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第1話
「おれは一体いつ自由に外に出られるようになるんだよ先生~?」
ダイニングのテーブルに腰掛けた男が音を上げたのは休日の昼下がりだった。その脇では呪術師が煙管のメンテナンスをしながら男の手元を監督している。
「何度も言う通り、修行を重ねて、自力で魔力をコントロールして魔力性フェロモンを抑制できるようになってからですぜ」
「修行修行って、ずーーっとトランプでタワー作らされてるばっかじゃねえかよ~……」
うんざりした男が机に伏す。
風圧で作りかけのカードのタワーがぺしゃんと崩れた。
「只のトランプじゃねえよ旦那。魔力感応紙で出来たれっきとした修行道具だ」
「うう、コレで本当に、魔力のコントロールが出来るようになるのか……?」
男がつまむカードは、魔力に反応する紙で作ったトランプだ。触れる者の魔力で性質も動きも変わる特殊な物で、表面には特殊な塗料が塗ってある。魔力を上手にコントロールして隅々まで浸透させないと接触面がカード同士を弾いてしまう為タワーが組めない仕組みだった。
「魔力をカードに流して、崩れないようタワーを組むのは魔法に携わる者なら誰でもやる初歩の初歩ですぜ」
呪術師はにべもない。少し伸びた前髪をガシガシかき上げ男が嘆息する。
「あー、また最初っからかあ」
震える手でえっちらおっちら一段目を立てていくが、無骨な指にカードは軽すぎてなかなか思うスピードで組み上がらない。
「旦那……肉眼に見えるものだけしか見てねえってのがよくねえなあ」
そういいながら、呪術師が男の首筋を手の甲でなであげる。粟立つような感触に男が吐息を漏らした。
「っつ!……ちょ」
抗議する男に構わず背後に身を寄せ、耳の後ろに舌を這わせた。
粘液質な音がダイレクトに耳を犯す。
思わずびくっと揺れる腰をなんとか鎮めようと男が藻掻くが、呪術師の指先が手や首筋の肌に触れ落ち着かない。触れられた部分が気になりカードどころではない。
「ほら旦那、手がお留守だ」
「どの口が……!」
長細い指がするりと力の抜けた大きな手を取りカードを持たせる。ふと肌の重なった部分から不可視のなにかが流れ込むような感触を覚えた。冷たいような熱いような、甘い感触に目眩がする。
「んっ、先生、なんか触ってるとこ……へん……」
「それが魔力の感触ですぜ」
ふわりとした質感のそれは不快ではなく、黒い羽毛のように艶かしく内側から男を侵食する。
思わず軽く達してしまいそうになるのを必死で堪える男の耳に、呪術師が再び唇を寄せる。
「ほら、そのまま指先に集中して……視線も指先へ向ける」
呪術師の声に弱いのを知っていてわざと低く囁くと男が毒づいた。
「ちくしょう……!」
ふいに目の奥が熱くなり、指先が震えた。違和感に耐えてなんとかカードに目を向けるとそこがうっすら発光しているように見える。目をしばたたかせるが見間違いではない。
「え……光って……?」
「そう、その調子だ旦那。指と同時に目にも魔力を集めなせえ」
誘導されるがままにゆっくりカードを組み立てると、今度は倒れずに段が形成されていく。
一枚一枚、それはゆっくりだが確実に組まれていった。
そして呪術師のリードはいつの間にか離れ、男の手が一段目最後のカードをそっと組み上げる。
「や、やった!初めて一段完成したぜ!」
呪術師のちょっかいを一瞬忘れ、キラキラした目で振り返る。子犬のような表情に内心悦を堪える呪術師。
「はいよくできやした。魔力をカードに流す時はそうやって目にも魔力の流れを意識してくだせえ」
「おお、ようやく第一歩かあ」
気を抜き自分の組んだカードがパタパタと倒れるのを見下ろしながら、そういえばと男が尋ねた。
「なあ先生。俺、こうして修行してるけどよ、このまま魔法使いになんの?」
「『なれるの?』じゃなくて『なるの?』ときたかい。そういうトコ好きだぜ旦那」
男を嫣然と見下ろし呪術師が腕を組む。
