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第1―3話

電車が降車駅に着く。 柳瀬も降りる人波に揉まれながら、ホームに降り立つ。 ここは神田より冬の匂いが濃いなと思う。 駅のロータリーからタクシーに乗る。 先生の自宅兼仕事場は、駅からバスで10分の距離にある。 先生の財力なら、もっと駅前に家を建てられそうなものだが、それも先生の拘りだそうだ。 そしてアシスタントはタクシーを使うように許可されている。 先生の仕事場に着く。 三階建ての豪邸で、一、二階が自宅で、三階が仕事場だ。 仕事場専用の外階段を登りインターフォンを押す。 直ぐに返事があって柳瀬が名乗るとドアが開いた。 先生のマネージャーが挨拶もそこそこに眉を下げて申し訳無さそうに言う。 「柳瀬さん、すみません。 クリスマス・イヴだっていうのに」 「いいえ。仕事ですから。 それに予定もありませんし」 「またまた~。柳瀬さんがそんな事言ったって誰も信じませんよ」 先生には勿論出版社ごとに担当編集はいるが、それとは別にマネージャーを雇っている。 メシスタントからスケジュール管理、その他諸々と仕事は無数にある。 いわゆる料理の出来る秘書のようなものだ。 先生は奥さんに仕事で迷惑をかけたくないのだそうだ。 だが柳瀬にはそんな事情は関係ない。 アシスタントの仕事を完璧にこなすだけだ。 マネージャーと柳瀬が15畳はある洋室の仕事場に入ると、見るからにボロボロの先生が嬉しそうに椅子から立ち上がる。 普段の先生は、実年齢の40代前半にはとても見えないイケメンだが、修羅場では漫画家なんてこんなものだ。 「来てくれてありがとう!! これで百人力だ! 入稿は見えた!」 「先生、それでも締切り破りは確実です。 早く描いて下さい」 専属のチーフアシスタントに冷静に言われて、先生は「…はい…」と小さく返事をすると、椅子に座り直してペンを動かす。 柳瀬はいつものチーフアシスタントの前の席に座り、バッグから仕事道具を取り出す。 その間にも、チーフアシスタントは仕事の進捗状況を柳瀬に説明してくる。 柳瀬は状況を把握すると、直ぐに仕事に取り掛かる。 もう柳瀬の頭の中は仕事でいっぱいだ。 チーフアシスタントを含めた5人のアシも作業に没頭していて、喋る者などいない。 話す事といえば、先生かチーフアシスタントに確認を取るくらいだ。 何時間経っただろうか、マネージャーが仕事場にやって来て、先生に何やら耳打ちした。 先生はハッとしたように「そうだ!メシを忘れてた!みんな切りのいいところだったらダイニングに移動して!」と慌ただしく言って立ち上がった。 皆、手が離せる状態だったらしく、先生に続いた。柳瀬もだ。 10人は座れるダイニングテーブルには、クリスマスディナーが並んでいた。 飲み物は勿論ノンアルコールだが。 マネージャーが申し訳無さそうに言う。 「皆さん、食事は1時間でお願いします」 男ばかりだし、1時間もかからないだろうとみんな口々に言い合って料理に手を付けている。 柳瀬も料理を口に運びながら、昨日の吉野と柳瀬とアシスタントの女の子達3人と行ったクリスマスパーティーを思い出していた。 途中、羽鳥という招かねざる客も来たが、部屋に上がった訳でも無いし、羽鳥にエントランスまで呼び出された吉野も直ぐに戻って来たし、それ以外は楽しいクリスマスパーティーだった。 アシの女の子達より先に吉野が潰れたが、柳瀬の予想の範囲内だったので、別に慌てることも無く、普段アシの子達が仮眠室に使っている部屋に運んだ。 今夜は鍵の掛かる寝室を女の子達に解放しているのだ。 仮眠室には二段ベッドが二台ある。 吉野は半分寝惚けていたが、柳瀬の手をそう煩わせることも無く、ウサギのコスプレからパジャマに着替えて、二段ベッドの下段に横になると直ぐに寝息を立てた。 柳瀬は吉野の乱れた前髪をそっと直してやる。 今、柳瀬にしてやれる精一杯。 吉野の寝顔は驚くほど、出逢った頃と変わらない。 よく授業中も気持ち良さそうに居眠りしてたっけ…。 柳瀬が「おやすみ、千秋」と小さく言うと、吉野はまだ寝惚けているのか、にぱっと笑った。 そしてまたすやすやと眠っている。 柳瀬はクスクスと笑って照明を落とし部屋を後にした。 愛しい気持ちがこれ以上溢れないように足早に。 程なくして女の子達もダウンして、柳瀬は簡単にテーブルを片付けると、自分も仮眠室のベッドに潜り込んだ。 吉野の眠る二段ベッドの隣りの同じ下段。 こうしていると、何も変わらないような気がする。 柳瀬と吉野との関係も。 吉野と羽鳥との関係も。 それでも確実に変ってしまったのだ。 それを仕方が無いことだと思っても、悲しいとは思わない。 恋は誰にも止められない。 柳瀬がそうであるように。 吉野の規則正しい寝息。 愛らしい寝顔。 こんな近くにいて、触れることさえ叶わないけれど。 「好きだよ、千秋。 Happy Merry Christmas」 あどけない寝顔の世界で一番好きな人に、そっと呟く。 吉野の幸せを願うことぐらい、許されるだろう。 咎められないだろう、羽鳥は勿論、神様にさえ。 柳瀬は満足して瞳を閉じた。

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