっと抱きしめる。朔耶が和泉の脚のうえに跨り、肩の上に腕を乗せて向かい合う。朔耶の腰に腕を回した。
「ホントはムニュムニュの抱き枕より、温かくて優しい暁さんの方がいい」
和泉は朔耶を抱きしめる。彼の香りがふわりと官能を誘う。朔耶、と小さく呼んで、こちらに注意を向ける。ちろちろと口唇と舌の交歓を愉しみながら、和泉は考える。そろそろ番の安眠のためにも、これまで自分が担ってきたオンコールやら当直やらの対応を若手にもっと振り、緊急時の自分の仕事の負担を減らしてもよいのではないかと。
【了】
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