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第79話

* まどろみの中で、暖かい何かに包まれている。 (先生……?) そう思ったけど、すぐに温度と香りが違うことに気づく。先生は俺よりも体温が低くて、爽やかな石けんの香りをまとってる。 だけど、この匂いは── 「……っ」 目を覚ますと、すぐ近くに綺麗な顔があった。長いまつげと赤い髪の毛。鼻腔をくすぐるのは、花の香り。 (戸塚君だ……) どうして一瞬でも先生だと思ったのだろう。先生とはちゃんとさよならしたのに、未練がましい自分が嫌になる。 目を伏せて唇をきゅっと噤むと、責めるような声が耳元で響いた。 「おい、あからさまに残念な顔してんじゃねえよ」 「へっ!?」 いつの間にか起きたらしい戸塚君が、ジトッとこっちを見ている。 「ご、ごめっ……」 びっくりして思わず飛び起きて後ずさってしまったが、ここはベッドの上。すぐにまずいと思い、目をつぶって衝撃に備えたけど、いつまで経っても痛みが襲ってくることはなかった。 「あ、れ……?」 (なんで落ちないんだろう……) シングルベットでこれだけ後ずされば落ちると思ったけど、変わらず身体はベッドの上にある。 恐る恐る顔を上げると、戸塚君は呆れたようにため息をつきながら身体を起こした。 「お前、マジ暑苦しい」 「え……」 見れば、戸塚君が寝ていたスペースはそのまま戸塚君の身体の大きさくらいしかなくて、俺が大部分を占領していたのが分かる。 (占領っていうより……) 「寄ってきすぎ。どんだけ人肌恋しいんだよ」 「ご、ごめんなさい……!」 俺はどうやら、一晩中戸塚君に抱きついて寝ていたらしい。 (いくら寂しいからって……) 恥ずかしいやら申し訳ないやら、土下座する勢いで謝る俺に、戸塚君はため息をひとつ。 「つーか、早く準備した方が良いんじゃない?お前の学校、ここから遠いだろ」 「あ……うん」 戸塚君は「顔洗ってこいよ」って言いながら、服を着替え始めた。洗面所を先に譲ってくれる優しさを感じながら、なるべく急いで顔を洗って部屋に戻ると、ふと疑問が浮かぶ。 「戸塚君、私服?」 戸塚君は俺と同じ高校一年生のはずなのに、戸塚君が来ているのはパーカーだった。そういえば、バイト先でも戸塚君の制服姿を見たことがない。 「私服登校なんだよ、ウチの学校」 「え……それって……」 「南高」 「えっ」 南高校と言えば、ここら辺では珍しく私服登校ができる学校で、難関国公立大学への合格者が毎年多い進学校だ。 「じゃあ、進学のために一人暮らし……?」 「……まあ、実家田舎だからな」 「そっか。戸塚君、頭良いんだね」 「なに、意外とか言うわけ?」 その言葉に慌てて首を振る。 「ううんっ。むしろ、やっぱり戸塚君はすごいなって」 勉強だけじゃない。戸塚君は俺にないものをたくさん持っていてすごいって、いつも思ってる。 俺にない心の強さとか、さり気なく人を気遣えるところとか、色々なところを見習いたい。 俺の言葉に「ふーん」と心なしか満足そうな顔をした戸塚君が洗面所に向かったので、俺も干させてもらった制服に着替える。ワイシャツに紺色のベスト、スラックスを着て、借りたスウェットを畳んでいたら、戸塚君が戻ってきた。 「お前、朝飯食う派?」 「うん」 「パンでいいよな?」 冷凍庫からパンを取り出した戸塚君が、レンジで解凍を始める。まさに至れり尽くせり、テキパキと何でもやってしまう戸塚君。 (でも……先生も……) 穏やかに見えて、いつのまにか色々なことをしてしまう。俺がやるって言った掃除も洗濯も、気がついたらやってくれてて、申し訳ないことが何度もあった。 (もしかしたら、俺がどんくさいだけかもしれないけど……) そんな風に、俺はまた無意識に先生のことばかり考えていた。

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