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3.媚薬を飲んで

3.媚薬を飲んで 「ささはらー、呑んでねぇだろー‥‥」 「食ってばっかりいんなよ、ささはらぁ。」 「俺は後でデカい風呂行くんだから、そんなん飲まねぇよ。」 「社員旅行で呑む以外してんじゃねーぞぉ!ほら!」 宮沢も高橋も面倒臭い。 三人だけの同期だから、面倒臭さも愛嬌の内だとは思うけれど。 「ささはらぁん、俺の酒、呑んでぇん、うふん。」 「俺も宮沢に倣っちゃうー。ささはらぁん!」 まいったな‥‥ 「うちの課の優秀な人材をいじめないでくれるかな。」 ‥‥救世主は背後から登場だよ、心臓に悪い。 しかも、優秀な人材、って。褒められてると錯覚しそう。 「新田さん、いや、いじめてなんて、なあ。」 「そうっすよ。ささはらが全然呑まなくて‥‥」 新田先輩は高橋を押しのけて俺の隣に腰を下ろすと、座椅子の背もたれと俺の背中の間に自分の腕を突っ込んでくる。 そのまま肩を寄せて、伸ばした腕を俺の腰に回した。 鼓動が早くなる、マジ心臓に悪い! 「お、ささはらの顔が赤くなった!」 「ば、ばか、酒が回ってきたんだ!これでもそこそこ飲んでんだからな!」 「あっはっは。」 腕を戻した新田先輩が、笑って会話に入って来る。 「宮沢も高橋も、食ってるか?鍋ん中ほとんど残ってるぞ?」 「食ってますよー。特産の牛肉はしっかり食いました!」 「じゃあ後な‥‥白菜と人参と茸と長ネギ食え。」 「えー、鍋の中身ほとんどじゃないっすかー。」 「ほらほら。」 新田先輩は高橋にコップを持たせると、徳利を傾けた。 すいません、なんて言いながら、高橋もコップを口に運ぶ。 と、高橋の向こうで、宮澤がごそごそと紙袋を取り出した。 「宮沢?何なん?」 「へへん、チョコだ。」 チョコ? 宴会場まで持ってくるか? 「ささはらに食わせてやろうと思ってな。」 「俺?」 「えー、俺にはぁ?」 「高橋にはまた今度な。そら食え!ささはら!」 高橋経由で、俺の手元に、蓋を外した紙の箱。 「何で笹原だけなの?」 新田先輩がチョコを一つ摘まみ上げる。 それを高橋越しに宮沢が制した。 「大人しいささはらだから食わせたいんっすよ。ささはら、二次会も連れてくからな!」 「なんか分かんねぇけど、ささはら、食ってみろよ。」 高橋が俺にチョコを持たせる。 新田先輩が心配そうにこっちを見てる。 いかにも仲良さそうってとこ見せた方が、いいよ、な‥‥ 「じゃ、もらうわ。」 包みを開けて、口に入れる。 チョコの中にドロッとした甘いものが入っている。 ‥‥普通のチョコだ。 ‥‥普通っていうか、あんまり美味くないチョコだ。 「二つぐらい食え‥‥」 「宮沢、酒も入ってるんだし、一個で勘弁してやってくれ。」 新田先輩が俺の手から箱を取り上げて、宮沢に返した。 俺の顔を覗き込む。 「大丈夫?」 「や、なんか普通の‥‥」 「えー、宴もたけなわではございますがー、ここらで中締めをー‥‥」 幹事の田代さんの声が響く。 ぞろぞろと皆がその場で立ち始め、先に腰を上げた新田先輩が俺の腕を掬い上げる。 一本締めが終わり、有るを尽くして‥‥という田代さんの声の中、宮沢が俺に近づいた。 「二次会は三階、うちの課の部屋だってさ。ちゃんと来いよ!」 そして高橋を連れて宴会場を出ていってしまった。 「本当に大丈夫?」 「な、何がですか?」 「何か仕込まれていたりしない?あのチョコ。」 ‥‥宮沢なら、ありえるかも。 でも、何を? 「まぁ、仕込まれていたとしても、害になるようなことはしない奴等ですよ。大丈夫です。」 ふぅん、と言って、新田先輩が俺の腕を引いた。 「行くんだろ、大浴場。俺も一緒に行くよ。」 え、新田先輩と風呂!? 裸で新田先輩と風呂!? 入りたい! 入りたい!‥‥けど、自分を抑える自信が無い! 俺の手を引いたまんまで、新田先輩はどんどん廊下を歩いていく。 そして、俺が泊まる部屋に、新田先輩も入ってきた。 「‥‥先輩の部屋は‥‥?」 「知らなかった?笹原と同室だよ。俺と笹原と、田代さんとあと事務の吉田さん。二人とも幹事だからさ。」 