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続 がんばれ!はるかわくん! -7-
店長は助手席に、俺はヒミズさんの後ろに座ることになった。
2ドアの後部座席だけど、充分ゆとりがある。
車は静かに動き出す。
「この時間帯はどこも渋滞しているので、到着は10時を過ぎると思います。」
「うん。」
こうしてみると、店長とヒミズさんは本当に「旦那様」と「執事」の関係だ。アンドーさんの話は、もはや疑いようがない。
明るい光がさす。
ガレージを登りきって、車は道路に出た。
てっきり広いお庭が広がっているのかと思ったら、どうやら住宅街のなかのようだ。
電柱に地名が書いてあるのが見えそうになってあわてて目を閉じる。知ってしまったら、いつか戻って来てしまいそうだから。
きっとどこかの高級住宅街には違いない。
でもその住宅街のなかでも異色なくらい立派な豪邸のはずだろうから、地名を頼りにふらふらと近くまで来て、聞き込みでもしたらここの場所はすぐに分かってしまうだろう。
もう会ってはいけないひとたちだ。
俺のつまらないみじめな人生とは、違う世界に生きているひとたちだ。
俺なんかがつきまとったりしちゃいけない。
迷惑をかけるだけだ。
目を閉じたまま何度も自分に言い聞かせた。
規則的に雨をはじくワイパーの音。
静かな車内には、雨の音色に似たゆったりとした音楽が流れていた。
「酔った?」
店長の声に顔をあげると、助手席からこっちを覗き込んでいる店長と目が合う。
「いえ大丈夫です。」
「元気ないけど。車のなかだといつも元気なくなってたし。」 (え、そうかな。) 「長時間だときついんじゃないの?」
店長は俺が車に酔うんだと決めつけてしまったらしく、それからやたらと話しかけてきた。
「この街は、好きなんだけど、風景がちょっと単調だよね。」
「…はい。」
「改装が終わったらさ、ぜひ遊びに来てよ。壁を取って隣のテナントと繋げたから、前より広くなって落ち着けるよ、きっと。」
「ああ…はい。」
つい生返事になってしまう。
窓の外の景色を横目に流しながら思う。
(…へえ。)
「隣のテナントと繋げるなんて、けっこう大規模な改修工事だったんですね。ビルのオーナーから許可とか取るの、大変そう。」
「ああだってあそこも持ちビルだしねぼくの。」
景色のように、さーっと流されたので聞き逃しそうになった。
(えっ!)
思わず助手席を見てしまう。
「店長あのビルのオーナーなんすか!」
店長は助手席から不思議そうに振り向いた。
「あれ?アンドーから聞いてるのかと思ったよ。」
…そういえばアンドーさんに、店長たちは学生時代に投資でかなり儲けてた、とか、聞いたような気もする。でもあのビルのオーナーだったとは、聞いてないし。
店長は俺に微笑んで、また前を向き直った。
その顔を見たら、急に胸が苦しくなった。
…店長の笑顔を、あと何回見られるんだろう。
せつなくてたまらなくなる。
窓の外を見ようとしたけど、店長がまた話し始めた。
「ビルは駅の近くにもあるんだけど、そっちはテナントで埋まってて。それにあんまり客が増え過ぎても大変だから、あそこぐらいの立地がちょうどいいんだよね。」
景色を見ながらゆっくりと話す店長の口調は、音楽に溶けるように耳になじんで、低すぎない、つぶやくような声が、俺の体に心地よく反響する。
「実は、親父に反抗したくて始めたんだよね、あの修理屋。
