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【幻なる世】運営
緩やかな気温に包まれて、少年は空を仰いだ。
春の香りは鼻先を掠めて花びらと共に流れていく。
「はっくしょん!」
鼻のむずかゆさにクシャミをして、鼻を啜りながら田舎道を歩いた。
都会の空気はどこか澱んでいる様な重苦しさがあるが、田舎の空気は清々しいと言いたげに少年は大きく息を吸った。
見た目は高校生程で、ジーンズで7分丈の長さで折り曲げられ上は、乱雑なチェックの柄が刻まれたシャツを羽織っていた。
畦道を歩くにはどうにも不釣り合いな格好にも見えるが、そもそもに少年はこの場所で生を受けた子供であり、違和感は1人の女性によって掻き消された。
「玄基 よう来た」
目尻の皺が深く、ニッコリと笑いながら大きな門を潜って出て来た女性に、玄基はニッコリと笑いかける。
「ばぁちゃん」
春休みの最中、玄基は祖母のいる田舎へと向かったのは今年は祖父が亡くなってから初めての春。
母と父はそれぞれに仕事で忙しく会いに来る事も今回は難しいと判断され、玄基は1人でこの地を訪れた。
畑に覆われた1面と、小さな山に続く正面の道には鳥居が鎮座し、その鳥居の上では小鳥が何かを話しているかのように囀っていた。
玄基が、家の門を潜ると山の木々が一陣の風にざわつき鳥がまるで逃げるように飛びたったが、誰も見る事は無かった。
「元気だった?」
玄基は玄関で靴を脱ぐと、持参した大きなバックを肩にかけて1つ目の大きな居間に入る。
大正と呼ばれる古い年号の頃からの建物であるこの家は、今この場所に住まう祖母の代で無くしてしまう。
それは玄基も祖父が亡くなった時の話し合いで聞いていたが、この場所は幼い頃から遊んでいた沢山の思い出詰まる場所でもあった。
「ゆっくり過ごしなさいね」
そう優しく、笑いかけられて玄基も同じ様に笑い返す。
夕飯は早い時間に終わり、祖母は19時を回ると寝てしまう。
その前にお湯に浸かり、身体を清めて玄基は祖父の遺影に手を合わせた。
「そう言えばね、おじぃさんが玄基にって」
そう言って、渡されたのは蔵の鍵だった。
まだ幼い頃都会住まいの玄基には、とても楽しそうな〝秘密基地〟に見えて、祖父が片付けに入る度について行きいろんな話を聞いて来た。
その鍵を渡されて、明日はその蔵を掃除する事となった。
夜眠る時に、玄基は深い夢に陥った。
底のない深い場所で、何か柔らかいものに包まれている様な感覚に心地良さを感じているようだ。
〝早く......はやく、迎えに...〟
その声が耳に届くと何故か切なく胸が締め付けられた様にハッと、眠っているのに息継ぎをする。
水の中で溺れているかのようにハクハクと何度か息継ぎをしてからいつも通りの眠りに落ちたのだろう。
夢うつつは記憶にはなく、玄基は目覚めと共に身体をうーんと伸ばしてこの場所が自分の生活空間でない事にキョロキョロと見回した。
「玄基起きたかい?」
その声に、意識がはっきり覚醒したのだろう。
慌てて布団をたたみ祖母の待つ居間へと向かった。
早朝祖母はおそらく、寝ている玄基を起こさぬように、音を潜めて家事をこなしたのだろう。
暖かい味噌汁とご飯、シャケの切り身に懐かしさを感じたのか、ふにゃりと頬を緩めた。
「おはよう、寝過ぎたね...起こしてくれて良かったのに」
そう言いながら、目の前の食事に手を合わせた。
「いただきます」
「たんと、お食べ」
祖母も久しぶりの孫の顔を見て嬉しいのだろう。
深いシワを更に深く刻んで笑う。
「後で、じいちゃんの蔵掃除するね」
「もう、あの荷物も処分しないとねぇ」
祖母は、知っていた。
この家が祖母の寿命と共に無くなることを。
それを気丈に、まるでなんでもない事のように告げる祖母は、玄基にとってとても胸が苦しくなる事だった。
ゴミ袋を片手に、不要物を袋に詰めて行く。