「旦那が何になるも、ならないも、もちろん自由でさ。もっとも、垂れ流してる大量の魔力をコントロールできるようになってからの話だがねぇ」
「ええ?ひでえ言われよう。魔力は多い方が強いんだろ?」
「フラフラ危なっかしい上に出力も安定しない魔力じゃ、スライムにだって勝てやしねえよ。なにはともあれ集中力。魔力は単に多けりゃいいってものじゃねえんだ」
呪術師がトントントンと、いとも簡単にカードをテーブルに立てていく。それらは支えがあるかのように微動だにせず精緻なタワーを形成し、みるみるうちに5段のトランプタワーが完成した。
「旦那、こいつを崩せるかい?」
「は?こんなもん指一本ふれたらおしまいだろう?」
試しに指でつつくが、呪術師の作ったタワーは微動だにしない。
「あれ?」
今度は拳で軽く小突くが結果は同じだった。掴み上げようとしても、両手で押してもカードのタワーに変化はない。
「ええ?」
今度は男の太い指に鷲掴みにされるがやはり動かない紙の塔。
鉄柵だって素手で2つに折れる男の腕力にビクリともしないのを、信じられない気持ちで男が見つめる。
額に汗すら浮かべてねじ伏せようとするのを呪術師が片手で制した。
「魔力技能にまず必要なのは一点突破の集中力」
呪術師の人差し指が触れた瞬間、トランプのタワーは当たり前のようにあっさり崩れ去る。
「えーっ?!」
そしてその指をさっと左に振ると、崩れたカード達が自ら起き上がり、タタタタンと逆回しで再びタワーへと組み上がった。
「えええ?!」
「魔力に役割を覚え込ませ、忘れさせ、時には思い出させるのが魔力使いの基本だ。だがそれも魔力の流れを上手く覚えてからの事」
茶色の細髪を耳にかけて、ふーっと軽く息を吹きかける。トランプは再度木の葉のように散っていった。
「一般的にはコツコツ地道な道でさぁ」
圧倒的な実力差を見せつけられて、男は机に深く倒れ伏した。
「あー、もう。道のりが長い……」
「旦那を付け狙う例の淫魔もまだ捕まってねえことですし、ま、気長にやりやしょう」
「は?」
「ん?」
「まてよ先生。だって、この間の騒ぎで淫魔は捕まって……」
「旦那、世の中に淫魔がどんだけいると思ってんですかい?」
「え?」
「正確な所は言えねえが、上級から下級合わせて国の中に入り込んでるだけで軽く千はいる。使い魔入れたらもっとだ」
「ええ?!やばいじゃねえか!なんでもっと大事にしねえんだよ!」
「落ち着きなせえ。淫魔の殆どは下級の少食で害が無い。つましく売春で暮らしてるのがほとんどでさ。今も人間のふりして普通に街を歩いてる。淫魔に限らず、この国でそうやって密かに暮らす魔族は少なくねえですぜ」
「ええ……知らなかった」
「一部にとっての公然の秘密みてえなもんだからな、しかたねえ話さ。旦那も吹聴しなさんなよ?」
呪術師は煙草入れから煙管を取り出すと、壁によりかかりながら火をつけた。
軽く口をつけて深く吸う。紫煙が天井にあがった。
「で……だ。この前のオークション騒ぎで取っ捕まえた淫魔。一応念のため淫紋を調べやしたが、案の定旦那に目をつけてるのとは違う個体でしたぜ」
「そんな、それじゃあ」
「旦那狙ってる淫魔はまだ捕まってやしねえ。さらに言えば、まず間違いなくまだ旦那を諦めていねえ。厄介なことだ」
「でも、薬さえ盛られなきゃ俺だって淫魔くらい……!だてに長いこと村の警備やってねえんだ。魔猪くらいなら一人で倒せるんだぜ?」
「淫魔の一番厄介なところはどこだと思う?旦那」
「え?力が強い?」
「違う」
「人間を喰う?」
「違う」
「空を飛べる!」
「違うぜ旦那。淫魔の一等厄介な所はな、人に取り入るのが異様に上手いってとこだ。善良な人間の皮を文字通りかぶり、長年の友人に、育ててくれた親に、愛している恋人に化ける」
呪術師は椅子に腰掛ける男の側に猫のように歩み寄ると、顎をすくい取ると流れるような動きで唇を重ねた。呪術師の長い髪が男の頬に掛かる。
「!」
