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第1話
縄張り争いは、日常茶飯事だった。
特にこの一帯は、様々な獣人が行き交っている。
この頃じゃ獣人の数も増えて、狩りもままならない。
良質な狩場は常に取り合いだった。
その中でも水辺というのは、魚も取れるし水鳥も訪れる。当然水も得られる格好の餌場であり、常に激戦であった。
隙あらば、縄張りを分捕りたい。
休憩や見張りに使う小屋の周りで、十名ほどの手下を連れ、首領はチャンスを窺っていた。
上に伸びた耳を聳たせ、長く細い尻尾を揺らしながら、気配を消してじっと待つ。その様子は、さながら獲物を見定める山猫に似ていた。
闇雲に放浪するよりも、真正面から力比べをするよりも、奇襲を仕掛ける事を得意とする一団だ。
あの小屋の中には、気性の荒い、大型の獣人が潜んでいる。
粗野で声が大きくて、自分たちより一回り小さい耳と、ふさふさの尻尾を有している。その姿はまるで番犬だ。
彼らは緻密な作戦を練ると言うよりは、力づくで邪魔者を蹴散らす傾向にある。
だから主力が狩りに出払って、小屋が手薄になった時が好機だ。
いくら獲物を仕留めたところで、キャンプがないのでは長居は出来ない。ここを離れるのは、時間の問題だ。
そして今、見張りはたった1匹。
全員で襲い掛かれば、充分に勝機はあった。
「行くぞ」
手振りで伝え、一斉に飛び込んだ。
下草を蹴る音と同時に、目標へと突撃を仕掛けた。
だが。
「来たな?」
懐に飛び込む直前、そいつは胸元から取り出した何かを、地面に叩きつけた。
反射的にブレーキがかかり、勢いは削がれた。
粉末が舞い、辺りは立ちどころに白煙に包まれた。最初の一撃になる筈だった鋭い爪が、空を切る。
目くらましか、生意気な。
次は仕留めて……――――
「ぁ……れ……」
力が入らない。
立っている事も叶わずに、ばたりと倒れ込んだ。
必死に目玉を動かして後方を見る。 煙幕はすぐに晴れた。シルエットで見えていた仲間の様子も、あっという間に鮮明になる。皆同じように、ぐったりと倒れていた。
未だ力の入りきらない顎を上げ、今頃喉笛を掻き切っている筈だった相手を睨む。
すっかり見通しの良くなった視界の先で、そいつは笑っていた。
耳や指、あるいは首につけた金属の装飾が、やけに禍々しく見えた。
「やっぱり現れやがったな、コソ泥が」
「なにを、このッ……粗忽者、が……ッ」
何かの毒でも撒かれたか。それにしては、この獣人は平然としている。
仲間たちは依然として動けぬようで、苦しそうな呻き声だけが聞こえていた。
唯一2足で立っている大柄な男は、はあ、と侮蔑の溜息を吐く。
「よくもまあそんな事、言えたものだな。手薄な小屋を狙う卑怯者ども。真っ向勝負じゃ敵わないから、コソコソとみすぼらしい真似をするんだろ?」
「煩いッ! 暴れ回るだけの野蛮な獣人めが!」
立ち上がろうと力を込めるものの、自分の体がやけに重く、眩暈がする。
このままでは小屋を制圧するどころか、逃げる事さえままならない。
……これは、まずい事態だ。
「そうかい。じゃあ公平に、同じ数を揃えてやろう。さてお前らは何人だ? ひい、ふう、みい……」
そう言って、悠長に仲間の人数を確認していく。
「8匹」
最後の1匹を数え上げると、男は銀色の笛を鳴らした。
ピィィィィと耳障りな音が周囲を劈いて、緊迫感は一層増す。
こちらは身動きも出来ず、その上仲間まで呼ばれては命に関わる。認めたくはないが、単純な力の差で言えば、相手に分がある。
いよいよ旗色が悪くなってきた。
仲間だけでも生きて返す義務が、首領にはある。
それはどんな種族、どんな形態であっても、群れのリーダーである以上、不変であった。
「俺たちに、何をした……ッ! 毒など、それこそ臆病者の使う手段だろう……!」
とにかくまずは、仲間に手出しをされぬよう、自身に引き付ける。言葉遊びでも構わない。どうにか、反撃の糸口に繋がなくては。
顎を動かす事すら酷く億劫ではあったが、首領は出来る限りの声を張り上げた。
「毒ぅ? 毒なんかじゃねえさ。現に俺はピンピンしてる。毒なんか使って、狩りの獲物までいなくなったら困る事くらい、分からないわけねえだろ?」
「……では、なんだ、これは……ッ」
体が痺れる。
頭が朦朧とする。
尻尾の付け根が、ぞくぞくする。
「お前らを強制的に発情させる薬草よォ。俺たちには無害だがな。強烈だろ?」
「そんなものが、あるわけ……」
「あるんだなあ、それが。まあ、ここらじゃ採れないからな、他人の縄張りを横取りするだけが能のお前たちは知らなかったのかもしれないが。信じられないなら、もう1つくれてやるぞ? ほら」