殆どが祖父が集めたガラクタと呼ばれるもので古いおもちゃ等は売れるのかもしれないとダンボールに押し込んだ。
「あ...」
埃っぽい蔵の中、何故か棚に置かれた箱が気になった。
下から見ても横から見ても、名前や何が入っているかの記載は無かったが、昔祖父が大切にこの箱に話し掛けていたのだ。
赤い紐を解けば、中身がわかるというのに何故か玄基はその紐を1度引いてみたが、緩まる前に手を止めたのだ。
「これはじいちゃんの大切なモンだったよな」
そう、一言呟いて元の位置に戻し、作業を進めているとあっという間に夕方となった。
その祖父の大切な箱が蔵の中で闇にカタリと音を鳴らしたことは誰も気づく事は無かった。
1日を蔵の中で過ごし、ある程度の整理を終えた玄基は、祖母の届かない場所の掃除などを手伝いやっと一息付いたのは夕飯の時だった。
「随分綺麗に...ありがたいねぇ」
祖母の声に恥ずかしそうに頬をかいて笑った。
「またしばらく来れないから」
春休みが終われば、玄基はまた学校通いが始まる。そうなれば、嫌がおうなくともこの家には来れないのだ。
布団に潜り込めば、あっという間に睡魔に誘われ眠りの中へと意識が吸い込まれる。
「ん...」
その夢の中でまた、声が聞こえた。
〝私を、呼ぶのだ...〟
呼ぶ?名前も知らないのに?
そう頭の中で考えても、薄ぼんやりとした意識ではそれが精一杯で、あとは何も考えることもなく深い眠りに落ちたのだった。
翌朝やはり目覚めは良くなかったのか、玄基はぼぅ...と、天井を見詰めてから身体を起こした。
帰宅の日、祖母が蔵の中のは何でも持ち帰っていいと言われてはいたが何も持たずに帰宅した。
ガラリとした室内。
扉を開いて服などを入れていたリュックをソファーに投げ捨てると腕をまくってキッチンへと向かった。
一軒家の家であるが、家族はほとんど家には戻らないのだ。
父も母も海外で仕事をしていて自分だけが日本に残ると決断したのは、2年前だった。
1ヶ月に1度帰って来る両親だったが今は多忙な春先のため、今月は戻れないと玄基は聞いていたので、台所で夕飯を作り始めた。
その時、ガタンと音が響きリュックから見覚えのある箱が零れ落ちた。
「も、持って来てないのになんで!?」
蔵からは何も持ち出さなかったはずなのに、零れ落ちた箱からころりと、巻物が落ちて拾い上げた瞬間手に違和感を感じた。
「え、なにこれ...」
巻物が人と同じ温もりを持っていて、それがすごく違和感を産んだのだろう。
と、ひらりと巻物の芯が落ちそうになり、慌てて端を掴めば一気に視界が歪んで今いる場所すら判別付かない空間の中にいる感覚。
そして、玄基はなにかの気配に顔を上げた。
「ひっ!!?」
目の前に、整った美しい顔をした人。
いや、人ではない耳も尾もついている人だ。
「なっ、だ、誰!?」
後ずさるもドアは引かなければ開かない。
背中を預けてしまった今逃げるのは横にしか行けないと、チラリと視線を逃げ道に向けた時。
ダン!と両の手が玄基の顔の真横を通り過ぎドアを抑えられた。
「ほう、私を忘れたか?」
「は?何言ってんの?お前なんか、し、知らな、知らない!」
青ざめて足は震え、逃げ出したくても逃げれない状況で意味が分からないことを告げられて玄基は混乱するがままに答えた。
「知らない?私を?お前に名を与えたのは私だぞ?」
そう言われ、玄基はふと名前の由来は祖父だったと思い出した。
父も母も、名前を考えていたのに、祖父が強引にその名を勧めたのだとか。
「何、いってんの...」
極度の緊張と、帰ったばかりの疲労からか。
玄基はそこで意識を飛ばしてしまった。
◆
お前の名前は〝玄基〟お稲荷様が付けてくださったありがたい名前だぞ!
そう、祖父が言った記憶でハッと目を覚ませば、何事もなく、ソファーの上で寝ていた。
慌てて身体を起こして自分の手や足などを何故か確認すると周りを見渡した。
置かれていた黒い箱に、一気に血の気が下がる。
あれは、化け物だった...
