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続 がんばれ!はるかわくん! -3-

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  大 窪 《 2 Years Ago 》 《 DATE 3月2日 午前9時23分》 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  卒業式の翌日は平日なので、春川の叔父貴は不在。  それでなくても最近は決算時期かなんかで叔父貴はやたらと忙しいらしく、夜遅くに家に帰って来て、(春川にもかまわず)そのまま寝てしまうことが多いそうだ。この「好機」を逃す手はない。    今日、俺は春川を「奪還」しに行く。  春川の新居は、すでに美大の近くに借りている。  ロフト付きの、割ときれいな1Kだ。 (春川、気に入るといいな。) ―― 今の暮らしに比べれば、どこだって天国だよ。  春川はそう言って嬉しそうに笑っていた。  実は、兄貴には春川のことを軽めに伝えていた。  俺だってしょせんはただの高校生だ。まだ世間の仕組みとかよくわかってない。なにしろ未成年なので、なにを契約するにも保護者の許可がいる。  春川の物件は、親父のもとで不動産業を営んでる兄貴に手続きを頼んだのだ。  誰にも話さない約束だから少し後ろめたさを感じたが、我が家の血筋の権化でもある「おせっかいバカ」な親父に相談すれば、さすがに影響が半端なさそうだったから、親父よりはまだ話のわかる兄貴を選んだのだった。  兄貴は、春川の「奪還計画」に鼻息荒く乗ってきた(やっぱり血筋だ)。  でも免許とりたて超初心者マーク付きの俺が、兄貴のミニバンを借りたいと言いだしたときは、さすがに焦っていた。運転手を買ってでようと兄貴が言い出したときは、俺が焦った。兄貴のことは、もちろん春川には伝えてないのだ。  春川のマンションの来客用駐車場に、なんとか車庫入れできたときは、思わず大きなため息が漏れた。  家の合い鍵は前もって春川から預かっていた。  念のためマスクを用意し、マフラーを巻いてニット帽を深めにかぶる。  オートロックを抜けてエレベーターで春川の部屋がある階まで上がり、初めて訪ねるけどさもそこの住人のように、まっすぐ春川の部屋に向かう。鍵は二カ所。春川に教えてもらったとおり。  玄関に入ったところで急いでドアを閉めて鍵をかける。 (春川。)  まずは小声で呼んでみた。 「…春川、来たよ」  返事が無いので、マスクを外してもう少し強い声を出してみる。  だけどやっぱり返事は無い。 (あれ?時間ぴったりなはずなんだけど…)  奥のほうで音がする。テレビがついているようだ。  こわごわ、音のするほうに近づく。  春川のマンションはずいぶん広い。  廊下にあるドアの数からすると、5から6LDK?立地も悪くないから、今売りに出してもいい値がつきそう。  すげーな叔父貴。ヤクザでもやってんじゃねえの?廊下で見た鋭い目つきを思い出す。  テレビの音がしているらしい部屋の前に立つ。(うん、ここからだ。)  なにやってんだ、春川。時間までに荷物をまとめて玄関に出とく計画なのに。  部屋をそっと開けて中をのぞく。 …と、…異様な光景が目の中に飛び込んできて、俺は一瞬たじろいだ。  部屋の中は、遮光カーテンがかかっていて薄暗い。  カーテンや壁に、テレビの光が点滅しながら映っている。  テレビにはパン屋らしき映像が映っていて、レポーターの女がパンをほおばりながらキンキンした声でなにかわあわあ言っている。午前中にやってる、主婦向けの情報番組だ。  部屋の床には物が散乱していた。  雑誌や新聞紙、破かれてたり、丸められてるのもある。  ビールの缶や、ウイスキーっぽいゴツゴツした瓶。ガラスのコップ。ティッシュの箱。写真、ハガキ、タオル…  そして…たぶん、春川の、制服…。