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番外編 センセイの本気②
*
「嘘だろ……」
呆気にとられたその呟きは、戸塚君のもの。
それもそのはず、俺は男の腕を捻りながら、その身体を容赦なく地面に押し付けているのだから。まあまず、教育者のやる行動ではないだろう。
「はー若いくせに動きが鈍いんじゃないか?」
「いで!いでで!離せよおっさん!」
「このまま大人しく家に帰るなら離してもいいけど」
「帰る!帰るから!」
「本当に?途中で腹いせに人に絡んだりしない?」
「しない!」
「うーん、ま、信じてあげるか」
パッと避けてやれば、男はすぐさま逃げていく。性格が悪いと言われてしまうだろうが、おぼつかない足取りながらも必死に走ろうとするその姿に、思わず笑ってしまった。
ちなみに他の二人は既に逃走済みだ。最初はあんなにいきがってたのに、ちょっと本気を出した途端これなんだから、本当に情けないったらない。
「そんなんでもなかったなー」
まあご察しの通り、最初の心配は杞憂に終わり、一人で相手しても全然問題なかった。むしろ、三人にしては物足りないくらいだったかも。
パンパンと服をはらって戸塚君に視線を向ければ、戸塚君はなぜか軽蔑したような眼差しで俺のことを見ていた。
(解せない……)
「おっさん死に急いでんのかと思った」
「なんでだよ……」
若干引き気味で話す戸塚君に、苦笑を返す。
「だってあんた、そんな善人面して喧嘩なんてしなさそうだろ」
「喧嘩なんてしてないだろ。怪我だってさせてない」
「でも、地面に押し付けるとか……教師のくせにあんなの良いのかよ?」
「んー?別にいいんじゃない?」
先に手を出してきたのはあっち。だからこれはあくまでも正当防衛。そう言うと、戸塚君は目を見開いて、しかし、次の瞬間には可笑しそうに笑みを漏らした。
(お、新鮮)
戸塚君は自分で気づいていないのか、いつもより少しだけ高めな声を響かせた。
「あんたって意外と適当だな。そんな血の気が多いやつだとは思わなかった」
「そんなこと言ったって、可愛い生徒を守るためには、ある程度力が必要だろ?」
「ある程度って……つーか、俺はあんたの生徒じゃねえ」
「そうだけど、それでも大事な子だよ」
戸塚君は、心にとって大切な友だち。万が一この子が傷ついたら、心はきっと、自分のこと以上に悲しい顔をするだろう。
赤い頭をポンポンと撫でれば、戸塚君は不機嫌そうに眉を寄せて、プイッと横を向いた。
「……きっも。あんくらい俺でも出来る」
「そうかもしれないけど」
見た感じ戸塚君は強そうだし、実際あいつらには余裕で勝てただろう。
(けど……)
「子どもがわざわざ怖い思いする必要なんてないの」
そう言って、もう一回髪の毛をわしゃわしゃすると、戸塚君は「カッコつけてんじゃねえ」と悪態をつきながらも、素直に俺に頭を預けていた。
(この子、ほんと頭撫でるのは抵抗しないな……てか、照れてるし)
それが何だか微笑ましくて、抵抗されないのを良いことに、つい何度も撫でてしまう。普段は口が悪くて、大人びたように振舞っていても、こんな風にちゃんと子どもらしいところもある。そのギャップが、少しだけ可愛く思えてしまった。
「あ、戸塚君、この後用事ある?」
「……?別に何もねえけど」
「じゃあ、家すぐ近くだから寄ってかない?心もいるし」
ほのぼのした気持ちで、そう問いかける。
(心も、友だちを家に呼ぶのは憧れてるだろうし……)
山田たちのような同じ学校の子には出来ないけど、出来る限りそういう経験はさせてやりたい。
そう思っての提案だったのだけど……。
「あ?あー……つーか、センセイ。なんか落としてるけど……」
戸塚君の視線の先には、先ほど購入したドラッグストアのレジ袋が。無造作に放ったせいで、袋から中身が出てしまっていた。中身というのは、レジ袋の中の、これまた『紙袋』の中に入っていたもの。
(あ、ヤバ……)
そう思ったときにはもう手遅れで、それまで比較的柔らかかった戸塚君の顔が、一気に無表情なものに変わる。
「あ……いや、その、それは、えーと」
あたふたと言い訳を始める俺のことなんか御構い無しに、無言のままそれを拾い上げた戸塚君は、すぐさま、その『0.03mm』と書かれた箱を、グシャッと激しく握りつぶした。
身にまとう不機嫌オーラは、思わず震え上がってしまうほどに尋常じゃなく冷たくて、俺は情けないことに、逃げるように後ずさってしまう。
(ヤバいヤバいヤバい……)
「若干……若干……他の大人とは違うって……見直したのに……」
「え、若干なに?」
冷や汗をかきながら、よく聞こえなかった言葉を聞き返す。すると、戸塚君はゴミでも見るような冷めきった瞳で、俺のことをギロッと睨んできた。それはもう、人も殺せそうなほどの凄まじい剣幕で。
「ほんっと最低だな!この淫行教師!」
(おっしゃる通りで……)
チャランポランな不良まがいには勝てても、この正論には一言も返す言葉が見つからないのだった。
センセイの本気 《終》
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