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【ひだまり】運営

さっきまで世界史の授業を受けていたはずなのに、ここはどこだろう? 薄暗いけれど暑くも寒くもない。 岩の壁に囲まれている、…洞窟? 乾いた柔らかい苔の上で目が覚めた僕が最初に見たのは、美しい男の人だった。 上半身裸の彼の肩には不思議な模様がある。 タトゥー? 幾何学的な模様が何をあらわしているのか読み取ろうとして凝視している内に、相手が苦しそうに眉根を寄せて汗をかいていることに気が付いた。 そっと近寄り、額に触れると火のように熱い。 慌てて外に出て、すぐ傍にある小川でタオルを濡らし、戻ってきた時にようやく気が付いた。 この人…いや、人じゃない。頭の上に耳が付いているし、腰から下が違う生き物だ。 馬?半人半馬、ってたしかケンタウルス…想像上の生き物。世界史の便覧で見たことがあるけど。 怖くて近づけないでいると、その男の人が薄っすら目を開き、僕の名を呼んだ。 「碧馬(あおば)…」 どうして僕の名を知ってるの? 熱で潤んだ瞳には、優しい光が宿っていた。低く甘い声に、僕の体と心が震えた。彼が短く呻いて身体を動かすと、ふわり、と僕の視界が揺れた。 なに?あ、匂い? 彼の匂いに、世界中の花が一斉に咲くような幻影が見えた。 甘い気持ちがじわじわと身体中を満たしてゆく。 どうしよう、なんでだろう、今会ったばかりのこの人がどうしようもなく愛しい。 そっと近づいて額の汗を拭ってあげると、僕の手を握って、安心したみたいな顔で眠りについた。 あとで聞いたら、倒れていた僕と一緒に、僕が外界から持ってきた風邪を拾ったみたいだった。 看病している間、僕らはいろんな話をした。 人間のΩである僕と、ケンタウルスでαであるリュカ。 そんな風に僕らの恋は始まった。 **** 「リュカ、今日はどこにいくの?」 「山の神殿で用事があるんだ、暗くなる前には戻るから、碧馬は一人で遠くまで出歩かないでね!」 彼の名はリュカ。ケンタウルスで、αで、僕の運命の番。 何のとりえもない人間の僕をいつも心配してくれる。 「分かってる、気を付けていってらっしゃい」 この世界に来て、もうすぐ一か月。 食べ物は森で調達、水は小川で。そんな生活にもようやく慣れてきた。 「さーて、散歩でもしようかな」 本もテレビもないけれど、森にはたくさんの生き物が住んでいて、運が良ければ誰かが歌ったり踊ったりしている。 ケンタウルスにユニコーン、妖艶なニンフ、笛が得意なパーン、悪戯好きのサテュロス。 小川沿いに歩いて行くと、どこからか歌声と笑い声が聞こえた 「ニンフだ!今日は天気がいいからな」 木々の間にぽっかりと空いた日当りのいい空間で、5、6人のニンフたちが歌ったり踊ったりしていた。 そっと近づく僕に気付いた1人が手招きしてくれた。 「ねぇ、あおば、リュカは元気?」 「そろそろどうなの?」 おしゃべりで噂好きなニンフの輪に入るとすぐに質問攻めにあう。 「え?どうなのって、何が?」 僕の答えに、ニンフたちが顔を見合わせて、ふふふふって笑った。 「やぁだ、リュカはαだしあんたはΩ…ねぇ、凄いんでしょ?」 それが、番の営みを意味することに気付いて僕は真っ赤になった。 「なぁに?そんな赤くなるような関係じゃないんでしょ?」 「…え、だってまだ…」 消え入りそうな僕の声に、ニンフたちが一斉に声を立てて笑い出した。 だって、こっちに来てからまだ僕は発情期(ヒート)に入っていない。時期的にはそろそろなんだけど、この世界でも同じなのかはよく分からない。 