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皐月(1)

「はぁー、暑い……」  まだ5月だというのに、眩しい陽射しが容赦なく照り付ける。  駅の改札を出た青野 翼(あおの つばさ)は額に手を翳し、だるそうに小さく呟いた。  駅の近くにある、人がぎりぎりすれ違えるくらい狭い螺旋階段の歩道橋をノロノロとした足取りで下りていく。  走るとグラグラ揺れる感じが、翼はあまり好きではなかった。  だけどここを通るのが家に帰る一番の近道で、階段を下りて歩道に出れば、街路樹の青々と茂る葉が陽射しを遮ってくれる。 「はぁー、荷物重いし……」  肩から斜め掛けにしたカバンが重い。中には参考書や問題集や辞書などがぎっしり入っている。 「世間はゴールデンウィークやっちゅーのに……」  ――と、翼がぼやいたその時、たった今、翼が下りて来た歩道橋の階段を、誰かが走って下りてくる音が後ろから派手に鳴り響いた。 (うわー、あの階段走って下りてくるやつ、おるー!)  ダンッダンッダンッと響く、階段を蹴る音に歩道橋の揺れを連想させられて、暑いのにぞわっと背筋に寒気が走り、翼は思わず首を竦めた。 「翼!」  だけど、後ろから走ってきたその『』に名前を呼ばれて、今度は逆に体内を巡る血が一気に沸騰したように身体中が熱く火照った。 「……な、なんや……翔太か……」  ドキドキしているのを誤魔化したくて、翼は後ろを振り向くと同時に、わざと何でもない振りをする。 「なんやとは、なんや。悪かったな、俺で」  少し眉をしかめて、柏木 翔太(かしわぎ しょうた)は翼の頭をポンッと大きな手のひらで軽く叩いた。  そんなちょっとした、当たり前のようなスキンシップにさえ、翼は更に顔が熱くなり、翔太から視線を逸らして、また歩き出した。  こんな気持ちは、幼馴染の翔太には知られてはいけない。  ――何か話さなくては……と、翼は内心焦りながら言葉を探していた。 「何、野球部は山でキャンプでもしてたん? すげえ荷物」  翔太はいつもの野球部のジャージ姿に、大きな黒いバッグと、寝袋みたいなものを持っている。 「キャンプ? そうそう、みんなでテント張ってな、楽しかった――」 「え? ホンマに?」  野球部でゴールデンウィーク中に、遊びに行ってたのか? と目を丸くした翼を見て、翔太はちょっと呆れた顔をする。 「アホ。そんなわけないやろ? 合宿してたんや」 「え……? あ、あはは、そうか……って、野球部って、今まで合宿なんかした事あったっけ?」 「ああ、初めて。今年は高校生活最後の夏やって、良樹(よしき)が主将になってから張り切ってるからな」 「良樹……って、水野(みずの)?」 「そうそう。水野」 「ふぅん……」  うちの高校の野球部は、はっきり言って弱い。今までの夏の大会だって、よくて地方大会二回戦止まりだ。だから合宿なんて、部員から言い出してやる気になっているなんて、珍しい。  そして、翼はいつも思っていた。  ――なんで翔太はうちの高校受験したんやろ……と。

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