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第2話
―7月25日(火曜日)深夜2時
神戸市・生田東門商店街
「日本鬼子、不要得意忘形」(このガキ、おとなしくしてやりゃ付け上がりやがって)
「是的,在这个意义上」(はいはい、そこまで)
「你是谁、」(なんやおまえ、)
「兄弟 还是初中生 不要说不可能」(兄さん、そのコまだ中学生や。無理言うたらあかん)
「走开」(関係ないやつは引っ込んどけ)
「这不能做、这名警察」(そういうわけにはいかへんな。ケーサツや)
「おいおい、生田のソタイにそんな流暢なチャイ語しゃべれるおまわりなんかおれへんど。このボケ、どこのもんや、ワレ」
「ここにおるて言うとうやろ。生活安全課の如月や、覚えといてや、オニーサン」
JR三ノ宮駅から山手に広がる生田東門商店街、通称・東門街は神戸随一の歓楽街だ。
浜手に南京町というチャイナタウンを抱える神戸には、『華僑』と呼ばれる在日中国人が多く住む。彼らには独特のコミュニティがあり、未だに日本語を話さないような一部の人間もいるにはいるが、二世三世ともなると日本人と同じように学び育つので、他の神戸っ子たちとなにも変わらない。
「おまえ、それで、セイアンて…」
「な、今日は俺の美しいチャイ語に免じて、それぐらいで許したってえや」
スキンヘッドの、見るからに堅気ではない男は一瞬だけぷぷっと噴きだしてから、憮然とした表情に戻る。
「同文出ぇか?」
「おおっと、センパイ?」
「…今日だけやぞ? そこのガキに、ちゃんと躾けしとけや」
「ありがとう。なんか困ったことがあったら、いつでも来てな」
「誰が行くか、ボケェ」
そういう俺も日本人の父親と日中ハーフの母親から生まれ、4分の1は祖母から続く華僑の血が入っている。そして幼稚園から中学校までは華僑系のインターナショナルスクールで教育を受けていたが、ありがたいことに思想的には特になにも感化されず育ち、
「おにいさん、助かったわ。ありがとう。あのハゲ、めっちゃ、しつこかってん」
「おにいさんとちゃう。それに、さっきのヤツも禿げてはない」
公務員になった。胸のポケットから身分証明書を取り出し、目の前にぶら下げる。
「兵庫県警、生田警察署、生活安全課、如月総悟、です」
「なあんや、ほんまにポリなんや」
「なんや、やないよ。キミいくつや? 高校生? 今何時やと思ってんの?」
「いくつ、て」
くす、と笑いながら肩に掛けた小さなバッグから財布を取り出して、運転免許証をこちらに向ける。
「原付の免許か、南原…ナオト? んん? 平成9年8月生まれ?」
「もうすぐ20歳になるねん。残念やけど補導はできへんよ」
「ちゃう、おまえ……」
「なに? お酒も飲んでへんし、クスリは興味ない。ついでに言うと前科もないよ?」
ノバチェックのシャツの袖を捲り、酷いクラッシュのバギーパンツ、ゆるくウエーブのかかった明るい髪、アーモンドアイ、ちらりと覗く鎖骨、華奢な首筋、白い肌。
「おまえ、男やったんか!」
ナオトの第一印象は完全に『女子高生』だった。
「ふーん、ほんまにセイアンなん? ハゲも言うとったけど、ソタイの方が合うてるんとちゃう」
「ほっとけ」
ナオト、のいうソタイとは組織犯罪対策部、主に暴力団対応などを行ういわゆるごりごりのマッチョの集まりだ。
身長187センチ体重90キロで周囲からゴリラとも称される俺の顔と手帳の文字を、しげしげと眺めて悪態をつく。
「で、19歳の南原ナオトくんはいったいナニをやらかしたんや」
「えー」
「えー、やないよ。さっきのチンピラ、なんであんなに怒っとったんや?」
「黙秘しまーす」
「あのなあ」
やり取りを見ていた店主がおつかれさまです、と言って氷水を差し出した。用が済んだらさっさと出て行ってくれよ、という分かりやすいアピール。ナオトは俺が飲もうとしたそれを引ったくり、一気に飲み干す。
「あー、おいし」
薄い唇の端を水滴が落ちていく。袖でぐいっと拭うと、俺の肩に腕をまわして顔を寄せる。
「なー、ソウゴ、自分、めっちゃタイプやわ。今晩泊めてくれへん?」
「あほか。呼び捨てすんな」
「今日な、泊まるトコないねん」
「自分の家に帰ったらええやろ」
「それがなあ、カギ無くしてもうたから、家に入られへんねん。あ、なんなら生田の留置所でもええよ? いっぺん入ってみたかったし」
「あかんに決まっとうやろ」
「もう、冷たいなあ。さっきは助けてくれたやんか?」
「それとこれとは話が別や」
「ふうん。じゃあ、しゃあないな。マスター、お勘定して。他の店で泊めてくれるヤツでも探そう、っと」
「ちょっと待て!」
1万円札を置いて店を出ようとするナオトの腕をつかんだ。細い手首……なんだ、金は持ってるんじゃないか。
すると満面の笑みを浮かべて、振り返る。
「…泊めてくれるん?」
「今日だけやぞ?」
「やった!」
これが俺とナオトとの出会いだった。
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