「ッ!!?? ゲホッ、ゴホッ……ッ!」
今度は粉末の入った袋ごと、顔面に叩きつけられる。
そんな薬草は聞いた事がないし、もし実在するのならば危険物として周知されていない筈がない。
だが現にこうして、自分たちだけに効く何かはある。1種類の薬草だけでなく、何種類かの植物を調合されたものなのかもしれない。
これは、駄目だ……警戒しなくては……
そう思っても時既に遅く、遂には口を閉じる事さえ出来ずに涎が溢れてくる。
駄目、駄目だ。仲間だけは、守らなくては……――――
「わ、悪かった……ここにはもう、手出し、しない……だから、仲間を、助けてくれ」
遂には、率直に許しを請うた。
背後で次々と異論の声が上がる。
情けないだろう、認め難いだろう。
だが命を守る為には、こうするしかない。
もたもたしているうちに粗暴な彼らの仲間がここへ戻ってきたら、交渉の余地なく嬲り者にされてしまう。
こんなものを嗅がされていなくても勝機がないというのに、これでは抵抗すらもままならず、一方的に食い殺される。
だったら今のうちに、被害を最小限に留める。
それが賢いやり方というものだ。
「ふむ。考えてやってもいいが、ただで……とはいかねぇな」
「どう、する……俺を、殺すか……」
「お前だけをか? 皆殺しにするのと、何が違う? 今なら俺だけでも、ゆっくり1匹ずつ、首をへし折って回るのは簡単なのに?」
「クソッ……」
「言葉遣いに気を付けろよ」
「ひぅ……!」
地面すれすれから見上げているせいで、余計に長く見える脚が頭を蹴る。
それでも小石を蹴飛ばす程度の、ごく軽い衝撃だった。
そのわりには、妙に上擦った声が漏れた。
大柄な獣人も気付いたようで、再び足が持ち上がる。
その動作が見えたところで受け身も取れず耳を伏せていると、今度は脇腹を足蹴にし、ごろりと仰向けに返された。
身軽な筈の体が、重い。
泥の中にでもいる気分だ。
自分の体が自分のものでないような気分でいると、投げかけられたのは、屈辱的な言葉だった。
「おいおい、蹴られてもおっ勃ててんのか? 相当だな」
眉を顰めて、下肢を見やる。
強過ぎる薬のせいで、感覚は鈍かった。
動きやすいようタイトな下衣が不自然に盛り上がっている様を、冗談じゃないと憤慨する気持ちと、ああ本当にという絶望的な気持ちで、眺めた。
一族で最も身体能力に優れていた筈の体が、悔しいほどに動かない。
指先ひとつ持ち上がらず、それなのにそよ風に揺れる雑草が肌を擽るだけで、ペニスが悦んでいるのが分かった。
発情を催すだけでなく、催淫効果でも含まれていなければ説明のつかない事態だ。
2発目を食らったのは自分だけだとしても、他の仲間たちも似たような状態ならば、動くに動けないだろう。
肉体的にも、精神的にも。
「うーん……それじゃあお前、俺たちの雌になれよ。狩場にいるのは雄だけだからな。……分かるよな?」
最早その言葉に、首領を打ちのめすだけの効果はなかった。
自分の体の異変から、容易に連想される事だった。軽口を叩く余裕があれば、だろうな、という自嘲が漏れていたに違いない。
狩りの時、或いは奇襲をかける時。自分たちの群れでも、そういう行為はあり得た。
ただ大抵は、雄ばかりで長期間の集団行動を取る場合に、仕方なく仲間内で慰め合うような、一種の慰撫だ。
たとえ行う内容が似通っていても、心理的には全く違う。
これは他種族による、蹂躙である。
「…………俺が雌になれば、仲間は、助けるか?」
そして選択の余地がない事も、今や受け入れるべき段階にあった。
伊達に首領の座についているわけではない。決断すべき事には、腹を括る。
それがどんなに、不名誉な決意だとしても。
「お前の頑張り次第だなァ」
しゃがみ込んでも尚、高い位置から、そいつはにやにやと下卑た笑みを浮かべていた。
この獣人たちの交尾がどんなものにせよ、いつかは発散し尽くすだろう。それも子を成すわけでもない、縄張りに踏み込んだ他種族への制裁ならば、無駄打ちにも限度がある。
じっと耐えていれば、いつかは解放される。
もしも解放されず殺されても、仲間たちが無傷で帰れるならば上々だ。
動けぬ仲間たちが、己の代わりに怒り、ふざけるな、殺すぞ、と声を上げている。
それだけで充分だ。
あとは俺が、と、後方を見やる。
「……お前たちは気にするな。失態のツケは俺がなんとかす」
「おっと、首領置いて逃げようなんて薄情な真似すんなよ?」
先に手下たちを逃がそうと口を開くと、すかさず制される。
さすがに、そうやすやすと逃がしてはくれないか。いずれにしろ、まだまともに動けもしない。
仲間がここに留まる。それが意味するところ。
「お前らも見届けていけよ。負けるってのは、どういう事かをよ」
