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 しばらく俺は、学校に行く時間をずらすことにした。  ずらせば、じいちゃんにあわなくても気にもならならないからだ。  早ければ会わないのは当たり前。だから、今日はいるかな、とかいないかなとなとか気にしなくてすむと思ったからだ。  おかげで早起きしなくちゃいけなくなったが。  木曜日の朝。  普段より15分ほど早くついたため、教室に人影は少なかった。  俺は自分の席に座り、机に突っ伏した。  早起きはつらい。っていうか眠い。   「あれ、戸上早いじゃん」  頭上からふる、少し高い少年の声に俺は顔をあげた。  大きな二重の瞳をぱちくりさせて俺を見下ろしているのは、友達の一之瀬だった。 「あ、いっちー、おはよ」 「おはよー。お前さあ、昨日寝落ちしたんだろ? 大丈夫?」  言いながら、彼は俺の席の前にしゃがみこんだ。 「しかも夏目に保健室に運ばれたってきいたけど。  お前、そんな夏目と仲良かったっけ」 「たまたまだって。たぶん」  仲がいいとか悪いとかそう言う次元にはいなかった。そもそも今まで彼と関わったことなどほとんどない。  向こうは友達たくさんのリア充で。俺はただのその他大勢で。 「掃除では被るけど、向こうは女子にかこまれてるし。そんなやつに俺が話しかけられるわけが」  というか、女子の間に割って入ったら、俺が女子に殺されるんじゃないかと思う。  まあ、そんなだからライにわけのわからない警告をされてもぴん、とこないわけだけれど。 「まあ確かに。常に人に囲まれてるからね。  アルファって自然と人引き寄せちゃうらしいし。見てると確かに、って思うけど」 「アルファとか気にしたことねーもん、俺」 「皆色々噂してるのに?」 「噂って何」  それこそ俺の聞きたかった話だ。  一之瀬はきょとんとしたあと、知らないの、と言った。  知ってたら聞かねーよ。 「夏目についてなんて、俺、全然知らないし。  ライにいろいろ言われたけどさ」  正直、ライの貞操は大丈夫か、という話と女子ひとりの無事ならいいけどと言う、謎の呟きからは何も判断が付かない。  ライの話なんて冗談にしか聞こえないし。女子の言葉なんて意味が分からない。  夏目には2度助けられているし、まあ、1回はあいつを助けた結果なんだけど。  そう言えば何で一緒に寝てたんだ、あの時。  それはそれでいまだに意味不明。 「あいつ誰とも分け隔てなく接するけど、深入りはしないからね。  ライの忠告は冗談半分でいいと思うけど。  でも、興味をもたれてるならそれはそれで珍しいかも」 「そう言えば、昨日保健室で目、覚ましたら夏目が来たな」 「運んだのあいつでしょ? 心配して見に行っただけじゃない?  まあ、でも夏目の取り巻きにしたらそれ珍しいかも。  ネットでも読んだことあるけど、アルファって取り巻きが勝手に作られてって、アルファがひとりをやたらかまったりするとやっかみがすごいとかって」 「なにそれ怖い」  そう言う話を聞くと、アルファにはあまりかかわりたくないと思ってしまう。  厄介なのは本人じゃなくてその周りってことなんだろうけど、面倒なことには正直巻き込まれたくない。  全力で。  とはいえ、俺は2度も助けられているわけで。  そもそも掃除当番でかかわるわけだから、まあ、避けるのは難しいだろうな。  というか、アルファを敵にまわしちゃいけない気がするし。   「まあ、アルファは将来有望な奴が多いんだから、コネ作っとく分には損ないと思うけどねー」 「いっちー、その発想もどうかと思うけど」  一之瀬とは中学から付き合いがあるけど、そんな計算高い考え方するやつだとは思わなかった。  一之瀬は首をかしげて、 「世の中コネでしょ」  と言ってたちあがった。 「っていうか、戸上のその能力、ほんと厄介だよね。  眠くなる原因わかんないんでしょ?」 「わかれば苦労しねーよー」  これについては以前俺のことを調べた研究者がいたが、さじを投げている。  まあしょっちゅうじゃないし、生活にそこまで支障をきたすわけじゃないからいいんだけど。 「なーなー、いっちー」 「何?」 「お前ってさー。人の死を予知した時って、いつもどうしてるの」  これも聞きたかったことだ。  正直、俺が死を予知したのって初めてで。  気持ちの整理をどうつけたらいいのか全然わからなかった。  俺の質問で何かを察したらしい一之瀬は、顎に手を当てて、うーん、と呻った。 「俺はもう、慣れちゃってるし。なんていうか……予知の中で、人が死ぬの見すぎて麻痺してるかも」 「まじかよ」 「だって、俺それしか分かんないからさ」  そう言った一之瀬の表情は心なしか暗かった。 「昔、小学生のとき、友達の親が死ぬの見たときなんてパニック起こしたけど。  うん、あれが一番きつかった」 「あー……」  もうかける言葉も見つからなかった。  そんな話をしている間に、生徒が教室内に増えていく。  その中に夏目の姿もあった。  数人の女生徒に囲まれ、話しながら教室に入ってくる。  