8 / 15

新しい関係

 目が覚めた時、ここがどこか分からなくて焦った。知らない家で、ソファーに寝ている状況。少し遠くで、シャワーの音がしている。  落ち着け! と、俺は何度も繰り返して、昨日の記憶を引っ張り出す。幸いどれだけ飲んでも、大まかな記憶はある。細かな会話の内容は思い出せなくても、誰とどんな経緯でここにいるのかくらいは覚えている。 「牧山さんのバーに行って…」  男が、俺の面倒を色々見てくれたんだ。柄にもなくハイペースで飲んで、自暴自棄になって、酔いつぶれた俺に付き合ってくれた。帰りたくなくて、男がここに連れてきて、話を聞いてくれたんだ。  ガチャッ  音がして、男がバスローブ一枚で出てきた。目があった俺は、少しだけ気まずい。昨日の醜態を思い出したら、少し恥ずかしかった。 「起きたんだ。シャワー、使う?」 「あぁ、うん」  一瞬逃げようと体は動いた。けれど、思ったほど動けなかった。まだ少し、昨日の酒が残っていた。  男は何も気にした様子がなかった。キッチンに行って、ミネラルウォーターを一杯飲んで、俺の対面にくる。 「あの、昨日は、その…」  なんて言えばいいだろうか。言い訳も変だし、今更だろ。  そう言えば、この男の名前を俺は知らないんじゃないのか?」 「お、正常な思考には戻ったわけだ。んじゃ、改めて自己紹介かな」  男は実に明るく言って、俺の前に名刺を差し出す。俺はそれを受け取って初めて、男の名前を知った。 「明家恭平です。この辺にいくつか、飲食店を持ってるんだ。一秀ともそういう縁で知り合い」  男の名刺を茫然としばらく見ていたが、ハッとして俺も財布から名刺を出す。なんか、おかしな絵面だが。 「鳥潟佑です」 「へぇ、空間コンサルタント! 店のインテリアや、イベントの運営もやるの?」  明家は俺の肩書に、予想以上に飛びついた。これは、職業柄か? 「小規模なパーティーから、展示会のような大きな企画展までだが」 「へぇ。今度一度お願いしようかな。店の内装とか、結構マンネリ化して面白みがないから」 「有難うございます」 「お願いしたら、あんたがやってくれるのかな?」  明家の少し鋭い視線に、俺は一瞬ドキリとした。勿論そんなもの、顔には出さなかったが。 「俺は秘書で、あまり表に出ない」 「そら残念」  あっけらかんとした様子で、明家はそれ以上仕事の話はしなかった。  俺はシャワーを借りながら、これからどうしたものかと考えた。今日まで休みはある、それはいい。問題は、これほど迷惑をかけた相手にどう礼をしたものか。  考えたが、そもそもそんな事をあいつが望むのかが分からない。  熱いシャワーを浴びても俺の脳みそはまだ酔っ払いなのか、結局結論など出ず、『あいつに聞こう』という事にした。  シャワーから上がると、明家はキッチンで何かを作っていた。俺が上がると丁度できたのか、二人分のうどんが出てくる。質素で色の薄い関西風のうどんだ。 「まずは胃に入れろよ。んで、ちょっと付き合って」 「付き合うって…」 「あんたの時間を少し、俺に使ってみないかってこと。大丈夫、夕方までには帰すから」  俺は言葉を無くした。だがとりあえず、礼をするという話はこれでチャラにすることにした。  明家が何を付き合えと言うのか、正直ドキドキしていた。とんでもない事を言われるんじゃないかと、警戒していた。  だが彼が始めた事は、俺の想像の範疇にはなかった。 「…なに?」 「何って、ゲーム」  家庭用ゲーム機をセッティングして、俺にコントローラーを握らせる。そして、問答無用でスタートさせる。 「ほら、始まるぞ」 「え? ちょっ!」  始まるぞって、俺はゲームなんてやった事がない。  結局、俺はスタートこそできたものの、ゴールはできなかった。その事実に、明家は驚いている様子だ。 「もしかして、ゲームしない子だった?」 「あぁ」 「これ、国民的レースゲームよ?」  知るかそんなもの! 「友達の家とかでも、やった事ない?」  そんな友達がいたらこんな性格してないっての!  思わず俺は睨み付けた。色んな鬱憤をぶちまけるような怒りの目だ。それに、明家は少し怯んで、申し訳ない顔をした。  申し訳ない顔するな! 余計に…惨めになる。 「あんたさ、休日どうしてんの?」 「読みたかった本を読んだり、行ってみたかったショップを巡ったり、ドライブしたり」 「一人?」 「一人だが」  いちいち気に障る。昔から、こういう弄り方をされるのが嫌いだった。  全身からイライラオーラを出している。こういう時、普通の奴は適当に濁してその場を去る。そういうのには慣れている。だがこの男はあろう事か、目を丸くしたままとんでもない事を言ってのけた。 「それって、楽しい?」 ピシッ  俺の中で怒りにヒビが入った。 「楽しいが、何か?」 「誰かと遊ぶのが楽しいじゃん。そりゃ、一人の時間も大事だけどさ。休日だぞ! アフターファイブじゃできない事しないと」 「俺はこれで十分楽しいんだ!」  苦手な相手だ。俺とは真逆な考えだ。しかもそれを他人にも押し付ける。そうやって、俺を否定するんだ。  睨み付けた俺をまじまじと見て、だが明家はニッと笑った。 「教えるから、もっかいやろうぜ」 「なんで!」 「できないままは悔しいだろ? 一度くらい俺に勝てよ」  ニッと笑った明家は、俺の言葉を全無視してコントローラーの説明やら、キャラの説明やらを始める。そして何度も、バカみたいに何度も同じコースを走るのだ。

ともだちにシェアしよう!