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第1―4話
翌朝、柳瀬が午前10時に目覚めると、女の子達は帰った後だった。
ローテーブルに
『昨夜は超楽しかったです!!
ありがとうございました!!
吉川先生、柳瀬さん、メリークリスマス!!』
と書かれたメモがあった。
部屋を見渡すとクリスマスツリー以外の飾りは全部片されていて、それはキッチンも同様だった。
ベッドカバー類も全て剥がされていて、洗濯物用のカゴに入っていた。
柳瀬は3人に感謝して、まず冷蔵庫の中身を確認する。
これなら朝飯兼昼食には十分だ。
それからアシスタントの休憩室に吉野を起こしに行った。
吉野はもう目覚めていて、ベッドに座ってボーッとしている。
吉野は低血圧でも無いのに寝起きが悪いのだ。
「ちーあき」
柳瀬の呼び掛けに吉野が顔を上げる。
「腹減ってないか?
昨日は肉類が多かったから、特製和食定食作ってやるよ」
柳瀬の言葉に吉野の瞳が輝く。
「やったー!
じゃあ俺、歯磨いて顔洗って来る!」
「顔はいいよ。
どうせメシ食ったら風呂入るだろ?
歯だけ磨いてこい」
「らじゃー!!」
吉野は跳ね起きると洗面所に向かった。
柳瀬の作ったブランチを、吉野は大喜びで食べていた。
柳瀬は素材本来の味が好きなので料理は基本薄口で、少し甘口な味付けが好きな吉野とは合わないが、今日は吉野好みの味付けで作ってやった。
吉野はペロリとブランチを完食すると、幸せそうに柳瀬が淹れてやったコーヒーをソファで飲んでいた。
柳瀬はその間にダイニングテーブルとキッチンを片付けて、小さな紙袋を持って吉野の隣りに座った。
吉野が紙袋に目をやる。
柳瀬は吉野の膝にポンと紙袋を置いた。
「クリスマスプレゼント」
柳瀬の言葉に吉野が目を見開く。
「でも昨夜クリスマスプレゼント交換したじゃん…」
「あれはゲームだろ?
それに俺の用意したプレゼントはアシの子がゲットしてたし。
これは俺から千秋だけへのクリスマスプレゼントだよ」
「優…」
吉野の大きな瞳が潤む。
「いいから開けてみろよ」
柳瀬に促され、吉野は目を擦るとへへっと笑って紙袋を開けた。
中には細長い白い箱に金色のリボンが掛かっている。
吉野はパパッとリボンと包装を外すと中身を取り出した。
中身はやはり細長い透明の瓶だ。
瓶の中にはトロリとした液体が入っていて、前面にお洒落な植物のイラストが描かれている。
「これ、なに?」
吉野がわくわくした顔で柳瀬に訊く。
「バスオイル」
「バスオイル?」
「そっ。湯船に2、3滴垂らせばいいから。
その瓶の口は一滴ずつしか零れないようになってるから、不器用な千秋でも平気だろ。
蓋を開けてみな」
吉野が瓶の蓋を開けた途端、優しい草花の香りが漂う。
「スッゲー良い匂い!
俺、好き!」
「千秋の好みだと思った」
柳瀬が微笑む。
「それラベンダーやユーカリなんかが配合されてるんだ。
ラベンダーは気持ちを優しくほぐしてくれる効果があるし、ユーカリは心が落ち着くし。
漫画描いてる途中でも気分転換になるし、寝る前なんて最適だろ」
「さっすが優!
ありがとう!!」
吉野がキラキラした瞳で柳瀬を見上げる。
柳瀬は瓶の蓋を閉めながら言った。
「それにシャワーだけの時でも、風呂から上がる前に洗面器にお湯を溜めて一滴垂らして、身体に掛けるだけでもいいから」
「へ~。俺シャワーが多いから便利!」
「でも今日は湯船に入れよ。
まだ秘密があるんだ」
悪戯っぽく笑う柳瀬に、吉野は「おっけー!!」と言って立ち上がると浴室に駆けて行った。
バスタブに湯が溜まると、柳瀬と吉野は服を着たまま浴室にいた。
吉野がバスオイルを3滴、湯に垂らす。
途端に湯が透明から乳白色に変わった。
「うわあ!まるで温泉みてー!」
吉野がはしゃぐ。
柳瀬が吉野の頭をポンポンと軽く叩く。
「見た目も良いだろ?
