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続 がんばれ!はるかわくん! -4-
ぐったりしている春川に右肩を貸し、もう片方の肩に荷物を抱えて部屋の外へ出る。
(あいつ、帰って来るかな。)
かまわない。
帰って来たら、そのときは、一発と言わず殴ってやりたい気分だ。
春川は、俺に対してうわごとのように何度も詫びていた。「いいって」「大丈夫」 そのたびに俺もちゃんと答えた。「しっかりしろ」 とか 「がんばれよ」 とかは、今の春川には通用しないし、言うべきでもない。
玄関に向かおうとして、「こっち…」 春川に指示され、別の部屋に入る。
今度はきれいにかたされたシンプルな部屋だ。
ダークブラウンを基調にしたシックな感じの内装。
家具は、ベッドとサイドチェストだけ。…叔父貴の寝室か。
春川はよろよろと歩こうとするので、肩を貸したままついていく。
春川はかがんで、迷わずサイドチェストの一番下の引き出しを開けた。
底が二重構造になっていて、春川が板を上げると下にメモ紙と鍵があった。
春川はそれらを拾い上げ、またよろよろと、今度はクローゼットを目指した。
クローゼットのなかは、春川の部屋にあったそれよりも広い。ウォーキングクローゼットのようだ。
春川の向かう先には、金庫がある。
春川は金庫を開けようとしているのだ。
「春川、俺やるよ。何を持ってくんだ?」
「…俺の名前が入ってる通帳、と、印鑑…」
春川をいったんクローゼットから出して、ベッドに静かに寝かす。
春川からメモ紙と鍵を預かり、手袋をはめて金庫に向かう。
クローゼットの明かりを見つけ、金庫と対峙すると、(…完っ全にドロボーだな、今の俺。)
メモのとおりにダイヤルを回し、さらに暗証番号を入力する。
鍵を差し込んで回すと、金庫は一発で開いた。
すげー量の札束と大事そうな書類や封筒と、通帳や、木製の箱とかが、棚ごとに整理されて入っていた。
明かりを頼りに、春川に言われたとおり、通帳と印鑑を探す。
春川名義の通帳は7冊あって、印鑑は奥の木箱にあった。印鑑は3種類あるのを確認した。
(通帳と印鑑を同じとこに置いとくなんか、がさつなやつだな。)
春川への「慰謝料」として、この札束もカバンのなかに入れてやろうかと思うが、それじゃホンモノの泥棒だ。
「7冊あったよ。」
春川のとこに戻ると、春川は「そうなんだ…たぶん新しく作ったんだね」と眠そうに言った。
またマフラーとマスクと帽子を装着し、玄関で春川に靴をはかせ、パーカのフードを深くかぶせて外に出る。
エレベーターを呼ぼうとして、すでに動いているのでやり過ごすことにする。誰かと鉢合わせしたくない。
階数表示をぼうっと見ていると、エレベーターは、この階の近くになって速度を緩めてきたようだ。
あわててエレベーターの真横にある非常階段の壁の後ろに隠れた。
エレベーターが開く音がし、なにげにそっと覗いてみると、デカい男がスタスタと廊下を歩いて行くところだった。
(…叔父貴だ!)
エレベーターから降りて来たのは春川の叔父貴だった。
春川を抱く手に、無意識に力がこもる。
斜め下の春川をうかがったが、春川は気づいてないようだ。
ガツ、ガツと、叔父貴の大股に歩く革靴の音が廊下に響いて、やがてだんだんと離れていく。
息を殺し、扉が閉まる音を待つ。
鼓動が強く響く。
春川は、叔父貴に気づいたら、動揺して騒ぎ出すだろうか。
足音が止んだ。
もしかしてもう部屋の中に入ったか?
足音が遠のいたせいで、たんに聞こえなくなっただけかもしれない。
時間が、異様に長く感じられる。
―― まさか、気づかれたか…?
(んなわけない。落ち着けよ、俺。)
― ガチャ
― ガチャ
……―バタン
よし部屋に入った!
エレベーターの前に春川を引きずりだす。
ヤツは春川がいないことにすぐ気づくだろうか。
部屋のドアは全部閉めて来た。
テレビもつけっぱなしで、叔父貴が出て行ったときと変化は無いはず。
エレベーターの扉はやけにゆっくりと開く。まあ、動き出してなかったぶんいいんだけど、気が焦る。
早くここから離れたい。
潜り込むように中に入るものの、扉は意地悪く一度全開になる。
閉めるボタンを無意識に連打していた。
目の前に広がるがらんとした廊下。春川の叔父貴が今にも飛び出してきそうで、春川の部屋のあたりをにらむ。
―― 早く閉まれよ!