脱ぎ散らかされて無造作に放られている。 (…ここが、春川の、部屋なのか?)  全然春川っぽくない…。  部屋に入ってすぐ左に、大小様々な金属の輪っかがたくさん連なったパーテーションがあったので、最初は気付かずに床ばかり見ていたのだが、少し進むとパーテーションの奥にベッドがあるのに気がついた。 ……人が寝ている。  頭は向こうにあって、暗くて顔が見えない。 …春川だろうか。  静かに近寄ろうとして、はっとして口を押さえた。 (――春川 !)  思わず声をあげそうになったのだ。  春川は、ベッドの上に、裸で寝ていた。  腰から下には、青くて薄い羽布団が掛けられている。  顔には細長い布みたいなものが何本かかかっているのが見えた。  テレビの明かりがチラチラ光ると、それは「目隠し」と「さるぐつわ」になっているのだとわかった。  ネクタイだ。  口にくわえさせるように巻きついているのが、学校の制服のやつ。目のほうのは、光沢のある黒っぽいネクタイだ。…叔父貴のものか。  右目の横に、アザみたいな(あと)が出来ている。殴られたのか?  上半身には、キスマークなのか小突かれた痕なのか、とにかく、またアザがたくさん出来ている。  春川の両手首には、なぜか小学生が使うようなビニール製のなわとびが縛り付けられてあって、その先はベッドのうえにある柵に固定されている。春川はそのせいで、軽くバンザイをするように腕を頭の上に上げさせられていた。  春川はまったく動かない。 ―― 生きてる、のか…?  なんだか足に力が入らない。  完全に動揺し、そのうえ混乱している。  薄暗い部屋にチカチカと反射するテレビの明かり。  ノーテンキな女レポーターの声。  まるで、別の世界に迷い込んだようだ。  それか、とてつもなく悪趣味なアトラクションのなかにいる感じ。  体中が震えてきた。  いつもの「怒り」だけじゃなく、今回のは、本気の「恐怖」だ。 (……春川お前、今まで何を…)  想像を超えていた。こんなの、初めて見た…。 ―― 知られたくないんだ  春川がそう言うわけがやっとわかった。誰に聞かれたって、自分からこんなの、話せるわけない。  唾を飲み込む。ノドがカラカラだ。  声が裏返りそうなので、指先で春川の腕を軽くつつく。  と、春川は軽く動いてゆっくりと顔を背けた。…生きてる。 「……春川……」  俺が声に出した途端、春川は「反応」した。 「…んん!」  体を動かし、縛られたまま肩をねじって背中をむけようとしている。  俺はなぜか慌てて、とりあえず後ろから、さるぐつわになっていたネクタイをほどいた。 「……―見るな…」  春川のかすれた声が聞こえた。 「大丈夫だよ春川、俺だって。」  声は平常を保つようにした。  それから気づく。  『見るな』、って、俺に言ってるんだ。  はがれ落ちそうになっている羽布団を、急いで肩まで引っ張りあげる。 「春川、俺、迎えに来たんだ。」  春川は先ほどの死んだような体をよじって、俺から少しでも離れようとする。 「春川、目隠しはずすぞ。」 「う…」  手を伸ばして目隠しになっていた布をほどく。  春川はやっとこっちを向いたが、目はきつく閉じられていた。 「…はやく逃げろおおくぼ…。」  春川は一瞬薄く目を開けて、うつろな表情で俺を見たあと、また目を閉じた。 「どうした春川、一緒に 「あのひとは…すぐ、帰ってくるかもしれない…今日は仕事を休むって…会議にでたら…、お、窪…俺のことはいいから、もう…とにかく逃げてくれ…」  春川は苦しそうに言った。  げっマジ! 「じゃあ急がないと!服、どこにある !? 」 「…もういいから…はやく出てってくれ 「ばか!しっかりしろよここまで来て!」  春川はたぶん今、ショックかなにかで正常な判断とかが出来なくなってるんだ。 …俺がしっかりしないと。  辺りを慎重に見回すと、ベッドの奥に勉強机があり、下にデカめのカバンがあるのを発見した。  テレビの横にはクローゼットらしき扉がある。