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【狐の嫁入り】 ノッキ
___僕には許嫁がいるんだって。
放課後の川べり。夕焼けに染まる横顔は何かをあきらめたように、秘密を呟く。
___18歳になったら、僕は結婚する。
長く影を落としたまつげが震えるのを見つめながら、倉元伊吹 は、そんなことはさせない、と強く思った。
彼を守るのは自分の役目なんだとずっと信じて生きてきた。大切な片割れ。そのためならなんでもしてやる。
倉元家は江戸の時代から続く旧家だった。本家も分家も一つの敷地の中でそれぞれ独立して暮らしている。もちろん格式は違うけど、子供にしてみれば様々な年齢のいとこたちに囲まれ、それなりに楽しい暮らしだった。
中でも本家の次男である倉元総司 と分家の次男である伊吹はとても仲が良かった。
同じ日に産まれ血の繋がりのせいか童顔気味な姿かたちもそっくりで、いつも一緒にいたから双子だと間違われることも多かった。
その総司に許嫁がいるという。初耳だった。
「何それ、聞いてないけど」
「うん……僕も、昨日知った」
聞けば本家の次男は昔から18歳になると許嫁と結婚するしきたりがあるという。
「相手は?どんな子?」
「知らない。蔵の中にそれについて記された書物があるらしくて……誕生日にそれを開けって」
「蔵の中に……?」
「うん、なんかもうビックリだよね」と笑った総司はふにゃりと目元を潤ませた。
倉元家の敷地の一番奥には大きな土蔵がある。子供は近づいちゃいけないときつく言われていたし、いつも頑丈なカギがかけられた場所だから一度も入ったことはない。
その蔵の中に総司の結婚についての決め事が残されているという。
「よしわかった」と伊吹はうなずいた。
「それ、取ってきてあげる。一緒に見てさ、もし変な奴だったら破棄しちゃえばいいよ」
「そんな無茶な……。それに蔵には入れないだろ」
「大丈夫。今、虫干しの為に解放されているはずだからさ」
年に一度、蔵の中の点検と虫除けの為に空気が入れられている。敷地の中のことだ、誰も忍び込む輩はいないだろうと数日だけ鍵が開いたままになっているのを伊吹は知っていた。
「総司だって知らない奴といきなり結婚なんて嫌だろ?」
「そりゃ……そうだけど」
「じゃあ、任せてよ」
そう決めるが早いか、伊吹はみんなが寝静まったのを確認するとひとり蔵へと向かった。いくら敷地の中とはいえ灯りが手持ちのランプ一つとあっては心もとない。怯える気持ちを叱咤しながら扉を押すと、重たい音を立ててそれは開いた。
「……やっぱ怖いな」
物音一つなく、物々しい空気をため込んだ蔵の中は独特の香りに満ちていた。
壁一面の棚には木の箱がきれいに整理されている。この中からお目当てのものを見つけるには骨が折れそうだ。
「……総司も連れてくればよかったかな」と一人ごちたその時だった。
ごとり、と重々しい音が奥から聞こえてくる。
「……やばっ、誰かいた?!」
身をすくませたが、深夜になってまで作業している人がいるとは思えなかった。なにより伊吹の持っているランプ以外に灯りがともっている気配はない。
「……でも、聞こえたよな」
恐る恐る音の出所を探りに足を進めた。真っ暗な土蔵の中に伊吹の乾いた足音だけが響いている。と、再びあの音がする。ランプの灯りを辺りにさまよわせたが当然人影はない。
だが、ある場所を照らした瞬間、1つの箱ががたがたと揺れ始めた。
思えばここで逃げておけばよかったのかもしれない。
残念ながら好奇心が勝ってしまった伊吹は、ゆっくりと箱へと近づくとそれに触れた。
古い木の匂いが柔らかく立ち込めている。どこから見ても普通の木箱にしか見えないが、違うところがあるとすれば、得体のしれない文字でぐるりと封をされているところだろう。
「ボロボロだな……」
爪の先でカリ、とひっかくと案外簡単に紙は剥がれ落ちた。触れた場所からパラパラとこぼれ落ちていく。
ほんの少しの力をかけただけで開いた箱の中には古びた巻物のようなものが一つ、丁重にくるまれていた。持ちあげると古めかしい紙の感触がずっしりと重む。