出来ればこれから起きる惨めな行為を見られたくはなかったが、屈辱を与える為、仲間を怯えさせ、そして人質にし、ボスを従わせる為には、妥当な判断と言えた。自分が逆の立場でもそうしただろう。下手に自由を与えて、増援でも呼ばれては厄介だ。
尤も、拷問にでもかけるのならまだともかく、雌にしようだなどとは、馬鹿馬鹿し過ぎて考えた事もなかったが。
だがこの場にいる者の命運を一手に握るこの男は、本気なのだろう。
仲間たちは口々に罵声を浴びせるが、大型の獣人は聞く耳を持たない。黒くふさふさとした尻尾が、上機嫌に揺れている。
「いい、から……お前たち、静かに……」
自身も、振り絞るような声で、仲間たちを制止するのがやっとだ。
背後から顎を捕らえられ、上半身を抱き起される。相変わらず体は重く、自分たちとは異なる匂いの不快さを払い除ける事も出来ない。
余所者の匂いが、容赦なく擦りつけられていく。
「さて……まずは窮屈そうなこいつを、楽にしてやろうな」
獣人の手が、真っ先に股間に伸びる。
殆ど破るように強引に、下半身を剥き出しにされた。
「ァ、アア、アッ……」
それだけだ。
たったそれだけの事だった。
「ハハッ! 脱いだだけでイッたのかよ」
そんな衣擦れの些細な刺激で、がちがちに硬くなっていた性器は果てた。
しかしまだ到底足りないというように、萎える事もなく卑猥にてらてらと光っている。頭は一瞬で混乱した。
「……にしても、他所の種族の精液ってのは、臭ェなァ。チンポも真っ赤で気持ち悪ィし。なあ?」
息も整わぬうちに、次々と揶揄の言葉が浴びせられる。
だが情けなさや憤りを覚えるより先に、己を捕らえる男の発言の、その最後に語尾を上げた事が気になった。
最初は、仲間たちに、己らのボスはこれほど無様なんだぞと見せつけているのだと思った。
しかし、そうではなかった。
未だに思考を乱す粉末の影響と、自身の濃い精液のせいで鼻が鈍くなっていたらしい。大きな耳だけが、幾人もの草を踏む音に気付いた。
笛の音に呼ばれて集まった、この男の仲間たちだ。
何が同じ人数だ。
ざっと見ただけでも、10人は超えている。
「うわマジだ。結構グロいな」
「そのわりに貧相だけどな。勃起してそれかよ」
「なぁ、ボスってのは優秀な肉体を持ったヤツがなるんだろ? お前らは違うのか?」
「違うのかもしれねえぞ? 何せこんなに、どこもかしこも細っこくて小さいんだからな」
「そうか? タマだけはそれなりってところに見えるが」
「金玉ばっかりデカくても、チンポがそれじゃあなあ。可哀想だよな、お前らのところの雌は」
取り囲まれ、四方八方から聞くに堪えない台詞が続く。
こんなものは単純な種族の違い、進化の違いだ。大柄で筋肉質で力に秀でた血と、小柄で細身で俊敏さに優れた血の違い。
その一方が敗者たる今、それらの差は全て侮蔑の対象と化す。
性器も例に漏れず――己を取り囲んでいる種のペニスなど拝んだ事はないが、異なる形状をしているのだろう。差異があればなんだって嘲笑の的だ。
首領の体が劣っているわけではない。それでも異形の舌のように赤く、先端に向かうにつれて細い性器は彼らにとっては矮小で卑下すべきものらしかった。
加えてもう1点、違いに気付いたらしい。
「うっわ、何これ、返し? 小さいくせに随分と攻撃的なのなあ」
「ひ、ぅ、ア、さわっ……」
「おっと。臭ェからあんまり出すなよ」
汚いものにでも触れるように、ちょんちょんと根元を指先で突かれる。
その刺激にも、大袈裟に喘いだ。
指先が指摘した部分には、硬く短い毛があった。透明に近いそれは陰毛に紛れ目立ちこそしないが、撫でればざらざらと痛みを伴い、腹に向かって生えているせいで、交尾を終え引き抜く時には一層相手を傷付ける代物だ。
「へーえ? お前ら変わったモンぶら下げてんのなあ」
げらげらと、明らかに蔑みの混じる笑い声が響く。
「あーまあでも、こっちは俺らとそう変わらないか?」
「ィギッ……!」
「だから臭ェって。んー……やっぱり違うのか? 急所だったら、こんなに強く握られて射精なんてしないよなあ?」
言いたい放題浴びせては、力任せに睾丸を握られた。本来ならば当然、強烈な苦痛を齎すその行為が、吸い過ぎた薬品のせいで吐精という結果を招いた。
「さて……他もどれだけ違うか確認してみようか」
手に付着した精液を首領の頬に擦りつけながら言うと、誰の同意もまたずに残りの衣服を剥ぎ取られていく。
滲んだ視界の先で、倒れた同胞たちがどんな目で自分を見ていたのか、分かりたいとは思わなかった。
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