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Ⅵ【ファウスト】第41話

なぜ? 残酷な言葉を紡ぐ唇は、どうしてそんなに穏やかなんだ。 あなたの瞳は…… 凪ぎの海の色をしている。 「ナツキ、下がってくれるか」 髪を梳いた手が、肩をポンっと押した。 「妻を盾にする男にはなりたくないのでね」 ハルオミさんとの距離が離れる。 「いま私を撃たなければ《トリスタン》を阻止する機会を、永遠に失う事になるよ」 手の中にある鍵型のボタンをかざした。 サファイアの双眼が正面を見据える。 「男として、日本の未来を滅ぼす引き金を引く決意があるか?」 声は背後を顧みる。 「軍人として、守るべき国を捨てて誇りを優先するか?」 選びたまえ! 「君達の選択に、日本の命運がかかっている」 この男は、日本国 内閣副総理 シキ ハルオミじゃない。 黒の支配者(シュヴァルツ カイザー)だ。 「俺はッ」 銃口が男を捕らえた。 「こんな国よりも、ナツキさんが大事だ!」 引き金を引く…… 「君は若い」 口許 彼が微笑んだ気がした…… ハルオミさんが動かない。 どうしてッ 動いてくれ、ハルオミさん! 銃弾は、あなたの心臓を貫く。 あなたが死ぬッ 「撃つな!アキヒト!」 グァキゥンッ 銃声が、叫びを掻き消した。 ぽたり…… 鮮血が波紋を描く。 「どうしてですかッ」 アキヒトの腕を握って押さえた銃弾が、俺の肩を掠めた。 押さえた左の手が、ベトリと赤く染まった。 「……ごめんなさい。けれどッ」 右肩から湧き出した赤い筋が腕を伝う。 痛い。 でも、こんなの痛みじゃない。 痛みじゃ、ないんだ…… 俺達Ωと、 αの歪んだ支配によって、Ω型βにされたアキヒトの痛みを思ったら。 αを討つ機会を、 目の前の事実上α政府の頂きに君臨する男を討ち、この歪んだ支配体制を覆す機会をお前から奪った俺は、この傷を痛いと感じてはいけない。 奪ってでも、止めたかったんだ…… 「『無抵抗な人間を撃つな』。あなたはまた、そう言うんですかッ!」 「違う!」 ………そうじゃないんだ。 「……お前は、俺の剣だ」 アキヒト 「お前は『剣』という名の家族なんだ……」 俺を婚約者だと言ってくれたろ。 それはつまり将来、家族になるんだよな。 ……ちがうよ。 将来じゃない。 俺達はもう、家族になっている。 「家族に人殺しをさせたくない」 撫でた頬、温かい。 俺の血が付いて赤く染まった頬を、もう一度、左の掌で撫でた。 「我が騎士 アキヒト。我は汝が主君である。汝が主君にして、汝の家族である。 我らの絆は切れぬ。 この世界が滅びるまで、決してほどける事のない誠の絆だ」 なぁ、そうだろ? 家族って 「偽りなき心で誓う。……お前は俺の家族だ。 お前も俺に誓えよ。家族だって」 「Yes(イエス), your(ユア) Majesty(マジェスティ).」 跪いたアキヒトが、血の伝う右手の甲に唇を落とした。 「お前は生真面目だな」 家族は主従じゃないんだ。 頷けばいいんだよ。 「俺は………手に入れてもいいんですか」 キスした俺の手を、アキヒトが握った。 「一番欲しかったものを、俺は手に入れてもいいんですか」 俺は………… 「父に捨てられたから………」 αの家格を存続させるため、βの俺はΩ性転換の実験体にさせられた。 実の父に捨てられたんだ。 「俺は、家族がほしかった……」 「泣くなよ」 震える手を握り返した。 栗色の髪をそっと撫でる。 何度も、何度も…… 「俺は、笑っているお前の顔が好きなんだ」

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