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2.先生と生徒

2.先生と生徒 「希釈終わった?」 「前のサンプルと同じでいいんですよね、出来ました。」 「じゃあ行くか。」 この測定室には初めて入る。 新田先輩は機械の一台をポンポンと叩いて、 「俺の相棒。今日からは俺とお前の相棒だ。よろしくな。」 にっこり笑った。 新田先輩と俺の‥‥ 胸がぎゅっとなる。 「今回は溶剤は流しておいた、すぐに始めよう。手順だけ今日は覚えて。」 新田先輩の指示で、希釈したサンプルを容器に入れて機械にセットする。 手順を忘れない様に、きちんとノートに記入。 「これでスタートする。ここな。」 不意に、新田先輩が俺のペンを持つ人差し指を持ち上げて、パネルに導いた。 慌てて手を引く。 「わ、わかりました、これが、あの、スタートの、」 「あっはっは。」 顔に血が集まる。くそ。 「先輩、スタートしますよ。」 「オーケイ。‥‥よし。あとはピークが出てくるのを待とう。」 新田先輩が作業台の椅子に腰掛ける。 俺も並んで腰を下ろした。 「なあ笹原、そのセンパイってやつ、止めない?」 「急に何ですか。」 止めたくない。止めたら特別な関係が終わりそうで怖い。 「新人で入った時、これで俺も先輩だなって言ったのは、新田先輩ですよ。」 「三年も前の話だろう、それ。もう普通に呼べよ。」 「このクロマト使うのだって新田先輩が先輩ですよ。」 「譲らねーな、笹原。」 新田先輩は困ったような顔をする。 でも俺だって引くわけにはいかない。 新田先輩が頭を掻いた。 「最近さあ、丸山さんとか田代さんまでがさ、俺のことセンパイって呼ぶんだよ。」 「ああ、あの二人なら言いそうですよね。」 「俺さ、‥‥お前以外にセンパイって呼ばれんの、なんか嫌でさ。」 まあ、年上から言われるのは嫌だろうけど。 「笹原から呼ばれるのがさ、‥‥特別感?みたいな?」 え? 「うちの課の新人は笹原が入るまで数年開いたろ?入ってきた時からさ、お前は何か、特別なんだよ。」 ‥‥あ、そういう。 「でも、俺にとっても新田先輩は、仕事教えてくれる特別な存在ですよ。」 「‥‥じゃあさ、先生、とかは?」 「せんせい?」 「そう。二人きりの時だけ。」 二人きりの時だけ‥‥ 「新田先生?」 「そう。笹原くんが生徒。」 新田先輩がニヤリと笑う。 「‥‥なんか、イケナイ関係みたいですね。」 「だろ?いいだろ?」 いいのか?俺とイケナイ関係でもいいのか? ‥‥いいんだといいけどな。 ‥‥いいわけないよな。新田先輩にとっては単なる言葉遊びだ、きっと。 「‥‥いいですよ、新田先生。」 「いい子だ、笹原くん。」 俺の頭に手を乗せて、新田先輩が微笑む。 そんな優し気な目をしないでくれよ。 胸が、軋む‥‥ 「あ、笹原、来て!」 新田先輩が急に立ち上がって、パソコンの画面をのぞき込む。 「これ、ダメなピークだ。‥‥一旦止めるぞ。」 新田先輩はてきぱきと機械を操作しながら、俺に話しかける。 「カラムに少し長めに溶剤流すと納まると思う。たまに出るんだよ。カラム、交換した方がいいかな‥‥」 「カラムの交換、ですか。」 「ああ、今はメモとらなくていい。一人で測定する時の参考に、見てだけおいてくれれば。」 流れるように動く。この人は、本当に‥‥ 「かっこいいな‥‥」 「え、なに?」 「なんでも、‥‥あの、仕事できる人は格好いいです。新田先輩みたいな。」 「‥‥結局センパイ、か。」 苦笑しながら新田先輩が振り返る。 「笹原さ、そのセンパイ呼びさ、止めなくていいや。だけどな、」 「だけど?」 「二人きりの時だけにしてくれないかな。他がいる時は、新田さん、くらいにしてくれると俺が助かる。」 「‥‥‥‥わかりました、新田さん。」 俺の新田さん呼びを聞いた新田先輩は、あーっと声を出して俯いた。 「笹原ー、センパイ呼びってやっぱりなんか特別なんだなー。うん。二人きりの時はセンパイって笹原に呼ばれたい!」 顔を上げた新田先輩は、大きな掌で俺の頭をぐりぐり撫でた。 特別。 そう。俺にとって新田先輩は特別なんですよ。 「さて。サンプル流してカラム落ち着かせるまで時間かかるから、試験室行くぞ。」 「はい。」 「試験室の前にコーヒーでも飲みに行くかー。行こうぜ、笹原!」 「はい、先輩!」 測定室の扉を開けて、扉を閉める。 ここからは、新田さん、になる。 先輩呼びの特別感が余計増した‥‥気がした。

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