そう、思うだけで身震いし居間の電気をつけると。
「うわぁ!」
先程は、夕暮れ時で薄暗かったのだが。
今度はしっかりと電気の下...ピクピクと狐耳を動かす男性が、向かいのソファーに座っていた。
「お稲荷様...?」
驚いたものの、名を聞かねばとでも思ったのか玄基が尋ねれば、ソファーの上で正座をする男が首を上下させた。
「じいちゃんの...言ってたお稲荷様って、アンタなの??」
祖父関連となると少しは気持ちが落ち着いたのか、玄基が聞けば、やはり耳をピクピクさせながらも頷く。
「私は玄基の守り神」
心地よく胸に響くような声に玄基は、驚いてソファーの上に体育座りをする。
向かいの狐は平安時代のような服装に、正座。
何ともおかしな2人を諌めるものは誰もいない。
沈黙のあと、玄基がいきなり笑い出して正座の男を見た。
「守り神ってことは、俺に取り憑くの?」
「ん?いや、取り憑くではないな」
そう伝えると、ふわりと身体を浮かせあっという間に玄基の前に立った。
その早業に目をぱちくりとさせていると薄く笑い、玄基の顎をすくい上げた。
「1日に1度、玄基の体液を貰い受ける」
「はっ?えっ?んっ!んんんっ!?」
驚きの声は、重ねられた唇の中へと吸い込まれ代わりに伸びてきた舌に、玄基の舌が絡め取られる。
ちゅぷちゅぷと、音を鳴らして舌を擦られ玄基の呼吸がままならなくなる。
「んーっ!!んん!」
ドンドンと、胸板を叩くが引っ張り出された舌を吸われ、抱きつくように絡み付いた腕の中でもがいた。
そして、離れる頃には玄基ははぁはぁと呼吸を荒らげ、稲荷は妖艶に笑った。
「これからは頼むぞ?」
「なっ!?」
今起きた事でさえ、理解し難いと思っていたのだろう。さらに追い打ちをかけられた玄基がわなわなと震えた。
「なんだよ!それ!」
「頼むな?」
「いや、頼むなじゃないし!」
まるで子供がじゃれてるかのようにあしらわれ、玄基が怒って見せても、稲荷は何も無かったかのように、玄基の横に正座するだけだった。
「なんなんだよ、巻物に戻らないの?」
「戻れん」
転がった巻物を片付けようと手に取った時にその言葉が聞こえ、ロボットの様にギギギと稲荷に顔を向けた。
「え?」
「何度も言わすな、戻れん!」
その言葉にポカーンと稲荷を見て、慌てて頭を振った。
「ええっ!?なんで?出て来たのに戻れないの?じゃぁなんで、入ってたの?悪いやつなの?」
捲し立てて聞いてくる玄基の頭を、稲荷がふわりと撫でた。
「落ち着け、繁殖時期なんだよ...だから、戻れんのだ」
繁殖...たしかに春だなとでも思ったのか、すんなりと受け入れた玄基が稲荷に聞く。
「お、お嫁さん連れてくの?」
「あぁ、そうだ」
それは人か、それとも...妖か。
姿からはっきりと分別することは困難で、人の場合は確実に女性とは、縁遠い自分が選ぶのかと気になり声にする。
「え、俺が探すの?」
「いや、それは私が決める」
あからさまにその言葉にホッとしてから、彼の姿形を見て頭を抱えた。
「あぁ、ケモ耳ケモケモがっ、外歩いたら見世物じゃん!!!!」
「なんだ、その、ケモ耳?ケモ?けも?とは」
「まず俺と違う場所!隠せるのそれ?隠せるよね?隠せないと外出せないよ!」
ビシッと指を向けて伝えると、稲荷は首を傾げる。
わかってなさそうな様子に玄基が両手で耳を頭の上に作り、尻を見せて手で尾の真似をする。
「...隠してなんになる」
「違う!隠さないとダメなの!」
そしてしばらくは、隠す隠さないの論争が巻き起こったが、結局隠せないと言う回答になり、玄基は大いに肩を落とした。
とりあえず戻る場所がないのだと言うのは玄基も理解し部屋にいるようにと、家の中を案内する。
「お前は、受け入れるのが早いな」
階段を登り2階の玄基の部屋に案内している最中に聞かれなんとも言えない顔を向けた。
