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第29話
―2020年 11月
東京オリンピックが終わって、一気に街は冬の装いへと向かっていた。
6月から出向していたオリンピックの警備業務から戻った日に、兵庫県警を辞職した。生活安全部のみんな、特に吉岡さんが強く引き留めてくれたので随分迷ったが、これから先の生活を考えるともう続けることはできないと思った。
神戸刑務所の出口には俺の他にも何組かが訪れていた。きりっと和服を着こなした老婆、若い母親とベビーカー、やんちゃそうな若者グループ、黒いワゴン車を用意した、見るからにその筋の3人組もいる。
今日、ナオトは仮出所する。
懲役4年を2年10か月で仮出所できるほどの、模範囚だった。
あの子をお願いします、と言った北島社長の電話越しのその声はとても落ち着いていて、すべてを理解したうえで託してくれているのだと悟った。
「もう、二度と帰ってくるなよ?」
「お世話になりました」
おそらく、ここから出ていく全員が掛けられるであろうその台詞を聞きながら、ナオトは出口でゆっくりと頭を下げた。小さなボストンバッグを抱えると、俺に気づいて駆け出してくる。
「もう来んといて、て言うたのに」
「迎えに来んなとは言うてへんやろ」
「なにその恰好? 警察辞めてしもたん?」
「うん」
「ふうん。でもその制服の方がかっこいいやん。どこの? そっちの方が似合てる」
「今日は、神戸マラソンの警備員や」
「さぼってきたん? アカンやん。おまわりさんに言うで」
23歳になったナオトがそう言ってけらけら笑う。あの頃と変わらない陽気な笑顔があった。
「なあ、覚えとう?」
「んん?」
「おまわりさんの制服着たソウゴに犯されたい、て、言うたやん?」
「うん。覚えとうよ」
「その制服でええから、今日持って帰ってきてな」
「はいはい」
河川敷を歩いていると、季節外れの台風が置いて行った突風が、サイズの合わない帽子を浚う。走り寄って拾い上げたナオトを後ろから抱きしめた。
「好きや、ナオト」
「うん」
「おまえのことが好きや」
「うん」
「おまえとずっと一緒にいたい」
小さく頷くその肩は震えていて、声は微かに上ずっていた。
「ほんまは、もう会われへんのちゃうかなって、思っとった」
「……家に帰ったら、ゴロウも待ってるで」
「ゴロウ? ソウゴが世話してんの? ほんまに? あ、」
引っかかれて、傷だらけになった俺の指をなぞって、
「……ほんまや。めっちゃやられとう。相変わらずヤンチャやなあ」
ぷぷっと噴きだして、それから俺の指をゆっくりと一本ずつ外して、振り返る。
「ただいま……」
「……おかえり」
ナオトが俺を抱きしめて、俺の背中をトントントンと3回叩いた。
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