一応なんかの代表とかをやっとけば、起業して頑張ってますよってことになりそうじゃない。でもあまり流行りすぎてもいやだから、すぐ手が引けそうで、あと年が近いいろんな人と軽く話したり出来るような、そういう店を出したいって言ったら、ヒミズが提案してくれて、それで始めたんだ。
やってみたら人と話すの、すごく楽しくて。ぼく、同じ年齢くらいの友達があんまりいなかったから。」
店長のその話、聞いたことある。
「だから、修理屋より、もう少しそっちメインのお店にしようかと思ったんだ。
ところがすぐに手が引けるかと思ったら、ヒミズが頑張り過ぎてなかなか仕事回りが良くなってて、改装作業まで手が回らなくなって。」
「…――すみません。でも店を始めて、すぐにつぶれましたでは、体面が良くないでしょうから。」ありがとーヒミズ。
「それでね、バイトを雇いたいと思って。そういうのも新鮮で楽しそうだと思ったんだよ。
でも、ヒミズがこのとおりの人間嫌いでねー。面接はきみで確か5,6人目だったよ。ヒミズがなかなか首を縦に振ってくれなくて。
だけど、おかげでキミに会えた。
人間嫌いのヒミズがきみにはいちころテテテ痛いヒミズ腕つねらないでっ」
“ キミに 会えた ”
…って、今の言い方、すごく嬉しい。
目を閉じて噛みしめた。
「ハル、帰るの大変だったんなら、うちの事務所の上に、ぼくらと一緒に住めば良かったよね。」
え。
思わず店長を見る。
ヒミズさんが軽く咳き込む。
店長がヒミズさんを見て、俺を見て、ペロッと舌を出した。…ぼく「ら」と?
「店長とヒミズさん、…ずっとあのビルで、同棲、…してたんですか?」
ヒミズさんが舌打ちする。
「仲いいからね」 店長はまた笑った。
その顔に見とれていたら、店長がとても優しい顔になった。
「ハルと仕事するの、楽しかったよ。」
「…あ、はい…。」
だめだ。のどがつまる。泣くな、ばか。
目をそらして景色を見た。
だまっていると泣いてるんじゃないかと勘繰られそうで(そんなことあるわけないけど)、のどを必死に落ちつけながら無理矢理に違う話題を探る。
そして、雨に溶けていきそうなほどに美しい旋律と、ゆったりとした歌声を繰り返しているこの音楽のことを思い出す。
「…いい音楽、ですね。」
「James Blakeだよね。」
店長はヒミズさんに確認したが、ヒミズさんはだまっている。
「ヒミズはこういう暗い音楽が好きなんだ。ハルとは趣味が合うかもね。」
店長は俺が音楽に聞き入っていると思ってくれたのか、それからは何も話さずにだまっていてくれた。
・・・‥‥…………‥‥・・・
(春川 DATE 2月14日 午前10時01分)
・・・‥‥…………‥‥・・・
風景がなんとなく見慣れてくるにつれ、なんだかそわそわしてきた。
うちのアパートをこの2人に見られるのが、なんとなく、いやだいぶ、恥ずかしいのだ。
店長たちの瀟洒な豪邸に比べて、俺のアパートメントの庶民臭さときたら…。
(ごめん大窪!築年数も浅いし清潔できれいで俺はすごく気に入ってるんだけど、このひとたちに見せるのは、ちょっと!)
「あの、もうこのへんで」とか「もうここでいいですから」とか言ってみるけど、店長に「いーからいーから」と流されてしまう。
…まさかこのひとたち、部屋の中にまで入って来るつもりなんじゃないだろうか。
あんな殺風景な、飾りっ気のない、ちゃんとした家具すら無いみじめったらしい部屋に…。
ええい!