千秋、このまま風呂入っちゃえよ。
その後、俺も入るから。
そしたら次のアシの時間にも丁度良いし」
「ん。分かった」
そうして二人は交互に風呂に入り、柳瀬は吉野の家を後にしたのだった。
柳瀬はマネージャーが用意してくれた食事をしながら、風呂の後「優、すっげ良い匂いがする!!」と自分も同じ匂いの癖に、柳瀬の匂いを真剣に嗅ぐ吉野を思い出し、思わず笑い出しそうになった。
ケーキも用意されていたが、柳瀬はケーキ類の甘い物が苦手なのでやんわりと断った。
そうして食事も終わり、また作業に戻る。
今夜は徹夜になるだろう。
そして日付が変わり、翌日25日の午前1時に先生が「休憩にしよう」と言った。
マネージャーが
「和菓子をご用意しましたので、コーヒーでも緑茶でもお好きな方をどうぞ」
と言って、作業台の横のテーブルに箱に入った和菓子とコーヒーポットを二つ置く。
ひとつには緑茶が入っているのだろう。
アシのみんなが席を立つ。
先生にはマネージャーが和菓子とマグカップを運んでいる。
柳瀬はテーブルを見て驚いた。
吉野の大好物の藍屋の苺大福があったからだ。
柳瀬がマグカップに緑茶を注いでいると先生が、
「柳瀬くんはケーキが苦手だろ?
確か藍屋の苺大福は好きだったと思って」
と明るい声で言った。
柳瀬は「わざわざありがとうございます」とお礼を言って、苺大福を皿に乗せた。
その時、アシスタントのひとりが窓際に立って「雪が降ってる!」と大声を上げて、ひとつの窓のカーテンを全開にした。
仕事場のカーテンは暑さや寒さも遮断する機能のある遮光カーテンなので、しんしんと降る粉雪に誰も気付かなかったのだ。
柳瀬は先生やマネージャー、アシスタントがわいわいと集まっている窓から、ひとつ離れた窓のカーテンを開けて外を見た。
綺麗に手入れをされた庭にうっすらと雪が積もっている。
空を見上げる。
暗闇から白い白い粉雪が、舞い落ちる。
遠い街のどこかで。
そう、吉野が誰と何処で何をしているかなんて関係無い。
吉野は遠い街のどこかで、きっといつもの幼い笑顔を浮かべてクリスマスを楽しんでいるだろう。
密閉された部屋なのに、柳瀬は冬の匂いをありありと感じる。
それは吉野に恋した頃から変わらない匂いだ。
そして今夜は。
吉野と自分は同じ匂いを纏っている。
いつかあのバスオイルは使い切られ、無くなるだろう。
それでいい。
千秋には恋人がいて、形に残る物はそいつが渡せばいい。
俺は千秋が喜び楽しむ時間をプレゼントするんだ。
それは物として消えて無くなっても、千秋の記憶の片隅に残るだろう。
それでいい。
俺は風のように香りのように粉雪のように、千秋を好きでいよう。
千秋に気付かれないように、千秋を好きな気持ちで千秋を包もう。
例え、こんな夜に離れてても。
同じ空の下、同じ雪を見ている。
それすら幸福なんだよ。
あの中学生の時に感じた幸せは、変わらない。
だから。
「柳瀬く~ん、苺大福食べないの?
お茶も冷めちゃうよ」
先生の声に柳瀬がハッとする。
もう窓際にいるのは柳瀬だけだった。
「雪が綺麗で見とれてました」
柳瀬は微笑むとカーテンを閉めた。
そして椅子に座ると苺大福を一口食べた。
条件反射のように吉野の笑顔が頭に浮かぶ自分に苦笑する。
だから。
Happy Merry Christmas
俺を幸せにしてくれる千秋が、どうか幸せでありますように。
遠い街のどこかで…
~fin~
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