「自分の名付け親だし、じいちゃん知ってるし!自称神様だけど蔑ろに出来ないだろ!」
確かにそうだと、稲荷も頷く。
開かれた部屋は、6畳の部屋でベットと机と本棚が置かれている普通の室内。
ベットの上に乗るとまたもや正座をするから、机の椅子を取り出して、玄基が座ってみせる。
「こうやって座るんだよ」
足をばたつかせると、ベットの上をのそりと移動し、足を投げ出した。
「ほぅ、これは楽だな」
両足はベッタリと床に付けてベットの布団をぽふぽふと叩く。
その仕草がまた、妙に愛らしかったのかふふっと玄基が笑った。
「玄基は、可愛い顔を持っているな」
「は?何言ってんだ?」
そう言いながら慌てて顔を隠すと、その両手が握り開かれる。
「ばっ、み、見るなよ」
「玄基が嫁に来たら良い」
「は?」
とんでもない言葉に、玄基は驚いて稲荷を見れば、そのまま唇を重ねられる。
「んんっ!っー!」
またもや、舌を翻弄されて椅子から身体が落ちそうになったのを、稲荷が抱き留めベットへと押し倒した。
「ちょ、俺が嫁ってなに!?そしてキスすんなバカ!」
「体液の交換が、私には必要なんでな」
そう言ってまた口付けを深くして行く。
淫靡な音が響き、はっ、んっ、と甘い声が漏れでる頃やっと離れた唇は赤く艶やかになっていた。
「よく熟れた果実の如く甘い」
そう言いながら、玄基の唇を拭う稲荷の仕草が嫌に色っぽさを出していて、それに魅了されたかの様に魅入っていた目を逸らした。
「玄基、私の嫁は不服か?」
ベットを軋ませて、横に寝転ぶ稲荷が玄基の頬を撫で、唇に指を乗せられると嫌でも意識してしまう。
「不服では...てか、俺は男だから!うん、そもそもに男!稲荷と同じ性別なんだ!」
「関係ない」
「は!?いやいや、あるだろ!繁殖なら子が生まれないと!俺にはそんな機能ついてません!」
くくくと、稲荷が笑い玄基の額にキスを落とす。
「我が愛す者に祝福を」
左の頬にキスを。
「運命の子への忠誠を」
右の頬へ同じ様に唇を落とす。
「我の妻となりし玄基へ幸多きことを願う」
何をしているのだと、玄基は呆然と見ていたが急に身体が熱を持ってしまったようで身体を捻りながら稲荷の側を離れようともがいた。
「逃がさぬよ...もう、玄基は逃げれん」
「あっ!」
手が、膨れ上がった欲望に添えられて身体を震わせた。
「安心しろ、悪い様にはせぬ」
そう言って、服を脱がされ快楽に溺れ狂う。
稲荷の欲望を受け止める器として、玄基は何度も欲を吐き出しては、さらに深い欲に支配された。
それを繰り返されるうちに、意識が落ちた。
◆
重たい身体、ベタつく肌。
ひどく汗をかいたのは目覚めてすぐに理解した。
めくるめく、あの快楽の渦に呑まれ正常で居られるはずもないとひとつ笑って周りを見渡した。
「あ、あれ?」
自分の家にいたはずが、何故か祖母の家である事実を受け止めきれずに玄基が目を泳がせる。
「起きたかい?」
そう、襖の向こうから聞こえる祖母の声に現状を把握出来ないままに着替えて、食事の並ぶ居間へと入る。
「ばあちゃん...俺」
なんでここにいるのか。
そう、問う前にテレビのニュースがこの場所へ来た翌日の日付けを告げた。
「玄基...狐につままれた顔だね」
と、玄基の顔を見て笑う祖母に、玄基は何も答えを返せずにいた。
そして蔵の掃除もやはりされてはなく、あの場所に異様に存在感を示す箱があった。
ゴクリと喉を鳴らして玄基はその紐を解くが、何も起こらずにあれは、夢だったのかと結論づける。
「またおいでね」
祖母の言葉に頷くと、黒い箱を持って玄基は自宅へと帰っていった。
【〜完〜】
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