「あ、その先にコンビニあるんで、そこで降りていいですか俺買いたいものあるんで!」
「あ、そうなの?じゃヒミズ。」
(よし。)
コンビニに駐車してもらって、いったん下りた店長がシートを倒してくれる。
外に出て店長に向かってそれじゃあ、と言いかけたら、店長はすでにコンビニに向かって歩いている。
(――えっ。)
コンビニに入って行くのでなぜかあわてて着いて行く。
「ぼくアイス食べよ~。ハルも車のなかで何か食べる?」
………。
「…いりません。」
「何買うの?一緒に払うよ。」
店長の手にはすでにジャイアントコーンのクッキー&クリームと、コーヒー味のパピコが握られている。
「…何を買いたかったのか、忘れてしまいました…」
ああ。なぜか車でパピコを食べている。
(もーいーや…。)
「あそこの建物ですね。」
「あー…はい。」
パピコを吸い終わって、ヒミズさんは車を路肩に止めた。
「どの部屋ー?」
店長は手元の俺の履歴書のコピーを広げながら言う。
「右手の2番目ですね2階の。洗濯物が干しっぱなしです。あのパーカ、よく着ていたから。」
…有能過ぎるだろヒミズさん…。
「洗濯物!いつから!?雨で濡れちゃってるよー?」
ぐう。
そういえば干しっぱなしだった。
おとといの朝、スケッチに夢中で遅刻しそうになり、まだ少し湿っていたこともあって、「まーいっかあ」とか軽く思ったのが悪かった。
まさかこんな辱めにあうとは…。
でも、「しんみり」するよりは、まあいいんだけど…
あ、もしかすると、こんなに明るく騒いでくれるのも、しんみりしないようにとの、店長の気づかいなんだろうか。
「じゃあここでね。」
店長が微笑む。よかった部屋までは来ない。
店長が倒してくれたシートに向かって、左に移動して車から降りると、店長は、服に散らばったジャイアントコーンのかけらを外でばしばし叩いている。子どもみたいで笑いたくなった。
「元気でね。」
「…ありがとうございました。」
「春川。」
後ろから呼ばれて、驚いて振り向くとヒミズさんがいつの間にか車の後方にいて、トランクから何か出している。
立方体の、白い、大きめの四角い箱が出てきた。
ヒミズさんはそれを差し出してくる。箱のうえには白い封筒。小雨でポツポツ濡れ始める。
「給料は現金でこの封筒のなかに。一度、確認しますか。」
「いえ。ありがとうございます。」
「私の名刺も一緒に入れています。そこに、私の代理人の事務所の電話番号と住所が書いています。」
「…はあ。」
(代理人?)
何かあったら頼って来いってことを言いたいのだろうか。
でもヒミズさんの言葉は違った。
「私が君に乱暴をしたのは事実なので、警察に行くなり、裁判を起こすなりしてもらってかまいません。私からは争わないので、好きな額で損害賠償請求をしてください。手続きが面倒であれば、そこに連絡すれば弁護士が和解に応じます。」
…驚いて声も出ない。
そんなこと、考えてもいなかった。
遅れて、ヒミズさんがお金であのことを解決しようとしていることに、少し腹が立った。
「お金なんか、いりません。」
ヒミズさんは無表情で少し店長を見た。
「ハル、ヒミズは謝りたいだけなんだよ。」
店長が後ろからヒミズさんをフォローしてくる。
「…私は本気です。こういう解決方法しか知らないだけです。」
俺が言ってることの意味をわかってるのか無視してるのか、ヒミズさんはぶっきらぼうにそう言うと、封筒ごと白い箱を突き出してきた。
「底を持って。」
俺が手をそえるとそのまま手を放そうとするので、あわてて上からも箱をはさみ込む。両手がふさがる。けっこうでかい。
「…な、何ですか、この箱…」
ヒミズさんは一言、「あまり傾けないで」 とだけ言って黙った。
(…なにそれ!) ば、爆弾!?
…まさかね…
(あ~もう最後まで怖すぎなんだよこのひとは!)
「濡れちゃうから、早く行きなよ。」
「店長たちを見送ります。」
「いいって。」
「いーからいーから。」
店長のまねをすると、店長はまた少し笑ってくれた。
そして、観念して車に入った。
スモークのかかった窓を下ろして、手を振っている。
俺は謎の白い箱のせいで手を振り返せないので、深々と頭を下げた。
しばらくそうしていて、車が去るのを待った。
顔をあげると、車は消えていた。
「ありがとうございました。」
誰もいないのに、もう一度つぶやいてみる。
ありがとうございました…。
……そして、さようなら。店長。
(春川 DATE 2月14日 午前10時18分 へつづく)
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