目を見開いた男の手が空を彷徨うが、それも次第に力なく下がっていき、水音が深くなるごとに震えて呪術師の背中にすがり出す。
呪術師の口が蜜を掬うように男の舌をすくい上げ、歯で扱く。甘噛に支配され指先が跳ね、男の心臓は壊れそうだった。
「んんっ……はぁ……」
そらそうとした男の顎を細い指が掴む。
長い舌が割り込み、口腔をなであげる。
唇を吸って、細い指が髪に沈んでいく。
粘膜が擦れる感触とねっとりした水の音だけが脳内に満ちた。
そうして一度深く沈み込むように弄ってから一気に引き離す。
ちゅぷっ
陶然とした目の男から音を立てて離れる呪術師。
数秒うっとりと惚ける男。
見下ろす呪術師の視線が男の淫靡な表情を独占欲たっぷりに楽しんでいると、見上げる目がようやくはっと気づく。
「……っな、なんだよ!……急に!」
「ああ、こんなに簡単に懐にいれちまって……。俺が淫魔だったら旦那はコレでもうお終いだ。アンタは俺の姿をした淫魔にゃ勝てねえ」
「だって、先生は淫魔じゃねえだろ!」
呪術師はため息をつく。
「そんな可愛い所も好きですがね……旦那を狙う淫魔はおそらく上級以上の親玉クラス。人間に近いとこで暮らす分知恵もよーくまわるやっかいなストーカーだ。アンタ、例えば町中で子供に化けた淫魔に魔法で襲われたら殴り返せるかい?」
「ええ……そりゃ、ううん……」
今更ながらに事の重大さを思い知った男の眉がへにゃりと下がる。その様子が可愛らしくて思わず呪術師はニヤつきそうになるが、必死でこらえた。
「……まあ、淫魔の事は百歩譲っても、せめて魔力のコントロールだけでもできねえとな」
「そんなぁ……じゃ、じゃあよお、せめてもっと手っ取り早くコントロール覚える方法ねえのか?この調子じゃいつになるか分からねえじゃねえか……」
ここで呪術師はカンと煙管から灰を脇の煙草盆に落とした。手早く煙管をしまうと諭すように男へ微笑む。
「自由に外に出たけりゃ諦めて修行に励むんだな」
不満げな男の肩をたたき背を向ける呪術師が、少しだけ間を置いて小さく呟く。
「……それにありゃ、旦那には向かねえからよ……」
うっかり気が緩んだ呪術師がヤバイと口を噤んだが遅かった。
「え?ちょ、まてよ、他に手っ取り早い方法あるのか?」
「こ、こら、放しなせえ!」
「先生はこういうことで俺に嘘はつかねえよな!手っ取り早くコントロールが身につく方法があるなら、それをやるかやらないかは別としてまず教えてくれよ!」
懇願するように訴える男。その必死さに呪術師の動きが一瞬止まる。
「……旦那、そもそもなんだってぇそんなに焦るんです?ここでの暮らしに不満かい?」
「そうじゃねえよ。そうじゃねえけど」
「まさか……、外に誰か待たせてんのかい?」
呪術師の目が遊色にチラリと光る。
「なっ」
思ってもみない事を言われて男が動揺するが、その動揺に更に呪術師の目が鋭くなる。
「旦那?」
しかし男も怯まない。
「な、なんだよ!そんなに疑うなら、先生だって……、一人でたまに出かける時、外で何してるか俺に教えてくれねえじゃねえかよ!」
(しまった)
言った後で男に後悔が走る。呪術師が自分に内緒で時折なにか『仕事』をしているのは察している。いつか呪術師の方から話してくれるのを待つつもりだった。本当は疑ってなんていない。でも、一度口から出た言葉は戻せない。
呪術師は逡巡した後に、呻くように答えた。
「……俺は、旦那を裏切ったりしませんぜ」
「俺だって先生を裏切ったりしねえ!」
「……」
「……」
数秒の沈黙と膠着の後、呪術師がふと踵を返した。
「……とにかく、この話はこれで仕舞いだ。でかけてくる」
「先生!」
男が咄嗟に伸ばす手が空を切る。
呪術師は壁にかけてあるローブを手に取ると、早足で玄関のドアを潜った。
カチャリ
内側からはいつでも開けられるはずの鍵の音が、立ち尽くす男の耳に冷たく響いた。
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