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10.マトリ
寝台に寝転んで、マトリはぼんやりと発情期について考えていた。発情期という言葉は知っていた。それがメスに訪れるものであることも。オスである自分には発情はあっても、発情期は関係ないと考えていた。オメガだと言われて、メスとおなじ発情期を迎えるものだとわかっても、実感はともなわなかった。けれどなんとなく、自分の変化には気がついていた。
アユイを想って自慰をした。あのときに、濡れるはずのない部分が濡れた。その奥にある子どもを宿す器官が、受け入れるための液を分泌した。それは、ただのオスにはないものだ。どういう原理で、なにがどうなっているのか、くわしいことはわからない。けれど自然とアユイを想って、ツガイになりたいと望むまで気持ちが育ったのは、オメガとしての本能が作用していたからではないかと考える。
(よく、わからないな)
自分はオメガで、アユイはアルファ。オメガはたいてい、アルファとツガイになる。アユイは幼馴染で、住んでいる集落は違うけれども一緒に成長をしてきた間柄だ。
(それは、カブフリもおなじだけど)
高い能力を誇り、子どものころから目立っていたカブフリ。努力をして、すこしでもカブフリに近づけばアユイに意識をしてもらえると、マトリは思っていた。だから、だれよりも体力や運動能力が劣っていると自覚していながらも、おじけたりはしなかった。アユイがカブフリを優秀だと認めていたからだ。
それはカブフリもおなじだと、マトリは見ていた。ほかの子どもたちはカブフリばかり気にしていたけれど、アユイもカブフリに劣らない力を持っているとマトリは気づいていた。そしてふたりは互いを評価しあい、意識しあっていた。
ふたりの間に、自分の入る余地はない気がした幼いマトリは、カブフリのようにならなければと考えた。
(それが、まさか僕がカブフリとツガイになる、なんて周囲の評価に繋がるなんて、思ってもみなかったな)
アユイに見てもらいたいから、アユイの認めているカブフリを目指しているなんて、だれにも言ったことがない。だからそんな勘違いをされているのだとわかっても、どうすればいいのか。
(アユイの気持ちがどこにあるのか、わからないし)
もしもアユイが自分を想ってくれていたらと、マトリはせつない息をこぼした。いまの関係を崩したくない。だから気持ちは伝えていない。だけどこのままでは、流れにのまれてカブフリとツガイになるしかなくなりそうだ。
(アユイが、僕を抱いてくれたら)
ハッとして、マトリは起き上がった。発情期の匂いを自分はまとっていると、集落のメスから教えられた。それがあったから、カブフリはあんな乱暴をしたのだと、服の上から肌に残る襲われた痕に触れる。カブフリは己の力を誇示したり、望みをかなえるために乱暴を働くようなことはしない。だから彼は集落を超えて、次代のリーダーとして認められている。
そんなカブフリがあんなことをしたのは、発情の匂いが原因なら。
(アユイも、そうなるのかな)
唇を引き結び、マトリは迷った。
――ちゃんとツガイになる相手が決まったら、ほかは遠慮をしてちょっかいをかけてこなくなるから。
発情期について教えてくれたメスの声が、マトリの脳裏に響く。
(アユイが僕を抱けば、カブフリはちょっかいをかけてこなくなる……のかな)
そして望み通り、アユイのツガイになれる。
(だけど、アユイの気持ちが)
しかし、このままではいられない。
迷いながらも、マトリは獣の姿になって裏口に向かっていた。思考はまだ定まっていないのに、体はアユイのもとに行きたがっている。
(こんなのは、ずるい)
土を蹴って海の集落に向かいながら、マトリは考える。
カブフリの求愛を断る理由をなにも言わず、周囲の想像にまかせているくせに、それを不快だと感じている。わだかまりを抱えてカブフリに接し、アユイに接し、憶測を断定しているものたち皆に接している。すべて自分が招いた結果だというのに。
――だったら、気持ちを伝えるしかないんじゃない?
