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第1―18話
井坂は豪華な社長室の中をキョロキョロと見渡す。
朝比奈がいないことは分かってはいるが、後ろめたい気持ちが警戒心を産む。
朝比奈に言ったら絶対怒られるか呆れられるかするであろう、ちょっとした小遣い稼ぎ。
エメ編と桐嶋と横澤を巻き込んだ超高級ハッテン場のリサーチ。
高野、羽鳥、木佐、桐嶋からもリサーチ結果のメールがきているが、美濃にこっそり高野達の覆面調査を依頼していた内容との落差に眩暈がする。
そう、二日のあの日、美濃は誰に気付かれることも無く、あの大浴場にいたのだ。
高野のメールには超音波風呂と薬湯の良さが簡潔に記されているだけだ。
羽鳥はミストサウナと露天風呂を含む風呂三種類の良さと改善点が、まるで企画書のように理路整然と詳細に記してある。
木佐は露天風呂を含む風呂二種類と打たせ湯の良さが箇条書きにされているだけ。
桐嶋に至っては、風呂の報告は露天風呂だけで、後はなぜかサウナ三種類の良さと改善点が簡潔だが、分かりやすく解説されている。
勿論全員、セックスのセの字も書かれていない。
それに大浴場以外の施設のリサーチがゼロだが、それは高野の身に降り掛かった事を考えれば、仕方無いと納得できる。
だが、井坂はまた深いため息を吐く。
まず高野。
美濃のメールを読んで、井坂は震え上がった。
七光り…あいつの天然の破壊力は恐ろしいなー…。
それに二日の夜、桐嶋からも井坂のプライベート用のスマホにメールがあり、『事情があってハッテン場の大浴場で高野が性器を何度も踏みつけられた。泌尿器科で良い病院があったら紹介してやってくれ』とあった時も、井坂はスマホを落としそうになる程、驚いた。
井坂はその場で井坂家御用達の総合病院の医院長に電話をし、一般外来が始まる4日に泌尿器科の予約を取り付け、高野にメールしてやった。
高野からは『ありがとうございます』と一言だけ返信がきた。
ついさっきも高野から『病院に行ってきました。どこにも異常はありません。この度はお手数をおかけして申し訳ありませんでした。ありがとうございました』とスマホにメールがきて、ホッとしたところだ。
だがこれは重要なリサーチと言える。
イボ付きのゴムを置かすのは止めさせよう。
木佐とブックスまりもの雪名くんは、美濃の報告によると、イボ付きを三種類堪能したらしいが、高野のような悲劇が起らないとは限らない。
まあ木佐と雪名くんはいいか、と井坂は思う。
多分、あのハッテン場に行ったら普通の光景だろう。
しかし…桐嶋は何だってサウナばっかり入ってるんだ!?
あいつがサウナ好きだなんて聞いたことないぞ!?
ミストサウナと普通のサウナに入るのはまだ分かるが、美濃の報告によると一人用のサウナにまで横澤と二人で入っている。
あ、そっか。
井坂は当たり前のことに気付いて苦笑する。
丸川のお母さん、常識人の横澤が、仕事仲間に見られる危険を犯してまで、セックスなんてさせてくれないもんなー。
そりゃあ個室でヤるしかないよなー。
ウンウンとそれぞれの事情に頷く井坂だが、許せない男が一人いる。
それは羽鳥だ。
羽鳥からのメールは素晴らしい出来だ。
ミストサウナや風呂の詳細なども美濃と殆ど同じだ。
即ち、きちんとリサーチしてくれたということだろう。
だが美濃の報告によると、あいつは吉野さんにゴムは着けても、自分は一度もゴムをしていない!!
飲み会で俺が『湯を汚すな』と言ったにも関わらず!!
達した後は湯から出て、放った精液を吉野さんから掻き出していたらしいが、それでは周りの人間に『生でヤりました』と宣言しているのと同じことだ。
今回羽鳥は用心深く立ち回り、他の連中にバレないようにしていたが、美濃にはしっかり目撃されている。
つまり超高級ハッテン場が開業したら、『ゴム必須』とルールを定めても、『あいつ生でやってるじゃ~ん。バレなきゃいいんだ~』的に、羽鳥のようなやつを真似するやつが出て来る可能性は充分ある。
しかも、いくら注意していたとしても、湯に一滴も精液を零さなかったことなど有り得ない。
は~と~り~!!
大前提を無視して好き勝手やってたら、お前のリサーチなんて価値無いんだよ!!
俺の命令を無視したらどうなるか、思い知らせてやる…!!
「それでさ~雪名がお節料理作ってくれてさ~。
それがまた美味いの何の!」
「へえ…。お節をイチから作るなんて凄いな。
俺は洋風にアレンジしたが」
「洋風に!?そんなこと出来んの?
羽鳥、スゲー!
今度メールでいいから雪名に教えてやってよ。
それで三日の日はさあ」
夕方、木佐と羽鳥は休憩室でコーヒーを飲みながら、正月に過ごしたことを楽しく惚気あっていた。
そこに複雑な表情をした高野がやって来た。
「羽鳥、井坂さんから直々に、お前の今月中の勤務体系の命令が下った。
今、俺にメールがあって電話もきた」
「はい」
羽鳥が笑いを収め、生真面目な顔で立ち上がる。
「まず、美濃の担当のドラマ化と木佐の担当のアニメ化の雑務一切を引き受けること。
それから一之瀬絵梨佳の打ち合わせには、差し入れだけなどのどんな小さなことにも、俺と一緒に行動すること。
または俺の代理を務めること。
以上だ」
「……あの…」
ポカンとしている羽鳥に、高野が自分の頭をガリガリと掻きながら言う。
「お前、井坂さんを怒らせることでもしたのかよ?
ドラマ化とアニメ化の雑務一切をやって、絵梨佳さままで担当して…。
自分の担当作家もいるんだし、今月寝る暇もねーぞ?」
「……」
羽鳥が真っ青な顔で高野の顔を凝視し、絞り出すように
「…心当たりがありません」
とだけ答える。
すると木佐がニカッと笑って立ち上がると、羽鳥の肩をポンと叩いた。
「これからよろしくな!
アシスタント羽鳥くん!
じゃあ編集部に戻ろうか~。
やってもらうこと、山ほどあるから!」
木佐はコーヒーを飲み干すと、楽しげに歩き出す。
羽鳥も残ったコーヒーを一気に飲み、眉間に深い皺を寄せて木佐の後に続く。
たぶん今月は吉野に会うことは出来ないだろう。
打ち合わせもメールとFAXを駆使するしかない…。
楽しかった吉野との正月の思い出が、羽鳥の胸を突き刺す。
高野も羽鳥の横を歩きながら、羽鳥が井坂に対してどんなミスをしたのかと考える。
だが、いくら考えても思い当たることが無い。
理由が分からなければ、羽鳥を庇ってやりたくても無理だ…。
浮かれて歩く木佐と、足取りの重い羽鳥と高野を、物陰から美濃が微笑みを浮かべて見守っていることなど誰も気付かない。
~fin~
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