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第9話

「うん、じゃあ月曜日に」 夜9時。 慎吾との電話を切ってすぐに「ふぅ…」と吐息を零す。 来週の月曜日に、慎吾を自宅へ呼んだ。 恋人として会うのは初めてで、外へデートへ出かけよう、と誘われたのだが断った。 外で仕事関係の知り合いに会ったときの上手い言い訳が見当たらなかったからだ。 慎吾もレッスン生とは言えGimmick Starのタレントなのだから、「うちの新人です」と紹介することもできるだろう。 しかし、自分は仲野悠弥に付きっきりな仕事状況だ。 正直な話、悠弥以外のタレントに関しては専門外である。 悠弥は業界でも目立つため、それを把握している関係者が多い。 つまり、不審がられる。 もしくは、悠弥の担当が変わると勘違いをされる可能性もある。 それを避けるため、自宅で会うことを提案したのだ。 慎吾は明るくよく喋る。 俺はそれを聞いていて楽しい。 ならば問題はないはずだが、いささか自信がない。 慎吾の好きなことや苦手なこと、興味のあることなど、俺は何も知らない。 俺だけが楽しくてもだめなのだ。 ヒントはないだろうかと、自社のホームページのタレントプロフィール欄を確認する。 趣味…ゲーセン通い。 特技…友達を作ること。 無意識に綻ぶ頬の筋肉は緩く、引き締めようと努力するも慎吾の顔が頭を過ぎるために上手くいかない。 慎吾らしいな、と思ってしまったと同時に、ゲームが好きなのか、と、慎吾のパーソナルな部分を間接的にだが知ることができて嬉しく思った。 好きな食べ物…グラタン。 ……グラタンか…。 もう何年も食べていない気がする。 外食でも選んだ記憶がなく、少し懐かしく思えてくる。 ゲームが好きならば、悠弥の出演作で自宅に持ち帰った作品を慎吾がプレイしている姿を眺めていようかとも思ったが、これはグラタンを作るという手もあるのではないだろうか。 慎吾の好物で自分も食べたいものなのであれば、作ってみてもいいかもしれない。 だが問題は、俺が日頃から料理をするわけではないというところにある。 料理が苦手というわけではない。 簡単なものであればそれなりに作れる。 最近で言えば、夏川とのことで悠弥が相談に訪れたときにチャーハンを作った。 そういった出来合いの食材で簡単に作れるものであれば、できなくもない。 しかし、グラタンは「難しそう」といった抽象的な印象しかなく、レシピを調べるところから始まる。 それでも、もし。 もしも、俺ががんばって作ったものを食べた慎吾が笑ってくれたとしたら。 そこまで考えて、すぐにホームページを閉じて検索画面に戻り、「グラタン レシピ」と検索し直す。 その翌日から、グラタンの練習を始めた。 当日に初めて作って失敗したくない。 慎吾の前では常に、余裕のある大人のように振る舞いたい。 慎吾には自分がどう映っているのかは知らないが、失望されたくない。 月曜がくるのが楽しみだが不安で、眠れない日々を過ごした。 すぐにやってきた月曜日は、悠弥に心配される程度には緊張しながら仕事をこなした。 「河西さん、お疲れさまです!」 「お疲れさま、どうぞ入って」 笑顔で慎吾を自宅へ招き入れ、「座ってて」と言えば、慎吾は遠慮がちにソファに腰を下ろす。 それを確認してからキッチンへ向かう。 慎吾が訪ねてくる時間帯を見計らって作っていたグラタンは、もう少しで完成するところだ。 「慎吾、猫舌だったりしない?」 「え、いえ、猫舌ではないです」 その返事を聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。 熱い食べ物を好物に挙げているからといって、猫舌ではないとは言いきれない。 ちらりと慎吾を盗み見れば、キョロキョロと部屋を見回していて、自然と笑みが生まれた。 すぐにオーブンが仕事を終え、グラタンが完成する。 グラタンの練習を始めてから購入したミトンを使ってリビングまで運び、コトリ、と慎吾の前に置く。 「グラタンだぁ!え、河西さんが作ったんですか!?」 驚いた、といった表情でこちらを見てくる慎吾に、「うん、グラタン苦手だったかな?」となんでもない風を装って聞く。 「そんなことないです!俺、好きな食べ物はグラタンってプロフィールにも書いてもらってますし!」 「そうなんだ?よかった」 言って微笑めば、にっこり、という言葉が似合いそうな笑顔が返ってきたために心臓が跳ね上がる。 太陽のような子だ、と思った。 「食べてもいいんですか!?」 「そのために作ったんだから、遠慮しないで食べてよ」 「ありがとうございます!いただきます!」 一口食べた後、嬉しそうに「美味しいです」と綻ばせた頬を、俺はきっと一生忘れないだろう。 この先、慎吾以外の誰かを愛することはないだろう、と。 そう思わせてくれるほどの笑顔だった。 全ての失敗が報われた。 そんな気がした。 慎吾は食べ終わるまで、終始「美味しい」と言い続けてくれた。 自分でも成功作だと思う。 完食後、皿洗いを手伝うと言ってくれた慎吾に感謝しつつ、一緒に後片付けができる喜びに浸る。 洗った皿を慎吾に渡し、慎吾が濡れた皿を拭く。 「河西さん、料理上手いんですね」 「え?そんなことはないけど、口に合ったならよかった」 笑んで言えば、慎吾は嬉しそうに笑う。 「今度、また何か作ってください。俺、河西さんの料理好きです」 「え、あぁ…うん、わかった。なんでもいいの?」 「はい、なんでも!」 思わず了承してしまい、「料理が得意なわけではない」とは言えなかった。 慎吾の前で見栄を張っている以上、更に上塗りをしなければならなくなり、少し辛いが。 慎吾が俺を愛してくれるなら、無理をして俺が壊れても構わない。 そう思っている。 その日はゆっくりと談笑をしてふたりの時間を過ごし、また会おう、と約束をして別れた。 楽しそうな慎吾が見られるなら、そんな慎吾に愛してもらえるなら、俺はいくらでも自分を偽る。 偽った後から努力で本当にすればいい。 嘘から出たまこと。 慎吾からの「好き」がほしい。 限られた時間だけだと思っているからこそ、今だけは願う。 それ相応の努力くらい、いくらでもする。 いつか背を向けて行くだろう慎吾の、明るい笑顔をたくさん見たい。 ただそれだけだ。 その日、慎吾のために料理本を買うことを決めた。

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