カブフリとは別に想う相手がいると伝えたら、そう言われた。
――このままではいられないでしょう。
(そのとおりだ)
現状はいつまでも続かない。いつかは壊れる。どんどんこじれて、取り返しのつかないことになってしまいかねない。
(だったら、ずるくても発情の匂いを利用しよう)
アユイの気持ちを無視することになると、マトリの胸がヒヤリとした。
(でも、本格的な発情期を迎える前なら……いまならまだ、強く影響はでないはず)
強引なカブフリを思い出し、マトリは記憶を振り払った。あれはカブフリが、マトリとツガイになると思い極めていたから、強く反応をしてしまっただけ。
(アユイなら……だけど、アユイがああなってくれたら)
気持ちが自分にわずかでも向いている証拠になるのではと、マトリは海の集落の周辺をまわりこみ、だれの目にもつかないよう気をつけてアユイの小屋の裏口をくぐった。
小屋の中に、アユイの気配はなかった。
(どこに……ああ、そっか)
魚をさばいて持ってきてくれると言っていたなと、思い出したマトリは勝手知ったる小屋の中をうろついた。どこもかしこもアユイの匂いがする。
いちばん匂いの強い場所を求めて、マトリは寝台にたどり着いた。首を伸ばして鼻を動かし、アユイの匂いを嗅ぐと体が熱くなった。
耳としっぽを残して人の姿になったマトリは、寝台にうつぶせになって尻を上げた。耳もしっぽも垂れたまま、目を閉じてアユイの匂いに包まれる。
「は、ぁ」
艶やかな息がマトリの唇からこぼれた。白い肌がちいさくわななき、腰のあたりが熱くざわめく。
「アユイ」
ギュッと敷布をにぎりしめて名前を呼ぶと、目頭が熱くなった。胸が苦しくてたまらない。いますぐにアユイの声が聞きたいけれど、この匂いから離れたくない。
そのままじっとしていると、足音が近づいてきた。マトリのおおきな狼の耳が反応する。小屋の前で足音は止まり、戸が開けられた。
(アユイだ)
顔を上げたマトリは、近づいてくる気配にしっぽを振った。
「マトリ? どうし――」
いぶかる声に、マトリはたよりない笑顔を返した。そのままコロンと寝台に倒れ込む。
「マトリ!」
叫んだアユイが、マトリを抱き起こした。マトリはアユイの広い胸に顔をすり寄せ、ふんわりと心地よい気だるさを含んだ笑みを満面に広げた。
「アユイ」
しっかりと抱きしめられたマトリの肌が、ほんのりと色づいている。体中が泥に埋まっているみたいに重たいくせに、意識は羽毛のようにふわふわしている。
「どうした。どうして、ここに」
問うたアユイの視線が、マトリの胸の上で止まった。そこにはカブフリがつけた痕がある。
「これは」
アユイの声が震える。マトリは首を伸ばして、アユイの顎に鼻を擦りつけた。
「アユイ」
彼のぬくもりがとてつもなくうれしくて、マトリは腕を伸ばしてしがみついた。とまどうアユイをよそに、鼻先を耳裏に押しあてて残り香ではない本物の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「ああ……アユイ」
うっとりとつぶやいたマトリの腰のあたりがうずき、欲の象徴が頭を持ち上げる。腰の奥がじんわりとあたたまり、心音がゆっくりと高まっていった。
「マトリ」
かすれたアユイの声に、マトリは顔を上げてほほえんだ。
「……っ」
息を呑んだアユイの目に、劣情の炎がわずかに見えた。
(アユイも、僕に興奮をするんだ)
うれしくて、マトリは全身でアユイに甘えた。体重をかけて体を押しつけても、アユイはびくともしない。カブフリほど肉厚ではないが、引き締まったアユイのたくましさに、マトリの体はますます火照る。
「ああ、アユイ……アユイ」
