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はるかわくんの やみ -11-

 冷水は目を開けた。 「佐東(さとう)ですか。」  驚いてしまう。 「なんで知ってるの?」 「咲伯(さいき)。」 うん。 「…私はもしかすると、春川のことが、…好きなのかも知れません。」 ……はあ、 「知ってるけど?」 「え」  今度は冷水が、珍しく動揺してぼくを見た。  見る見る耳から赤くなる。  そういうとこだよ。バレバレなんだよ。いいなあ春川。  今まで見たことない冷水が、春川によって次々と明らかになる。 (春川は「冷水に嫉妬した」と言ったけど、ぼくはきみに嫉妬するよ。) 「で、どうして佐東を知ってるの?」  冷水は冷静さを取り戻したいのか、ぼくから目をそらしてしばらく黙り、それから静かに話し始めた。 「春川が、どうして家に帰らずネカフェを泊まり歩くのか、気になって調べるうちにわかったんです。」 「えっそうなの!?」 「……気づいてなかったんですか?」 「うん全然。で?」 「佐東は春川の後見人です。  その立場を利用して、佐東は春川の財産を着服している。  春川は12歳のときに両親を亡くして、多額の保険金と遺産を相続しました。  佐東はそれを春川ごと自分の手もとに置いていた。佐東は春川の実家も処分していて、その金も、春川の取り分はおそらく佐東に流れています。」  ぼくが知っている情報と、知らなかった情報がある。 「…よくそこまで調べあげたな。」  さすが冷水。 「それだけじゃない。春川は佐東から、あくどい嫌がらせも受けているようです。」 「嫌がらせ?」 「彼女と別れさせられたり。」 「なんでそこで春川の彼女が出てくるの?」 「もし春川が結婚するようなことにでもなれば、佐東は春川の後見人から外されるからです。」 ふうん。 「春川は佐東を嫌って逃げ回っています。  春川の友人の大窪という人物が、父親が営む不動産業のつてを利用して、好意で春川に物件を紹介してあげているようです。  春川は、その物件を転々として暮らしています。今のところも昨年の5月ごろに越して来たばかりなのに、今月末には引き払う予定になっている。佐東が現れることを警戒しているんです。  今ごろ佐東のほうも、春川のことを躍起になって探しているはずですから。なにしろ明日は、」  冷水はそこでいったん言葉を切った。 「…なにも知らないようですけど、なぜ佐東の存在には気づいたんですか?」 「ああそれは。」  まあぼくもぼくなりに調べたんだけど結局は、 「さっき確かめたから。」 「どうやって。―…まさか、春川から直接?」 うん。  冷水は改めてぼくを見た。黒目がきれいだ。 「目が覚めたんですか。」 「だから呼びに来たんだよ。」 「お腹がすいたって?」 「それはどうかな。今はまだ寝てると思う。」  冷水はなんだかソワソワし始めた。 「…何か言って……いや、なんでもないです。」 (くそー春川め。見たことないよ、こんな冷水。) 「会いに行く?」 「いや。…合わせる顔がありません。私は、春川にひどいことをした。」  だからそれは。 「ぼくの命令に従っただけでしょ。」 「……早く終わらせたくて…、…かなり乱暴なことを。…春川の意識があるとわかっていたら。」 (いや、違うのにな。)  春川はレイプされたくらいで泣くようなコじゃない。そんな目には散々あっているから。  ぼくが助けなかったことに絶望して泣いたんだよ。  でも、言わなかった。  ぼくはいい人間ではないから、そのまままた冷水が泣いてくれるんじゃないか、などと、期待して見つめてしまう。  しかもぼくは、傷ついた冷水の端正な顔を見ながら、まだどこかあどけなさを残した春川の顔までも思いおこしたりしている。  その身体つきや、官能的な動きや声までもを思い浮かべたりして、冷水はこんなに傷ついているというのに、体中に広がるまろやかで甘美な罪悪感に浸ってしまっている。  ぼくは本当に駄目な人間なのだ。  冷水はぼくを押してどけると、腹筋を使ってすばやく起き上がった。  