「バスから降りた時、田代さん、俺と同室ってしか言ってなかったですよ‥‥」 「あっはっは。田代さんに笹原と同室がいいって言ったけど、本当に同室にしてくれるとは思わなかったな。」 新田先輩が? 「田代さん、同室に静かそうな奴選べって吉田さんに言われてたんだってさ‥‥準備できた?」 ‥‥ああ、静かそうな奴、か。 「はい。タオルと浴衣だけですから。‥‥本当に、一緒に入るんですか?‥‥風呂‥‥」 「そうだけど?」 新田先輩が先に立って廊下へ出ていく。 慌てて追いかける。 ‥‥どうしよう。どうしよう、ドキドキしてきた‥‥ 「ここのお湯ってさ、美肌の‥‥」 「いた!ささはら!」 声を掛けられて振り返る。 高橋? 「やっと見つけた!ささはら、お前大丈夫?」 「何が?」 「体、何ともないか?」 「ねえ、やっぱり先刻の笹原に食べさせたチョコって‥‥」 新田先輩の声が、すっと低くなった。 「すいません、新田さん、ささはらと話していいですか。‥‥ささはら、あれな、あれさぁ‥‥」 言い淀む高橋、珍しい。 ‥‥待てよ、何食わされたんだよ!? 「はっきり言うわ。媚薬入りのチョコなんだってよ。」 ‥‥は? 「媚薬‥‥何でそんなものを宮沢が持ってるの?何でターゲットが笹原?」 「すいません!すいません、そんなに怒んないで下さいよ‥‥体に悪いものではないみたいですから。」 ‥‥え‥‥ ‥‥え、俺、媚薬飲まされた? ‥‥‥‥でも、何ともないぞ? 「飲み屋の姐さんに貰ったらしくて。俺じゃ効いてるかどうか分かんないだろうからって、ささはらで試そうって‥‥」 「‥‥自分の体で試せよ!‥‥笹原、体、大丈夫?ふらふらしたりしない?」 うん。何ともない。 「何ともないです。どこも。何とも。」 びっくりして、先刻まであったドキドキすら無くなってしまった。 「ほんとか!‥‥よかったー。何かあってもフォローできるようにって、あんなに宮沢、ささはらを二次会に誘ってたんだってさ。」 「‥‥‥‥宮沢は、効いてたら笹原をどうするつもりだったの?」 「いや、それが、そもそもがジョークグッズだって渡されたものらしくて、効くことをあんまり考えていなかったみたいで。」 「無責任だな!」 「それに、ささはらならもし何かあっても誰かに迷惑かけたりしないだろうって。‥‥ま、俺が信用されてないって話でもあるんですけど。」 酔いが完全に飛んでしまったみたいな高橋を見ていたら、俺を本気で心配しているんだって伝わってきて。 たぶん、今頃宮沢のやつ、高橋に搾り上げられてしょんぼりしてるんだろうな。 「ほんとに何にもないよ。大丈夫だよ、高橋。」 「ささはら‥‥」 「ほら、宮沢んとこ行って、大丈夫だったって言ってやれよ。」 「笹原、それでいいの?」 「いいです、新田さん。ほら、何ともないし。」 出来る限りの笑顔で新田先輩を見る。 目が合った瞬間、何故か新田先輩は真っ赤になって、慌てたように高橋に向き直った。 「笹原に感謝しろって、宮沢に言っておいて。」 「はい。」 「あ、高橋、宮沢にさ、今度飯奢れって伝えて。三人で食いに行こう。な。」 高橋が、頭を下げ下げ遠ざかっていく。 俺も新田先輩に頭を下げた。 「すいませんでした。変な騒ぎにしてしまって。」 「‥‥まったく、笹原は。いいよ。さ、風呂に行こう!」 新田先輩が歩き出す。 俺も後をついて歩き出す。 すると新田先輩がふと足を止め、俺と並んだ。 そして俺の肩を抱いて、 「何ともなくて本当によかった。」 と、小さな声で言った。 俺の、 「心配してくれてありがとうございます。」 の声も、つられて小さくなった。 なんだか秘密の会話みたいだ。 新田先輩は俺を支えたまま歩き出す。 大浴場の紺の暖簾をくぐると、先客がいた。 「あれ、吉田さん、今、風呂ですか?」 「おう、新田。出る所だ。二次会の片づけあるから今しかないんだよ。‥‥笹原、一人で立てない程酔ったのか?」 慌てて新田先輩の手を肩から外そうとしたのに、新田先輩が手の力を強めて俺を放そうとしない。 「大丈夫ですよ。笹原は、俺が。」 「頼むな。‥‥そうだ、今なら風呂、貸し切りだぞ。ゆっくり入って来い。