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第87話 終演(3)
「……ピアノは? ピアノはどうするんだ?」
彼の言葉に思わず動揺してしまう。ついこのあいだまで、世界中を飛び回ってピアノを奏でていたじゃないか。
会えない時間もずっと、リュウを追いかけていた。だから彼がどれだけの人に愛され、必要とされているのかも知っている。
それなのにそれを、やめてしまうつもりなのか。一緒にいたいと思ったのは事実だけれど、彼の可能性を摘み取る真似はしたくない。
「契約満了、事務所は辞めた」
「どうして!」
拾って欲しいと言ったのは、連れ帰って欲しい。そういう意味なのだと思っていた。
まさかすべてを投げ出して、自分のところへ来たい、という意味だとは思いもしない。安易に頷いた自分が馬鹿だった。
「宏武の傍にいたいからだよ。俺はあなたの傍でないと生きている心地がしない」
彼に愛されている。必要とされている。それを思えば喜び勇んで飛びつくくらいでも、いいのかもしれない。
だが気持ちは裏腹に沈んでいくばかりだ。胸が苦しくて切なくて、思わず顔を覆い俯いてしまう。涙がこぼれてきた。
彼から大事なものを、取り上げてしまったのかもしれない。取り返しのつかないことを、してしまったんじゃないだろうか。
彼を待ち望んでいる人は、世界中にたくさんいる。その期待を裏切らせてしまったのか。
「宏武、泣かないで。ピアノはやめない。これからも続けるよ」
「……どういう、ことなんだ」
泣き出した自分を見つめ、リュウは頬を伝う涙を拭うように口づける。その優しい感触に顔を上げたら、彼は困ったような表情を浮かべていた。
さらには言葉を探しているのか時折、小さく唸る。
「んー、えっと、そう、フリーになっただけ。仕事はこれからも続ける。フランツが一緒に来てくれたから、仕事の心配はするなって言ってた。時々は日本を離れるけど、宏武も一緒に行けばずっと一緒でしょ。宏武はパソコンがあればどこでも仕事ができるって、フランツ言ってたよ」
思わぬ答えに、顔を上げたまま呆けたようにリュウの顔を見つめてしまった。
ずっと一緒にいるということは、彼と世界を回って歩くということなのか。あまりにも予想外過ぎて、頭の整理が追いつかない。
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