扉が閉まる直前、春川の部屋のドアが一瞬開いたように見えた。
密室のなかで、ため息を吐き出しながら春川の体を抱きしめた。
今更ながら、すげーことやってるな、俺、と思う。
監視カメラに顔が映らないよう、下に着くまで春川を抱きしめ続けた。
誰かが乗って来たら不審に思われるだろう。そんときは、どうしよう。
春川は酔っ払ってることにして、俺はその介護をしている友人で、(…いやいや、聞かれる前にわざわざそんなこと説明してたら、ますます怪しがられるって。)
考えてるうちに、案外スルッと1階に着いた。ホールに人影はない。監視カメラには映っているだろうが、顔は映ってないからセーフだろう。
俺が春川を引きずるので、春川は俺のコートを必死に握ってついてきた。
「悪いな。車、すぐそこだから。」
苦しそうな春川の吐息が全身に伝わってきて、俺は春川を支えることに必死になっていた。
あとから考えると、俺があんまり強く抱きしめるから、春川は普通に呼吸が苦しかっただけなのかも、という気もする。
車はすぐに高速道路に乗せた。
春川の新居は、高速をしばらく走って、インターを降りたあともさらにそこからちょっと行った先の、郊外の町にある。
平然と乗ってやったものの高速道路の運転は教習所以来だったので、インターを降りたときにはやっぱりノドがカラカラになっていた。
「春川、コンビニ寄っていい?」
後部座席から返事はない。寝てるんだろう。
コンビニの、すみの駐車場に車を停め、お茶とコーラとパンとガムを買って戻る。
運転席から後部座席をのぞくと、春川は目を開けていた。
「起きた?」
「…ん…。」
振動音がする。春川は手に携帯を握っていた。
着信だ。
「…叔父貴から?」
「………。」
「貸して。」
手をのばして、半ば取り上げるように電話を取る。迷わずそのまま電源を切った。
「あとで着信拒否の設定しとこう。」
「……大丈夫かな……今まで、ちゃんと逃げきったことなんかないんだ。」
春川が、相変わらず少しかすれた声で、不安そうにつぶやく。
「ばーか!もうガキじゃないんだし、俺もついてるって!」(あと兄貴も。)
コンビニの袋をガサガサしながら、
「お茶とコーラどっちがいい?パンも…」
振り返って春川を見ると、右目の横のあざが目をひいた。
「…病院、行っとく?」
春川は横になったまま首を強く左右に振った。
「大丈夫だよ、ほっといても治るから。」
「…いつも…殴られて、たのか?」
「顔は、初めてだったけど。…昨日は、卒業式だったから、しばらく人に会わずに済むからな、って……」
(…春川?)
「……卒業パーティ、してたんだ…。…俺が大っ嫌いなイズミさんも来て、…盛り上がったよ。」
「…春川」
春川の顔には、見たこともない変な笑顔が浮かんでいた。
自分をさげすんでいるようで、いやな感じがした。
「そんな顔して、話すなよ…」
春川は、顔にその表情を貼り付けたまま、少し黙った。それから、
「なんか話せよ、大窪。今、なにも考えたくない気分なんだ…。」
と苦しそうに目をつぶった。
春川には今、自由になった喜びより、逃げ出してきた恐怖のほうが強いんだろう。
「…―― 昨日、卒業式が終わったあと、ハラケンたちとカラオケ行って、俺は先帰ったけど、ハラケンたちはあのままオールしたと思う。」 …うん。
「ユキノが、テンションめっちゃ高くって、マイクずっと離さなくてさ、ミキの入れた歌にまで乱入してきて、それがめちゃくちゃ音がズレまくってて、ハラケンと相当ウケた。」 あはは…。
…―俺たちがそんなことしてる間に、こいつは…
(今、なにも考えたくない気分なんだ)
重そうになる気分を振り払う。
「…そしたらユキノが泣き出してさあ急に。」
ちょっと考えて、やっぱり言ってしまおう、と思う。
「…ユキノ…好きだったんだって。春川のこと。お前にちゃんと言えなかったって、大泣きしてさ…。そのあと、あの本宮がもらい泣きして…、おっかしくて俺、」
そこで春川を振り向くと、春川はすでに寝息をたてていた。
…あーあ。
(…ユキノの気持ちは、ここでも、空振り。)
目のアザが痛々しかったが、その寝顔には微かに笑みが浮かんでいて、さっきのとは違う、安らかな表情に変わっていた。
その寝顔に向かって、小さくつぶやいてみる。
「…春川」
寝入った春川に、変化はない。
「…のこと、好きだ。」
春川は軽く微笑んだまま。
ガムを口に入れた。
そして、春川の寝顔を見ながら、しばらく、噛み締めるようにガムを噛んだ。
そうしていないと俺は、眠っている春川に、ますます余計な言葉を言ってしまいそうだったのだ。
ガムの甘さが消えたころ、俺は車を静かに発進させた。
(春川 DATE 2月14日 午前7時12分 へつづく)
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