笹原、倒れるなよー。」 手をひらひらさせて、吉田さんが暖簾を出ていく。 脱衣所に、二人きりに、なった。 「あ、あの、手、このままだと俺、服脱げなくて‥‥」 「そうか。」 新田先輩の手が、静かに離れていく。 ‥‥あれ?こういう時、新田先輩、いつも面白がるように笑うのに‥‥‥‥ 「いつもみたいに笑わないんですか?」 新田先輩は黙って、黙ったまま、 「‥‥」 俺の肩を両手でつかんで、背中を脱衣かごの棚に押し付けた。 そして、俺の肩に額を乗せた。 「笹原。初めは、お前の反応が面白かったんだ。可愛い新人が入ってきたなって、ちょっかい出してただけのつもりだった。」 新田先輩‥‥ 「何時からか、お前の反応が楽しみで手を出すようになってた。‥‥先刻、」 新田先輩が、息を一つ、吸って、吐く。 息がかかった胸が、熱い。 「決定打が撃たれたよ。この感情は、」 新田先輩は顔を上げて、俺の目を見た。 「俺は、」 ‥‥目が、逸らせない。 「笹原、俺、笹原を誰にも奪われたくない。笹原は、俺の、特別‥‥‥‥なんだ。」 そして、俺の肩から両手を外し、少し後ずさる。 俺の頭に右手を乗せて、 「好きだよ、笹原。」 と言った。 ‥‥この距離は、卑怯だ。 新田先輩が何もなかったように後ろを向けば、この曖昧な言葉は無かったことに出来てしまう距離だ。 体が勝手に動いていた。 新田先輩の胸に体を預け、背中に腕を回していた。 「‥‥笹原?」 「先輩、ずっと好きでした。性的な意味で、好きです。俺には、先輩しか見えていません。」 「笹原‥‥」 「ずっと隠していた。気持ち悪がられると思って。でも、この瞬間が最後になってもいい、」 腕に力を込めて、新田先輩を抱き締めた。 「好きです。新田先輩。」 ‥‥まずいな、涙が出てきた。 新田先輩の両手が俺の頬に添えられて、顔を上げさせられる。 目が合うと、新田先輩の顔も、泣きそうに歪んでいた。 「うん。笹原。」 そしてその顔は静かに俺に近づいてきて、 「‥‥」 俺と新田先輩は、キスをした。 静かに顔と顔が離れて、 「ありがとう。」 「泣いたりしてすみません。」 「本当に可愛いよ、笹原。」 静かに抱き合った。 あたたかい。体が。心が。 新田先輩がふっと笑う。 「誰も来なくてよかったな。」 がばっと顔を上げて慌てて新田先輩から離れると、新田先輩は 「あっはっは。」 と、声をあげて笑った。 「笑い事じゃないですよ!会社の人に見られたら‥‥」 「俺は構わないけどね。笹原に虫がつかなくなれば万々歳だ。さ、風呂入るぞ。」 俺が唖然としている間に、新田先輩は俺に背を向けて服を脱ぎ、タオルを前に当てて浴室へ入って行ってしまった。 慌てて俺も服を脱ぐ。 ‥‥いや、マズくないか? ‥‥マズいよな。勃起している。 タオルで何とか隠し浴室に入ると、新田先輩は既に湯船の中だった。 腰のタオルを残したままシャワーでざっと体を流し、腰のタオルを残したまま湯船につかる。 新田先輩の姿を目が追うけれど、駄目だ、直視できない。 新田先輩が隣に来た。 「笹原、タオルのまま湯に浸かるのは駄目だぞ。」 「‥‥無理です。」 「何が?」 「‥‥‥‥‥‥ぼ、っき、してるん、で‥‥」 新田先輩が神妙な顔で俺の腰を見る。 「媚薬が効いてきた?」 「え、いや、それじゃなくて、っていうかそうあって欲しくないっていうか‥‥」 「あっはっは。大丈夫だよ。ほら、チョコ食ってない俺のも。」 顔を上げられずにいる俺の手を掴んで、新田先輩は自分の腰に導いた。 ‥‥さわっ‥‥て、しまった‥‥にったせんぱいの‥‥ 「お互い、治まるまでここから出られないな。」 固まる俺が何とか顔を上げると、新田先輩は幸せそうな顔で俺を見ている。 「今度さ、俺のアパートで宅飲みしよう。笹原がよければ、‥‥泊まりで。」 一緒に映画でも見ようか、美味いコーヒー淹れてやるよ、部屋の片づけしなきゃな‥‥ 喋り続ける新田先輩を見ながら。 俺は、溢れてくる笑顔を止められないまま。 そっと、新田先輩と、湯の中で、手を繋いだ。 fin.

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