「じゃああたしたちにもまだ脈があるってことだぁ」 「リュカは山の神殿にいるんでしょ、ひとっとび行って誘惑しようかしら」 「やだっ!やめて」 思わずニンフの服を引っ張って大きな声を出した僕の項に何かが触れた。 「ひっ!」 なに? 「碧馬、また番ってねぇの?そんな無防備にしてると襲っちまうぜ」 振り返ると悪戯好きで淫乱なサテュロスが舌を出して見ていた。 項、舐めたんだ… 気づいた瞬間鳥肌が立った。 いやだっ、リュカ以外に触れられるなんて、絶対ヤダ! 「ぼ、僕帰るから!」 立ち上がろうとしたらニンフたちに抑え込まれた。 「ねぇ、いいじゃない。サテュロスもあんたの事が好きなのよ」 ふわふわの薄い布越しに、ニンフ独特の甘い香りがする。 その匂いすら今日は気持ち悪くってたまらない。 「帰る!帰るからっ」 逃れようとするのに、ニンフは猫みたいに僕に絡みついて離してくれなかった。 「やっ、離してよ!」 もがいていると口の中にいきなり甘酸っぱい味が広がった。 人差し指と親指で唇を閉じられて、思わず飲みこんでしまった。 「なに?!今の何?」 「お・や・つ」 「え?え?」 泣きそうになる僕の事はもう無視してニンフが踊り出したから、急いで抜け出してうちに帰った。途中、足元が覚束なくて何度も転びそうになった。 走ったせいかな、胸がどきどきする。なんだか熱くって、気持ちがそわそわ落ち着かない。顔を洗ってから少し休もうか…と思った時それ(・・)はやってきた。 ドクン、と心臓が大きく跳ねた。 膝が崩れて目の前の風景が歪む。 心臓がバクバクして、身体じゅうに甘い蜜が広がって行く。 くらくらとするのに、身体が気持ちよくってたまらない。早く、早く誰か僕に触れてほしい。 誰か、じゃない。リュカ、リュカでなきゃいやだ… 気持ちはリュカの事しか考えられないのに、誰でもいいから早く宥めて欲しいと身体が勝手に震え出す。 洞窟にも小川にも移動なんかできなくなったふにゃふにゃの身体で、そのまま地面に寝転んだ。 突然むせ返るような雄々しく、でも優しい匂いに包まれた。聞きなれた蹄の音に顔を上げると、一気に視界が明るくなって、そこに僕の大好きなリュカが焦った顔をして立っていた。 「碧馬、大丈夫!?帰るのが遅くなってごめん!ああ、やっぱりこの匂い…、発情期(ヒート)がきたんだ」 もう脚が立たない位ふらふらの僕を、大好きなリュカが震える腕で抱きかかえてくれる。 嬉しくって、そんな気持ちを早く伝えたくて、リュカの首に抱きついた。 「リュカ、大好き」 「碧馬…ベッドに運ぶから、ニンフに誘惑の実を食べさせられた口でそんな事言わないで…」 さっきニンフに食べさせられた実には催淫効果があって、僕は蕩けそうだった。そしてリュカの我慢も限界だった。 お互いの匂いに包まれながら、縺れるようにキスをして僕たちはようやく本当の番になった。 **** 春の草原の上で、ピョンピョン跳ねる小さな尻尾。 「マッティア!足元に気を付けて」 僕の注意は間に合わず、柔らかい土に脚を取られた身体が倒れ、小川に水しぶきが上がる。 駆け寄った僕らを見て、リュカそっくりの顔がお日様みたいな笑顔になった。 濡れた身体を抱き上げようとした僕の身体がふわっと浮かび、マッティアと一緒に抱きかかえられた。 2人を軽々と支えるリュカの逞しい腕。 大好きなリュカと、2人の宝物マッティア。 この不思議な世界で僕を幸せにしてくれる、大切な家族。 【完】

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