冷たい地面に膝をつき、括ってあるところをほどく。封をしていた紙のように劣化するでもなく、巻物はスルスルと身をほどいていった。
豪華な帯のように地面を彩る巻物には、うねうねと伊吹には判読しかねる文字が羅列されていた。いつの時代のものなのかさっぱりわからない。江戸から続く家のことだ、これくらいの古さのものなんか蔵の中にごまんとあるのだろう。
最初の文字を指でたどる。
「……なん、じ?われ……なんだ……?読めない……けい、や……く?」
と、その時だった。
目の前がモヤで包まれ始めていく。それは次第に深くなり、目の前が何も見えなくなっていってしまった。慌てて立ち上がろうとしたが失敗してしりもちをつきかけた。体勢を崩した伊吹の腕を何かが掴む。
「わ!な、なに?!」
次第に晴れていく視界の中に、ふわっふわの尻尾のようなものが見えた。どうやら尻尾の持ち主が伊吹を掴んでいるらしい。
「汝、約束を果たしに来たもの」と低い声が耳元で鳴る。
「や、くそく……?」
呆けたように繰り返す伊吹の頬を冷たい指が撫でた。
「倉元家のものだな」
「……そう、だけど」
クリアになった視界に得体のしれない人のようなものが立っていた。人、と言い切れないのはその生き物にはもこもこの尻尾がついているからだ。
「……コスプレ?」と引っ張ってみたが、やけにリアルで温かい。
尻尾付きの人物は不機嫌に振りほどくと、伊吹の顎を持ち上げ、舐めるように見つめてくる。
「ふうむ。これはまた珍妙な」
「あんたに言われたくないよ」と返したいが、自分の意志では動くことができない。まるで全身が固まってしまったように身動きがとれなくなっていた。
尻尾の人物は値踏みするように伊吹の全身を探った。なすすべもない伊吹はそれを甘んじて受け入れるしかない。思考だけがせわしなく動いていた。
尻尾をつけている不思議さえなければ、目の前の男はかなりの美青年だと見て取れた。長いブロンドの髪も艶があってきれいだ。端正な顔もまるで芸能人のように整っている。頭につけた大きな耳だけが酷く残念だ。まさか蔵の中にこんなマニアックなコスプレ衣装があったとは。
一通り観察し満足したのか男は「まあ良い」とひとりうなずいた。
「約束の日にはまだ早いが、いいとしよう。花嫁よ」
「花嫁?!」と声がちゃんと出た。
「ぼく、男ですけど?!」
どうやらアタマもちょっとイカれ気味だったようだ。もしかして彼を閉じ込めておくためにこの蔵があったのだろうか?
「……入っちゃダメだってうるさかったのは、これのせい?」
不審者から子供たちを守ろうとして。
掴まれた腕から逃れようとしたが思いのほか男の力は強く、振り払えなかった。
「名はなんと申す?」
「名前?なんで教えなきゃならないのさ」
「それはお主が我の花嫁だからだ」
やっぱりオカシイ、と結論付けて伊吹はとりあえず今日のところは蔵を出ることにした。こんな変な人がいたなんで想定外だった。
「ぼくは花嫁でもないし、あんたにかまってる暇はない」
探していたものが見つからなかったのは痛手だが、これ以上この変な奴にかまっていても埒が明かない。
「……ね、もう出るからさ……離してくれない?」
「口の減らない花嫁よ……」
男は忌々し気に顔を歪めると、伊吹の顎を強くつかんだ。そのまま上を向かせたかと思うと噛みつくようにくちづけをする。
「……っ、んん?!」
無理やり口を開かせると、ぬるりとした舌が入り込んでくる。
「……っ!ちょっ……」
逆らおうとしたが体の力が入らない。思うように動けない。倒れかけた伊吹の腰を男が支え、さらに深く交わろうとしてくる。すっかり力の抜けた伊吹に満足したように男は唇を離し、間近で笑みを浮かべた。
「従順な花嫁だと聞いていたのに、これはとんだお転婆だな」
「……なに、あんた……」
力なく問いかけると男は傲慢ともいえる笑みを浮かべたまま「我は妖狐」と告げた。
「妖狐……」
「いかにも。九尾の空弦(くうげん)と申す」
「九尾の、空弦」
「お主は今日から我の花嫁となる。倉元家のものなら知っているだろう?」
知らなかった、何にも知らない。もしかして総司の言っていた許嫁ってこれのことか?