ため息をついて、後悔を振り払うかのように話し始めた。 「…それより佐東です。『花咲アプリ』を知っていますか。」 え、なに? 「佐東の会社が作ったスマホ用のアプリです。」  ダウンロードして、写真を取り込んで指でなぞると、その写真の色彩に合った花が合成されて次々と咲き始めるしかけだという。 「人物が写った写真を送信することで、その人物が、イメージに合った花に変換されて返ってくる機能もある。けっこうはやっているようです。」 「ふうん。女の子が好きそうだね。」 「佐東は、IT関連の会社をやっていますが、そちらの事業が立ち行かなくなっていて、最近は怪しい仕事を請け負っているという情報があります。」 なに? 「人探しです。  依頼された人物の写真と送られてくる写真とをプログラムで自動的に分析照合して、一致する可能性の高い人物がいることがわかったら、その携帯の位置情報を取得して、データを盗みにかかるか、その写真を送った人物の情報を依頼者に伝えて報酬を得る仕組みらしいです。」 ああ。ヤバっぽいね。 「春川の情報が送信されている可能性があります。うちに来ている客が春川の写真を送信したかもしれない。春川と花咲アプリの話をしていました。後日、データが壊れたみたいだって、あなたに相談してたでしょう。」 「あ、マイちゃん?」 「そう。その神崎舞です。」 (ぼくはフルネームまでは知らなかった!) 「彼女のデータや位置情報で、佐東はうちの事務所の場所を特定している可能性が高い。実は一昨日、うちの事務所周辺で佐東らしき人間を見かけました。」 「…へえ。」 「風貌は写真と違って荒れていましたが、ほぼ間違いないでしょう。」  うん。(冷水が言うなら間違いない。)  答えながらぼくは、また冷水に対する違和感を覚えている。  こんな冷水、初めてだな。ぼく以外の人間のことを、こんなに気づかっている冷水は。  冷水は夢中になって話を続ける。  今、冷水の目の前には、春川がいるんだな。 「すでに奴は春川の住居までを突き止めているかもしれません。今、春川を放り出すのは危険です。特に今日のうちは」「冷水。」 「なんですか?」  冷水の上半身が体ごとこっちを振り向く。  さっきまで濡れていた黒目に、揺らぎや迷いはもうない。 「……真剣なんだな。春川のこと。」  人間嫌いのきみが、ぼく以外のひとにそこまで肩入れするなんて。  不意をつかれたという感じで、冷水はまた、急激に耳を赤くした。  さっ、と背骨の軸をもとに戻す。冷水は黙ってしまった。  春川。きみはすごいよ。  ぼく以外の人間を嫌うはずの冷水の内側に、こんなにも入ってしまってるんだ。  さっきまで春川に軽い嫉妬を覚えていたぼくは、こんな冷水を見て、今度はなぜかだんだんとうれしくなっていた。  冷水の背中に寄り添うようにして後ろから抱き寄せ、冷水の左耳に頬ずりする。 「…春川が起きているかどうか、確認できますか。昼食を用意しておきたい。」 「疲れて寝てるよ。」  今、春川のことしか頭にない冷水に、ぼくが春川にしたことを打ち明けたとしたら、冷水はざそ哀しむんだろうな。  さっき春川を抱いたけど、すごく良かったよ。  切なそうな声をあげたあと、ぼくの手を濡らして、真っ赤な顔で涙目になりながら必死で息をしていたときの春川なんか、たまらなくかわいかったよ。  なんてね。  冷水は哀しんだあと、ぼくを憎むかもしれない。  でも、ぼくはもう、久しぶりにそういうのも悪くないという気でいる。  思えば、今まで冷水はぼくの「人形」でしかなかったんだ。春川はそこに「魂」を入れてくれた。ぼくにはできなかったことだ。  悔しいのと同時に、冷水の新たな変化にわくわくする。  ぼくらのなかに春川が加わることで、これからどんな変化が起こるんだろう。  それを考えると、ぼくは楽しくて仕方ない。  おもしろそうだ。  これはぜったいに、  春川は手放せない。 (第2章 「はるかわくんの やみ」 おわり)   → 第3章 「てんちょうたちの ひみつ」 へつづく)

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