抱いてほしいと、マトリは全身でうったえた。鼻をアユイの鼻に擦りつける。
「マトリ」
熱っぽいアユイの声が、マトリの唇に触れた。やわらかく押しつぶされて、マトリは口角を持ち上げる。
「んっ、ん」
軽くついばんで恍惚の息を吐くと、開いた唇の隙間にぬらりとしたものが差し込まれた。アユイの舌だとわかったマトリは、口を開いて受け入れる。アユイの舌は丁寧にマトリの口腔をまさぐり撫でた。
「んっ、ぅ……ふ、う」
マトリの陰茎が震えて先走りをこぼす。そこに触れてほしくて、マトリは腰を揺らした。アユイの手がマトリの肌を滑り、内ももで止まる。あとすこし手を上げれば、マトリの望みはかなえられる。しかしアユイの手は動かない。マトリは舌を伸ばして、アユイの舌に絡めてねだった。アユイの目の奥の劣情が強くなる。マトリは胸をうわずらせ、腰とともにしっぽも揺らした。
「は、ぁ……アユイ」
望みを込めて名を呼んだマトリから、アユイの顔が離れる。寝台に寝かされたマトリの首筋に、アユイの唇が触れた。
「あっ」
キスをされた箇所がポッポッと熱を持ち、マトリは魅了されていく。腰を浮かせたマトリの内ももを、アユイの指が上下した。
「は、ぁ……ああ、あっ、ふ、ぁ……アユイ」
決定的な場所に触れない指がもどかしくて、マトリはアユイの手首をつかんだ。
「アユイ」
つかんだ手首を持ち上げて、アユイの指を自分の陰茎にあてる。
「あっ」
指がかすっただけで、達してしまいそうなほど気持ちがいい。マトリは濡れた目でアユイを見つめ、彼の手を使って自慰をはじめた。
「マトリ」
困惑するアユイが眉をひそめる。それでもマトリはやめなかった。体が火照ってたまらない。先走りがアユイの指を濡らす。アユイは動かず、マトリに動かされるままになっていた。
「アユイ……ああ、アユイ」
握って、擦ってほしい。そうアピールしているのに、アユイの指はピクリとも動かない。ゆるいカーブを描いた彼の指の中に、猛る自分を入れたマトリは足りない刺激に追い詰められた。
肌の奥からかすかに漂っていた、甘い花蜜の香りに似た発情の匂いが、むせるほどに強くなる。自分の変化に気づかぬまま、マトリはこわばったアユイの表情をながめた。
「して……アユイ」
マトリがささやくと、アユイの眉毛がピクリと動いた。
「してほしいんだ……ねぇ」
このままだと苦しいと腰を揺らしたマトリの顔から、アユイの視線が外れる。胸に残るカブフリの痕に視線は流れ、またマトリの顔に戻った。
「この、痕は」
ぎこちない問いに、マトリは首を振った。
「違う。してない」
「カブフリか」
「してない……襲われたけど、してないよ」
極まりまで連れていかれたけれど、繋がってはいないとマトリはうったえた。
「カブフリにも、こういうことを――?」
強く首を振って、マトリは否定した。
「襲われた……だから、僕からはなにもしていない」
アユイの指に力がこもり、握られたマトリはちいさな悲鳴を上げた。
「襲われて、逃げたのか」
「んっ、アユイ……もっと」
「マトリ」
説明を求められて、マトリは官能にわななきながら答えた。
「俺のものだって……思い知らせるって言われて……でも、最後まではしてないよ」
信じてほしいと瞳に力を込めたマトリは、下唇を噛んで快感に堪えた。アユイに握られた肉欲が、もっと刺激がほしいと脈打っている。それに引きずられそうになる意識を必死にとどめ、アユイに伝えた。
「僕は……アユイとツガイになりたいから。だから、アユイにしかしない――こんなこと」
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