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明家との出会い(3)
男の部屋は2LDKの、センスのいい家だった。
入ってすぐにソファーに転がされた俺は、動くのも億劫になって無言のままでいる。
何も考えたくない。何も感じなくなれば、色々解決するようにすら思える。まずはこの醜態だ。自分が情けなくて消えたくなる。
そして、相変わらず底の方に渦巻いている痛みだ。
コトッ
ガラス天板のローテーブルに、水の入ったグラスが置かれた。視線だけを上げて男を見ると、穏やかな表情で見下ろしている。
「飲めよ、楽になるから。少し食べられそうなら、果物でも切るよ」
「…あぁ、食ってなかったな」
ぼんやりとして、俺は言う。心の声なのか、何かの受け答えなのか、もうはっきりとしていない。
「食ってなかったって。もしかして、空きっ腹に酒入れたのか?」
出された水をチビチビと口に含みながら、俺は頷く。よく覚えていないけれど、今日は食べた記憶がなかった。
一瞬、男に睨まれた気がした。次に、男はその場から消えて、キッチンへ。冷蔵庫から何か取り出している。
少しして出てきたのは、果物の盛り合わせだ。グレープフルーツに、リンゴ。
「少しでもいいから入れろ。あんた、本当にあそこの常連か?」
常連ってほどでもない。月に一~二度、たった三年のつきあいだ。
出された果物に手を伸ばし、口に含む。正直気持ち悪くなるんじゃないかと恐れたが、意外と大丈夫そうだ。しかも一口大に切ってあるから、食べやすい。
男は俺の傍に腰を下ろす。俺はと言うと他人の家なのに、もう何もかも面倒で寝そべったままだ。醜態なんぞもう、この男に対しては晒しすぎて怖くもない。
「一秀が、驚いてたぞ。普段はこんな無茶な飲み方をする人じゃないのにって。なんか、嫌な事でもあったの?」
「…」
言い出せないのは、言っていいのか悩んだからだ。言えるほど、痛みは消えているのか分からない。
酒はこんな時に、力を貸してくれるのかもしれない。少なくとも理性とか、プライドとか、そういう面倒なものが外れやすい。ましてこの男は俺を知らない。そういう気安さがあった。
「失恋、したことに気付いた」
「は? 何その面倒な言い回し。振られたのとは違うのか?」
「振られる以前の問題だ」
俺の言いように、男は考え込んでいる。まぁ、こんな間抜けな話誰が想像できるものか。
俺は、物凄くゆっくり事の経緯を話した。話している間、やっぱり小骨が引っかかったような痛みがあったけれど、一人で悩むよりはずっと痛くないように思えた。
「…あんた、鈍いにも程がないか?」
俺の話を聞いての、男の率直な感想だった。
俺もそう思う。ホント、笑い話のレベルだ。
男が少し、距離を詰めた。俺は随分楽になって、とりあえず起き上がる事に成功していた。それでもソファーの背もたれにどっかり身を預けている。腰を立てるのは、まだちょっとバランスが取れない。
「ホント、自分でもバカバカしいよ。挙句、嫉妬する資格すらないのに彼のバーに向かって、何か言ってやろうなんていい迷惑だ」
誰かに話す事で、少しだけ冷静になってきた。冷静になってきたら、本当に自分がバカだと気づく。
でも男は、楽しそうに笑ったけれど、そんな俺を否定しなかった。
「まぁ、恋愛なんてのはどんな利口な奴でもバカになるって。そう落ち込むなよ。自棄になる前に理性働いたんだ、十分だろ」
男に大いに笑い飛ばされていたら、今まであった胸の中のもやもやがストンと落ちていく。そうなると、冷静になっていく。
男がまた少し、距離を詰めてくる。俺は拒絶しなかった。と言うよりも、その隙をこの男が与えなかったんだ。
体が触れるか触れないかのギリギリの距離は、普段なら近くて困惑する。でも今は、これでよかった。
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