彼は鞄を机横に片づけると、女子たちに手を振って、こちらに近づいてきた。 「おはよう、夏目」  向こうが挨拶するより先に、一之瀬がにこりと笑って言った。 「おはよう、一之瀬、戸上」 「あ、お、おはよう」  甘い匂いがわずかに漂ってくる。  この数日で、俺はすっかり夏目の匂いを覚えてしまった。  たぶん今なら顔を伏せた状態でも、彼が近づいて来たら匂いで気が付けると思う。 「夏目、昨日戸上を保健室まで運んだってまじなの?」  一之瀬が言うと、夏目は笑顔で頷いた。 「うん。だって、『やばい、俺、寝る』って言ったと思ったら本当に寝ちゃって。  びっくりした」 「あー……」  寝る瞬間のことを話されるとなんか恥ずかしい。  俺は思わず机に突っ伏した。 「そんな急に寝られるものなの?」  一之瀬の言葉に、俺はくぐもった声で、うん、と答える。 「ほんとすごい眠気だったんだってば。  水泳の授業のあとの4限目みたいな感じ?」 「なにそのわかりやすいようなわかりにくいようなたとえ」  声の様子から、一之瀬が苦笑しているのがわかる。 「まあ、1回助けられたからね、俺」  夏目が言うと、一之瀬が不思議そうな声を上げる。 「助けた?」 「うん。  中庭掃除してときに、彼に腕を引っ張られて。  そこに黒板消しがおちてきてて。  黒板消し、壊れてたからあれ、俺にぶつかってたら確実に怪我してたかな」  あ、あれ壊れてたんだ。  どんな勢いで落ちてきてたんだ、あれ。っていうかそこまで覚えてないし見てない気がする。 「黒板消しがおちてくる状況って……」  その一之瀬の疑問には、夏目は中学生が超能力使ってなんかやってたらしいと説明した。  まあ、普通の状況で黒板消しっておちてこない……かな、そう簡単に。壊れるような勢いとか、たぶんないと思う。 「あー、なるほどねー。  コントロールできなくて、物おっことすとかありがちな話だね」 「うん。それについては、俺から中学の先生に話して注意してもらったけど」  注意しても聞かないのが中学生だよな、って思う。   「そんなことあったんだ。  夏目と戸上って組み合わせ、不思議だなーって思ってたけど」 「はは、そうかもね」  そこで俺は顔を上げた。  甘い匂いがさっきより強くなっている。バニラみたいな、甘い、誘うような匂い。  一之瀬は感じないのだろうか。彼のほうを見るが、匂いに気が付いているそぶりはない。  徐々に頭を侵し、身体まで侵していくんじゃないかと言う感覚を覚える。  思わず俺は、首を横に振った。  このままここにいちゃいけない気がする。この匂いはいけないと、本能が訴える。  俺は席を立って、 「トイレ行ってくる」  と言って、俺はふらふらと教室を出た。  トイレと言ったものの、別にトイレに用はない。  俺は階段を下りて、保健室に向かった。  とりあえず横になりたい。  保健室には保健室の先生である大谷先生がいて、挨拶もそこそこに俺はベッドに転がった。 「また眠くなったのー?」  という、大谷先生ののんびりした声が聞こえる。  ちょくちょくお世話になっているので、大谷先生は俺の能力の副作用を知っている。 「うーん……そんなところ」  本当は逃げてきたのだが。  なにから? 夏目? いや、でもなんで俺逃げてるんだろう。  あの匂いから。いや、よくわかんないや。 「先生には言ってないわよね。じゃあ、連絡しておくわよ」 「ふあーい……」  俺はベッドにもぐりみ、大きく息を吸う。  保健室の独特の匂いが、胸いっぱいにひろがる。  俺は、纏わりついた甘い匂いがなくなるまで、ここで過ごすと決めた。  うつらうつらとしていると、誰かが入って来たことに気配で気が付いた。  けれど、身体は動かない。脳は起きているけれど、身体が動くことを拒否しているようだ。 「ねえ、朱里」  甘い匂いが強く漂ってくる。  ああ、彼か。彼の手が、俺の頭に触れる。 「こんなに俺を振り回す相手は珍しいよ」  頭に触れた手が、ゆっくりと下りていく。頬に触れ、顎を撫でていく。  撫でられたところが、じわっと熱くなる。 「う……ん……」 「逃げられると、追いかけたくなる。これって本能かな」  それってどういう意味だ?  俺が、逃げているってこと? 夏目から?  眠い頭ではよく考えられない。 「絶対に、逃がさない」  甘い声なのに、どこか威圧感を感じる言葉に聞こえて、身体がびくん、となる。  夏目がいたはずなのに、あたりを見回すと誰もいなかった。  夢でも見ていたのかと思ったけれど、彼のあの甘い匂いがそこらじゅうに漂っている。  ここにいたのは確かだろう。じゃあ、さっきの逃がさないとかなんだろう?  幻? 現実? どちらにしても、わけがわからない。  頭がぼうっとする。どうしよう。今日はもう帰ろうか。  あの匂いをかぐと、どうもだめだし。  とりあえずもうしばらく保健室に引きこもろう。そうしよう。  そう思い、俺は頭まで布団をかぶり漂う甘い香りが消え去るのをじっと待った。

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