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Ⅵ【ファウスト】第43話
手を伸ばす。
伸ばさなければ掴めない。
失うのは嫌だ。
もう俺は失わない。だから、この手を伸ばすんだ。
俺はΩだ。
家畜じゃない。
Ωは家畜じゃない。
俺は…………
俺の意志で失わない道を選ぶ。
「ハルオミさん!」
その手を掴んだ。
「どうして俺の手を離した?」
ハッとして、サファイアの双玉が見開かれた。
「大事なものは手離しちゃいけないんだ!」
「ナツキ……」
「俺が大事じゃないのか。あなたにはどうでもいいものなのか」
「なにを言っているっ。君が大切だ。大切に思うからこそ」
「だったら離すな!」
血の染みついた赤い手で、手を握った。
「あなたの手を離さない」
握りしめた。
「あなたは国家じゃない!」
あなたは………
「俺の夫なんだよ」
大切なものは離さない。
「あなたは人だ。俺の夫で、俺の大切な家族だから……この手を離さない!」
「……君はなにを」
蒼い眼差しが彼岸花を映した。
真っ赤に燃える、俺の右目を……
「あなたを国家にしない。この国は腐っている。取り込まれれば骨まで腐る」
俺は、この国を滅ぼすよ
「日本を変えるなら、中に入るな!外から変えろ!」
「本気か」
「あなたが大事な家族だから」
国を無くす
俺は、歪んだこの国に縛られている。
あなたもまた、この国のいびつな構造に縛られている。
歪みの中に、俺達は囚われている。
「俺達を縛る国は要らない。だが列強の植民地にもさせない。
《トリスタン》を撃てば、列強に介入させる口実をつくる」
「私は政治家だ。介入の余地は与えない」
「あなたが国家となれば可能だろう」
「ならば!」
温かな手が頬を包んだ。
「撃たせてはくれないか?私を信じろ」
「撃てばッ……」
手の中の起爆スイッチを押せば……
「ハルオミさん……
あなたは苦しい時に、苦しいと言えなくなってしまう。国家となったあなたは、誰にも弱音を吐けない。それが国というものだ。
こんな国に取り込まれるな!」
頬の手が瞼に落ちた。
「………………代わりに君が泣いてくれればいい」
あたたかな手が頬に降りた。
「こうやって、私のために君が泣いてくれ」
涙の軌跡を指が辿る。
そんなのっ
そんなの嫌だ!
あなたの手は、こんなにもあたたかいのに。
どうして、この手を握っても……
あなたの心は掴めないんだ……
「私は妻の尻に敷かれているね」
「ハルオミさん?……」
「君が怖いよ」
だんだんと冷えていく指が涙を拭う。
「君は私を脅 かす存在だ。私の根幹を揺るがす。君は、この国よりも私が大事なのかい?」
「当たり前だ」
「私のためなら、この国を滅ぼすのかい?」
「今の日本に価値はない。新しい価値は、新しい日本国でつくればいい。
こんな国は要らない」
「君は、この国が嫌いかい?」
「嫌いだ」
「すまない。当然だね、君はΩなのだから」
では………
「私が国家となったならば、十年後のこの国を、少しは愛してくれるだろうか」
あなたは、どうしても………
「私が日本を掌握する。
君は、日本国の夫となるのだよ」
撃つのか
《トリスタン》を
「『大事なものは手離すな』。君の言葉は真理だ。私は君を手離さない。
君は、日本を手中に収める私の手を離すな」
不意に後頭部を抱え込まれた。
「………日本を売る」
戦慄が走った。
あなたは、なにをッ
見上げようとした視線は、屈強な腕で囚われて、胸にうずくまる事を余儀なくされる。
「言っただろう。盤上の駒はそろった、と……」
動けない。
あなたは今、どんな顔で語ってるんだ。
「Ω解放軍を瓦解させると同時に、プロイセンから多額の賠償金を取る。そのための《トリスタン》だ」
テロを裏で糸引くのは、神聖プロイセン帝国だ。
「この国を売ろうじゃないか」
低くささめく吐息が、ゾクリと鼓動を震わせた。
「私は売国の副総理だ」
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