「お前の花嫁ってことは生贄か何か……なのか?」
「生贄……とは言葉が悪いが、まあそういうことになろう。代々倉元本家の次男は18の誕生日に我と契りを交わす。それによって御家は安泰となる契約をしている」
「契り、って……なにそれ……」
ずっと知らずに生きていた。自分の住む土地の中で起きていることなのに何も知らなかった。代々ということは、今までも何人もこうやって空弦に身を授けてきたのだろう。生贄がいることでずっと生き延びてきたのだ。
「……じゃ、なに?あんたに食べられちゃうわけ?」
よく見ると空弦には鋭い牙があった。妖狐といっても元は獣だ。人の肉なんて簡単に噛み切ってしまうのだろう。
「怖がらなくてもいい」
「なんなの、これ……」
今まで無知なままどれだけのものに守られて生きてきたのか。本家のものが___総司が背負っていた事実を知らずに。
「さあ、約束の契りを」と空弦は伊吹の体をしっかりと掴んだ。
「知らなかったよ、本当に。何がなんだか意味が分かんないしめちゃくちゃだ」
今夜こうやって秘密を暴けなければ、数日後に総司がここにいたのだろう。生贄になるとも知らず、許嫁の情報を探しにたった一人で。
それだけは絶対に避けたかった。
「……わかったよ」と伊吹は観念したように瞳を閉じた。
「じゃ、さっさと食べてください」
短い人生だったけど、大事な総司を守って死ねるなら本望だ。一思いにガブっとやっちゃってください。
痛いのかな、そりゃ痛いよな。怖いけど仕方ない。
今にも逃げ出しそうな足を踏ん張って空弦に食われるのを待った。だが衝撃がいつまでも来ない。おそるおそる目を開けると空弦は訝し気に目を細めて伊吹を眺めている。
「え?冗談だった?からかってた……?」
もしかして蔵に勝手に入ったお仕置きか何か?とホッとしかけたが、そうでもないらしい。空弦はじっと伊吹をみつめたままだ。
「……あんまり美味しくなさそうだなって顔?」
「___いや、そうではない。なかなか面白い花嫁だと思ってな」と、空弦は愉快そうに口元を上げた。そのまま首元に唇を寄せ暗闇に鋭い歯が光る。
血がビシャーっと散ってあまりの痛みにもんどり打ちながら死んでいくのかと覚悟を決めた伊吹だが、それは意外なほど恍惚とした痛みを与えた。
「……っんっ」
蕩けるような気持ちよさが全身を貫いていく。確かに強く噛まれているはずなのに、痺れるような快感が背筋を伝わっていった。
「……っあっ!?」
声を漏らし、思わず開いてしまう口元に空弦の逞しい腕がさらされた。
「噛め」
「……んんんっ」
夢中になりながら歯を立てた。小さな犬歯が空弦の腕にめり込み、血のしずくを浮かべた。どくどくと鼓動が割れんばかりに打っている。
口に中に鉄の味が広がった。舌先で絡めとるようにすくい飲み下すと細胞という細胞が新しく芽吹いていくようだった。力がみなぎっていく。
「……っ、ああ、んっ」
感じたことのない気持ちよさに気が遠くなりそうだった。あられもない場所が反応し、高ぶっているのがわかる。思わずしがみつくと満足げな吐息が聞こえ、唇が離れていった。
「これで契約は結ばれた」
「契約……」
荒い呼吸を整えながら首筋を触ると、小さな穴がふたつ開いていた。血で汚れているかと思ったが、手のひらには何もついていない。
「ふは」と伊吹から笑いがもれた。
これで総司のことは守れたのだろう。おかしな取り決めで結ばれた婚約者との間に割って入ってやることができた。
唇に残っていた伊吹の血を舐めた空弦が不思議そうに首をかしげる。
「何がおかしい?」
「いや、気がつかないもんなんだなって」
