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第1話

―2017年3月23日(木曜日)20時 東京都港区 株式会社北松組、サーバルーム。 「……なんとか、ならないのか?」 「なんとか、と言われましても……私たちの技術だともう手一杯です。外部から専門家に来て貰うわけには、」 「だめだ。絶対に外部に漏らすわけには、」 「しかし常務、もうこれは……限界です。とても私たちの手には負えません」 セキュリティ部門の責任者が青白い顔をして、だがきっぱりとそう言った。額を大粒の汗が滴り落ち、目じりに吸い込まれた。周囲の部下たちも疲弊しきっている。 「……どうにも、ならないのか……」 常務の寺島優作が、大きなため息をついて天井を見上げる。半袖では震えるほど空調の効いた室内で、全員がシャツの色が変わるほどに汗をかいていた。ひと呼吸置いてからアイフォンの電源を点ける。 7回目のコール音のあとにメッセージサービスに繋がった。 「寺島です。緊急の用件で、コールバック願います」 PCから流れ続ける大音量のアラーム。 それはこのサーバルームのマシンだけではなく、社内LANで結ばれたすべてのPCがウィルス感染していることを知らしめるものだった。   ―7月25日(火曜日)17時 東京都千代田区 警察庁 「……ということがありまして……」 新沼警視正は黒い革張りのソファに埋もれるように座り、報告をずっと目を瞑ったまま聞いていた。警視正は生活安全部に属する、サイバーセキュリティ部門を束ねる責任者だ。そしてそこは特殊な業務ゆえに常に人材不足に陥り、慢性的に激務となっていた。不規則にシワの入ったシャツは夕べも自宅に帰れなかったことを示しているし、本棚の下扉では真っ青なNANGAのシュラフが広く陣取っていることも知っている。 「……新沼警視正?」 「ああ、大丈夫。ちゃんと聞いているよ。それで? 安藤警部の個人的見解を聞かせてよ」 「え?」 「まだ終わってない案件なのに報告なんて。なーんか、とんでもないことに気付いちゃったから、わざわざここまで話しに来たんでしょ?」 だけど、そんななかでも俺の目論見なんてもちろんすべてお見通しで。 「ハッカーは……『シヴァ』ではないかと思っています」 「ほー? シヴァ、ね。でも、シヴァがターゲットにするのは、主に金融機関じゃなかったっけ」 「そう思っていたんですが、コードを解析していくと、高確率でシヴァの今までの配列と一致します」 「解析はどの程度まで?」 「4割ほど、です」 「うーん、それぐらいじゃあ、まだまだ候補のひとつくらいにしかならないと思うけどね」 「それで……実はここからはカンの部分も多いんですが、」 「?」 「一連の流れが犯人の筋書き通りだったとすれば、北松組の北島社長、というか北島家に対する私怨じゃないかという気がしてきまして、」 「私怨? 北島社長に関しては、少なくともビジネス面では特に悪い評判は聞かないけどな。やり手の二代目社長だとは思うけど」 「だからです」 「ふうん」 包み隠さず話すべきなのは判っている。でもどう説明すればいいのかさえ、よくわからない。 「そういえば、北松組の本社はおまえの出身と同じ神戸か。……なにか、心当たりがあるんだな」 「それが……まだ、胸騒ぎのようなレベルなのですが、」 「うーん、でも結局さ、そういうのが一番大事な気がするんだよな。やれサイバー犯罪だ、さあ電脳警察だ、なんて小難しいこと言ったって我々はロボコップじゃないし、相手もターミネーターじゃなくて、端末の先にはそれを扱うニンゲンが必ずいる」 ずっと考えていた。だけど、答えを出したくないという気持ちもある。 この仕事を選んだ以上、そんなことは許されないと分かっているけれど。 「神戸へ行かせてください」

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