クローゼットを開けると、透明な収納ボックスがいくつか積まれていた。前に引き出すと、中には洋服が、きちんと整理された状態で入っている。  とりあえずそこから、パーカとシャツとジーンズと、あと靴下と下着を探し出すことに成功した。春川のもとに戻る。 「春川、これでいいか?」 「…おおく…」  服を枕のすぐ横に置いて、 「机の下にデカめのカバンがあるみたいだから、とりあえずいるものっぽいの詰めてくけど、これだけは、っての、ある?」  話しかけながら春川の手首のなわとび紐をはずす。  春川はようやくあきらめてくれたようだ。 「…この部屋には、無い」 と、か細い声で言った。 「了解!」  無理に明るい声を出し、春川に背を向けて、カバンを取りに行く。 ―― 見るな  俺は見てないよ。わかるように、わざと音を立てて作業した。  テレビの明かりだけでは心もとなかったが、カーテンを開けて光を取り込めば、春川は、体が露わになることを嫌がるに違いない。  カバンのなかに、クローゼットのなかの服を適当にどんどん詰め込んでいく。  床の上に春川がいつも学校に持って来ていたバッグがあったので、中にあった財布と携帯電話と、なぜか小さめのスケッチブックがあり、一緒にして一気にカバンに突っ込む。  ペンケースは二種類あって、一個は普通ので、もう一個には短くなった鉛筆ばかりが何本も詰め込まれてて、春川には大事なものだろうから両方カバンに入れた。  それにしても、この散らかりよう。なんだコレ、ゴム手袋?何に使ったんだこんなの…―あ、  卒業証書がある!  無造作にむき出しのまま床の上に置かれていた。向こうのほうに筒だけが転がっている。  筒を拾ってきて、卒業証書を丸めようと手をかけたとき、紙が濡れているのに気づいた。  最初は気にもとめず、近くにあったティッシュを取り出して拭きながら、そこでふと気づいた。 ――これって、…精液、か…?  すぐ後ろでドサッと音がしたので、はっとして振り返る。  春川がベッドのうえに両手を広げて寝転がっている。パーカを手に持ったまま。着替えの途中でひっくり返ってしまったらしい。 「春川。」  駆け寄ると、春川は視線を宙にさまよわせている。  さっきからどうも様子がおかしい。  シャツはボタンがちぐはぐなまま2、3個しかとまってないし、ジーンズもただ上に上げただけで、チャックもしてない。 「…ねむくて…だいじょ…すぐ…」  うわごとみたいに言っている。  叔父貴に、睡眠薬かなにかを飲まされたのかもしれない。  シャツのボタンをとめてやっていると、胸のアザが丸見えだ。  ごめん春川、でも急がないと。  春川は、よろよろと手を上げてきた。 「…やめ…」 「ボタンをとめてるだけだよ。ダイジョブ、ヤツはまだ帰って来ないから。」 (…なにを根拠に。)とりあえず春川には安心しといてもらいたい。  パーカを着せようとして、春川の上半身を抱えるように起こす。  春川からは、フルーツ系のボディソープのいい匂いがした。 「…おおくぼ…」  春川は俺を軽く押した。  そして、次に春川が口にした言葉は、俺を激しく動揺させた。 「さわんないほうがいい…――…俺…、…きたないんだよ…」 (――!) …一気にいろんな感情が沸き起こった。  春川が「汚い」と言ったのは、自分の存在自体に向けられた言葉だ。 (そんなわけ、ないだろ!)  さっきの卒業証書…  春川のだか叔父貴のだかわからないけど、明らかに春川自身を侮辱する行為だ。  生きてきた「証」を、馬鹿にして、辱めている。 …こんなにきれいな春川の人格を、そんなにまで否定したいのか?  春川をここまで追いつめて、踏みにじって…  春川の細い体を、強く抱きしめる。 「そんなこと、二度と言うなよ春川…!」 (春川は、きれいなんだから。) …なんだか今度は、俺のほうが泣きそうになっている。

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