空弦の欲しかった花嫁は伊吹じゃない。ふらつく足取りで空弦の腕を取り微笑みかけた。
「あんたの花嫁候補はぼくじゃなかったよ」
「……なに」
「花嫁じゃない男と契約しちゃったね」
みるみる空弦の顔色が変わっていく。
「謀ったのか……っ」
「言葉が悪いけど、そうだね。ぼくも倉元家の次男……分家の方のね」
空弦が欲しかったのは本家の血。だけどあまりに似ている自分たちだから気づかれなかったのだろう。体に流れている血だってかなりおなじ成分のはずだ。
「これで総司とは結婚できないよ。だって、あなたはぼくと契約をした」
大好きで、ずっと守ってあげたかった大事な総司。
「花嫁って何をすればいいの。身の回りの世話とか?ご飯作ったり」
もしかしてもう二度と会えないのかもしれないけど、どうか幸せに生きていってほしい。
「……」
「花嫁修業なんてしてこなかったからあんまり期待しないでね」
半ば自棄になって身を預けると空弦はじっと固まったまま動かなかった。
あと数日で総司を手にし、思いのままに過ごすつもりだったのだろう。それがどうだ。分家の伊吹と間違った契約を結んでしまった。
自らの失態に憮然としたまま立ち尽くし、悔し気な視線の先には小さな穴がふたつ。伊吹と交わした契約の痕がくっきりと残っている。
「……契約の解除の方法がある」
「解除?」
「お主だけが我を封印することができる。その方法がわかるか?」
封印をすることで今回の契約を解除しようということか。
白紙に戻し、今度こそ本物の花嫁である総司を得ようとしているのかもしれないが、そうはさせない。
「知らない」
「……本家のものには伝わっているはずだ」
「知らないものは知らない。いいじゃん、ぼくで手を打っちゃってよ」
「そうはいかない」と空弦が冷たい表情を浮かべながら首を振った。
「本家のものだから従わせることができるのだ。それ以外のものなど……」
忌々しげに視線を落とした先にある巻物をつられるように見た。不思議なことにさっきまで全く読めなかったものが読めるようになっている。
「……もし、他者と契約をした場合」
___本物の花嫁ではなく他者と契りを交わした時、その主は契約者のものとなる。
そこに記されていることが事実ならば空弦は伊吹に従わなければならない。
「そういうことか。残念だったね。総司はやらないよ」
「お主……」
「ぼくに従え。空弦」と伊吹は心を決めたように強い口調で命令した。
「お前の主はぼくなんだろう。花嫁になってやるって言ってるんだ」
強気に睨みつける伊吹をじっと見つめ、しばらく考え込んでいた空弦だがニヤリと口元を上げると「よかろう」と頷いた。
「たまには毛色の変わったものと過ごすのも悪くない」
浮かべた笑みに、くっきりと牙が光る。やはり人ならざる者なのだ。
「飽きたらいつか封印してやるから待ってな」
今にも怖気づきそうな自分をごまかしながら伊吹は不敵に笑った。それを見る空弦も満足そうに瞳を細める。
「もう一度聞く、お主の名前はなんと申す」
「……伊吹」
「よし、伊吹。今日からお主は我の花嫁だ。存分に楽しめ」
物珍しいおもちゃを手に入れたように楽しげに笑った空弦の腕に包まれながら、伊吹は住み慣れた場所と別れを告げた。
これから向かう先に何があるかわからないけど大丈夫、と、モフモフな尻尾へと頬をうずめながら言い聞かせる___だってここはとても温かい。
次第に意識が遠のいていく中で、優しい声が名を呼んだ気がした。
fin
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