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第8話

(結構な男前じゃな)  航平が立ち上がって笹木の横顔を眺めた。やがて彼は瞼を開くと御影石を慈しむようにゆっくりと見上げた。 「兄ちゃん、ここにおるんじゃろ? 出てきて笹木さんに、いらっしゃい、くらい言えよ。いつも俺には挨拶はちゃんとしろってうるかったくせに」  墓石に苦言を言ってもどうしようも無いことは分かっている。だけど、航平はなぜか兄に向かって文句を言いたくなった。 「地獄の釜のふたが開いとるうちはここに帰って来とるんよな? もしかして俺が昔みたいに大声で、おかえりって言うたら出てくるんか?」 「――っ、航平くんっ、それって」  驚いたような声をあげた笹木を見おろすと、彼は大きく眼を見開いて航平を見ていた。 「それはいったい……」 「地獄の釜のふた?」 「違うよ、おかえりって……」  ああ、と航平は汗で湿った頭を掻きながら、 「小さい頃の兄ちゃんは親がふたりとも仕事でおらんけえ、いつもひとりぼっちで留守番しよったんと。それが俺が産まれて、学校から帰ると俺に、おかえりって出迎えてもらえるんがうれしかったって」  幼い頃、両親に怒られて小さな家出をした自分を捜してくれた兄に言われた言葉だ。 「挨拶はいつも大きくハキハキとしろって、自分はナヨっとしとったくせに、兄ちゃんは俺によう言いよった」  照れ隠しに頭を掻く航平を見ながらも、笹木の視線は掴みどころなく宙を游いでいた。そして、がくんとその場に跪くと、そうか、と呟いた。 「……そうだったのか。あのときの言葉は、『おかえり』だったんだ……」  黒いズボンの膝が汚れるのも構わずに座り込む笹木に航平は、 「それって兄ちゃんの最期の?」 「ああ。僕はずっと気になっていたんだ。彼が最期に何を伝えたかったのかって。確かにあのとき、僕は外出から帰って来た。でもそのとき、純也は意識が無かったんだ。なのに……」  笹木の目が赤く潤んでいく。泣きそうな顔の笹木に航平はどうしていいのか分からない。 「純也はね、僕に不思議な約束をさせた。僕が彼を指名して彼がホテルに来たときに、ドアを開けたら必ず――」  笹木は一瞬、息を詰まらせて涙が溢れそうな瞳を航平にしっかりと向けると、 「――おかえり、って自分を迎えて抱きしめて欲しいって」  苦しそうに歪んだ顔を笹木が大きな手で覆った。その指の隙間から震える言葉が溢れ出す。

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